子どものころに「いじめ」にあっていたと語る「たんぽぽ」の川村エミコさん。小学校から始まった「いじめ」は、中学に入っても続いたといいます。当時、川村さんが受けた「いじめ」に対して、どのように対応していたのか。お話を聞きました(全4回中の2回)。
巾着袋に入っていた悪口
── 小さい頃はどんなお子さんだったんですか?
川村さん:
なんだろう…真面目ですかね。小学生のころ、いろいろ習いごとをしていて、ピアノも習っていたんです。全然弾けないし、先生にもよく注意されるんですけど、教室にはきちっと通って皆勤賞でした。
あと、学校もほぼほぼ皆勤賞です。途中でいじめられた時期もありましたが、「授業のノートを見せて」って言うのが嫌だったし、できることは自分でやりたかったんです。熱が出ても学校に行っていましたね。
── いじめにあっていたのは、小学生あたりからでしょうか?
川村さん:
覚えているのは小学1年生くらいからです。上履きがいつも隠されていたので、しょっちゅう探していました。靴の中に木工用ボンドが入っていたこともあります。
猫背で暗かったし、同級生だけでなく先生との相性も良くなかったんですよ。いじめもあったし、中学は入学とともに違う区域の学校に転校したんですけど、そこでもまたいじめにあいました。
当時は、少し勉強もできたんですけど、それも面白くなかったみたいです。巾着袋にバカとかアホ死ねって書かれた紙がいっぱい入っていたこともありました。
── それはかなりひどいです。当時は、川村さんはどう考えていたのですか?
川村さん:
「関わらなければいい」と、思ってましたね。いじめっ子を先生に突き出したり、「この人がやりました」って訴えたりといったことはしませんでした。ただただ、私の生活を邪魔しないでいてくれたらいい、自分の生活が平穏だったらって。大ごとにはしたくなかったんです。
それに、何か起きたらどうしようって思うより、何か起こってから「どうしようかな。じゃあ、こうしよう」って考えるタイプです。上履きにボンドが詰まっていたときも、上履きを見てまず「洗い流そう」って思いました。
もともと、女子のグループが苦手だったんですよ。Aグループに行くとBグループの悪口を言っていたり、Bグループに行くとAグループの悪口を言ったりしているのが本当に嫌だったから、クラスでもひとりでいましたね。