「あるある探検隊」のネタでおなじみの芸人・レギュラー。実は10年以上、介護に携わり続けています。お笑いライブで経験を積んだ2人ならではの“懐に入る”スキルは、介護のプロからも注目され、講演もたびたび行っています。そんな二人が介護に取り組み始めたのは、2011年。番組の企画で宮古島に1年間滞在した後、仕事がなくなってしまったことがきっかけでした(全5回中の1回)。
宮古島、福島…先々で「お年寄りから可愛がられた」
── 介護に取り組み始めたのはいつごろだったんですか?
西川さん:
2011年ぐらいですかね。
松本さん:
いろんな要素があって。まず僕の祖母が、物忘れが激しくなって、それをおかんがずっと面倒を見ていたんです。その後、おとんも胃がんになって。おかんが祖母とおとん、両方の面倒を見てたんですよ。
当時、僕らがテレビにバーっと出てたときぐらいなんですけど。おとんが亡くなって、おばあちゃんも亡くなって。今でこそ介護って大変やって聞くけど、おかんがどれくらい大変やったんか、僕はわかってなかったんです。
で、紳助さんの番組で宮古島に行って、畑仕事とかやってるときに、向こうのおじい、おばあにめっちゃかわいがっていただいて。畑仕事のやり方も、通りがかりに教えてくれたり。
西川さん:
そうやな。
松本さん:
沖縄の7月、8月って、めっちゃ暑いんですよ。喉もカラカラになって。ほんなら「これ食べて元気出しな」言うて、差し入れ持ってきてくれて。
それが沖縄独特の天ぷらとサーターアンダギーなんですよね。僕、それより一杯のお水がほしくて。でも、ニコニコしながら「これ食べえや」って言わはったら、「はい」って口には入れるんですけども、咀嚼しても水がないんで量が減らないんですよね。そんな思い出があります。
── (笑)。『紳助プロデュース』は、お2人がどうなるのかハラハラしながら見ていたら、なんと途中で番組が終了してしまうという。
松本さん:
芸能界では類を見ない終わり方しましたからね。誰も予想できなかったっていう。
── そうですよね。
松本さん:
あの後、いったん僕らは戻ってきて、宮古島にはノッチ夫妻が行ったんです。そして僕らは、次はナガンヌ島という無人島で、サンゴの移植をしなさい、と。
ただ、ちょうどそのころに東日本大震災があって、仕事が全部なくなって。『紳助プロデュース』もその年に終わりました。
そのときに「あおぞら花月」っていう、ボランティアで福島に行く吉本のイベントがあったんです。
それまで僕らは宮古島でずっと畑仕事をしたり、家を作ったりしていたので、1年くらい全然漫才ができなかったんですよ。でも、見に来てくれたおじいちゃんおばあちゃんが「頑張れ」って言ってくれて、すごくウケたんですよね。僕らが応援しに行った立場なのに、元気づけてもらえて。
── お二人は愛されるんですね。
松本さん:
なんでかわかんないんですけど、おじいちゃん、おばあちゃんがめちゃくちゃ味方になってくれるんです。国民の孫的な。
西川さん:
ありがたいな。
松本さん:
そういうときに、次長課長の河本さんが岡山の介護施設に毎月訪問ボランティアに行かれてて「新幹線代出すから、手伝ってくれへん?」って誘っていただいて。何回か行ったんです。