義母は、とにかく元気で世話焼きなスーパー高齢者。かたや嫁の私は、うつ病ほか複数の持病があり、毎日ヘロヘロの体力赤ゲージ。そんな二人の主婦が同居して10数年、どう食事作りを分担してきたか。しょっちゅう体調不良になる私が「平和的に放置」してもらえるようになった現在までを綴ります。
うつ病再発でギリギリだった同居初期
三世代同居を始めた10数年前、私は疲れきっていました。
当時、ほぼフルタイムでのパートと、まだ幼い子どもたちの育児に疲れ、さらにそのせいか数度目のうつ病の再発で、毎日を過ごすのがいっぱいいっぱい。
夕方に帰宅すると台所の椅子にしばらく座り込み、なんとか時間ギリギリに夕食を考えて作っては、自分は食べる気力がなくまた呆然と座り込むような毎日でした。
そんな様子を見ていた元気いっぱいの義母は、私がなぜそこまで疲れているのか理解できません。
病気のせいだと頭では分かっていても、「前もって作るメニューを決めて紙に書いておけばいいのに(それができたら苦労はしない)」とか、「昼のうちに私に頼んでくれれば夕飯作るのに(義母に任せすぎると予算オーバーで家計が苦しくなりがち)」などなど…。
どちらも当時の私には厳しい、そして義母は善意100%の言葉をひっきりなしにかけてくれ、結果としてさらに私の気分は沈み込む、という悪循環でした。
私もまだ若く、自分の言いたいことをはっきり義母に伝えることができなかったせいもあります。
さらに義母は仕事を退職したばかりの頃。気力・体力・余暇時間ともに当時がおそらくピークで、手も口も出したいお年頃だったのでしょう。
いちばんの懸案だった食事作りを見直した
しかしそんな状況も、同居生活が10年を超える頃にはだんだんと楽になっていきました。
子どもたちが育って少しずつ手がかからなくなってきたこともありますが、何よりも、義母と私がお互いのペースをつかんできたおかげです。
まず、いちばんの懸案だった食事の支度。
特に私が担当していた夕飯の支度を、思いきって週に1度程度、義母にお願いすることにしました。多少の予算オーバーには目をつぶり、思う存分腕を振るってもらうことで、義母の「もっと手伝ってあげたいのに」というフラストレーションもある程度解消されます。