「40代になってから異動の内示を受けたときは驚きました」と話すフジテレビの春日由実さん。入社以来アナウンサーとして活躍し、20年目での広報宣伝への異動は、本人だけでなく多くの人に驚きを与えました。まったく違う職種を担当することになった春日さんが、その変化をどう受け止め、どう変わっていったのか、お話を聞きました(全4回中の2回目)。
20年目に告げられたアナウンス室からの異動
── アナウンサーとしてキャリアを重ね、結婚・出産も経験した20年目に、広報宣伝室へ異動となりました。異動を告げられたときは、どう感じましたか?
春日さん:毎年新人アナウンサーが採用されますから、アナウンス室からも人事異動で誰かが出て行くものだと、頭ではわかっていました。
ただ、それが「自分かもしれない」と気にかかる年齢も過ぎた入社20年目のことだったので、予期していないことが起きたというか、「今、来たか…」という気持ちになりましたね。
── 広報宣伝で番組広報を担当されていた頃、お仕事でご一緒しました。とても前向きに、広報の仕事に取り組まれている印象でしたが、当初はやはり衝撃を受けたのですね。
春日さん:突然、違う部署へ異動と言われたことに動揺して、「広報宣伝への内示が出た」と夫にすぐ電話をしました。
社会人になって初めての人事異動は、会社を変わるようなもの。アナウンサーだけが特別ではなく、みんな同じです。
夫からは「異動先でもアナウンサーとしての気持ちだけは切らないように。一度気持ちを切るとなかなか繋がらないよ。あと、異動で今までの経験を簡単に捨てないこと。むしろどう活かすか考えよう」と、すごく冷静に言われたんです。
その言葉でスッと異動という事実を受け入れられて、「広報で、私は何を活かせるのだろう?」と、気持ちを前向きに切り替えることができました。私を受け入れてくれる部署があるならば、自分には何ができるかを考えて、社員として貢献するしかないですよね。アナウンサーとしての経験は私にとって財産ですから。
仕事第一の頃であれば、もしかしたら異動をネガティブに捉えていたかもしれません。でも、子どもができてからは仕事と家庭、自分の中に2つの柱があって、だからこそ大きく心が乱れることはなかったですね。アナウンサーとしてだけでなく、広報のスキルも身につく。全て、自分の経験値が上がっていくわけですから。そして何より、娘たちには母親が、前向きに仕事に向き合っている姿を見せるほうが大切だと思いました。
異動先では「新入社員と同レベル」
── 昨今はアナウンサーの転職もよくあり、当時も今もフリーアナウンサーになる方は多いです。異動を機にフリーになって、アナウンサーを続けたいとは思いませんでしたか?
春日さん:それは全くなかったですね。アナウンサーという専門職で採用されていますが、サラリーマンである以上、異動はいつかあるものと思っていました。
アナウンサーは取材を通して、さまざまな立場の第一線で活躍し輝いている人にたくさん出会います。多くの刺激を受け、別の世界に飛び込む決断をする方の気持ちも理解できます。変化を恐れず行動できる人はすごく尊敬しますが、私自身は自分で環境を変えるのがあまり得意ではないんです。
だから異動して、まったく環境が変わったときは「サラリーマンは、環境を変えるきっかけを、会社が与えてくれるんだ」と(笑)。自分では変えられないタイプなので、「会社が環境を変えてくれた」と感じています。
── アナウンサーと広報では、仕事の内容がかなり違います。異動した当初は、どんな状態でしたか?
春日さん:入社20年目で初めての異動。もうわからないことだらけで、新入社員と同じです。若手に教えてもらいながら仕事を覚えていく状態で、最初の3か月くらいは大変でした。
それに今もそうですが、やはりアナウンサーの異動は目立ちます。専門職で入社した人間だから、どうしても「違う仕事になって、大丈夫なの?」と思われてしまう。
だから、誰よりも早く出社して「おはようございます」とみんなに挨拶し、「私はここで、働く意欲があります!」ということを態度で示すように心掛けました。そうしたことの日々の積み重ねで、自分が働きやすい環境や空気をつくるようにしたんです。
番組広報で初めて感じた「やりがいと気づき」
── 番組広報の仕事では、どんなところにやりがいを感じましたか?
春日さん:異動の内示を受けたとき、夫から「アナウンサーであることの気持ちを切らないように。今までの経験をどう活かすか考えるべき」と言われたように、実際にアナウンサーの経験が活きていますね。
たとえば、番組の情報などをメディアの方たちへ送る、プレスリリースを作るときは、広報がみずから出演者にインタビューしたりコメントをお願いしたりします。そういったときは、元アナウンサーということで取材経験もありますし、出演者の方には収録で共演するなどで面識のある方もいらっしゃいますから、スムーズにお話が聞けました。
また、リリース用のキャッチコピーや見出しを考えるときは、アナウンサー時代に番組でVTRに移るとき──いわゆる「V振り」と呼ばれるコメントを考えたのと同じイメージで、「もっと先を見たい」と思ってもらえるようなキャッチコピーを考えるようにしていました。アナウンサーの経験や気持ちを「切らなかった」からこそ活かすことができたのだと思います。
── 経験が活きた場面とは違い、立場が変わって感じたこと、気づいたことはありましたか?
春日さん:アナウンサーの頃は、取材するだけでなく、逆にメディアの方から取材を受けることもありました。当時は当たり前のように取材を受けていましたが、広報に異動になって「取材はこんなにも多くの人が関わるものなのか」と、驚きました。
取材内容や日程の調整、記者の方との対応、写真の取り寄せなど、社内外で携わる方たちがたくさんいます。原稿の確認でも多くの担当者がチェックしています。
今、取材を受ける後輩アナウンサーたちには「メールの返信は早く!止めていると、その先でたくさんの人の仕事が滞るから」と、言っているんです。そして、アナウンサーは多くのスタッフに守られていることも伝えています。
自分がアナウンサーとして取材を受けていた頃は、そんなことも知らずに対応していましたから、失敗から学んだことなのですが。広報として働く今も、ご案内した記者の方からたまに「昔、インタビューをさせてもらったことがあるんですよ」と言われると、「私、失礼はありませんでしたか…!?」と聞かずにはいられないんです(笑)。
PROFILE 春日由実さん
1974年兵庫県生まれ。1997年アナウンサーとしてフジテレビに入社。2017年に広報宣伝へ異動となり、番組広報を担当。現在は企業広報担当として、アナウンサーへの取材対応を中心に活躍している。
取材・文・撮影/鍬田美穂 写真提供/フジテレビ