大学生で報道番組のアシスタントに抜擢された安藤優子さん。しかし、慣れない海外の取材では思うように取材も進まなかったといいます。「バイトだし」「辞めてやる!」番組降板から、またキャスターとして戻ってきたのはなぜか。お話を聞きました(全5回中の2回)。

こんな若い女に行かせたのが失敗だ!

終始、笑顔を絶やさずわかりやすくお話ししてくださった安藤さん

── 安藤さんは常に完璧にお仕事をされている印象があります。安藤さんがキャスターになってから今まで、実は涙を流していたようなこととかはありますか?

 

安藤さん:
若いときは、結構泣きましたね。仕事ができなくて、気持ちの切り替えもうまくいかないことも悔しくて。何度もトイレで泣きました。でも、今考えればできなくて当たり前なんです。最初から全部できるわけないんですよね。

 

── 安藤さんは、昔からキャスターを目指されていたのですか?

 

安藤さん:
大学生のころは、将来はホテルで働こうと思っていたんです。当時は留学を考えて、渋谷のパルコでエレベーターガールのアルバイトをしていました。そこで、私が外国人のお客様に英語で接客している様子を、たまたまテレビ朝日のプロデューサーさんが見ていて。そのプロデューサーさんに声を掛けていただいて、キャスターになったのが始まりです。22歳のときですね。

 

はじめて担当した番組は『BIG NEWS SHOW いま世界は』(テレビ朝日系)という番組でした。アルバイトながら、取材も任せてもらえて。

 

── すごいご縁ですね。

 

安藤さん:
ただ、失敗もいろいろしています。たとえば番組でアメリカの高齢者施設に取材に行ったとき。

 

施設には、日系一世や二世の方たちがいましたが、日系一世の方たちが亡くなってしまうと、移民の歴史が消えてしまいます。そのため、オーラル・ヒストリー(口述歴史)といって、歴史研究のために関係者から直接話を聞いて、記録することになっていたのです。

 

高齢者施設には2週間くらいいましたが、排泄物とか、その他、いろいろな匂いが強く漂っていて、慣れるまで時間を要しました。

 

さらに問題があって、高齢者の方が話す言葉を聞き取るのが大変でした。私が話を聞かせていただいた方たちの中には、若い頃に和歌山県から移住してきた人たちがたくさんいて。ただ、その方たちから一生懸命お話を聞きますが、英語と日本語が混ざっているので、たまに何を言っているか聞き取れなかったんです。

 

たとえば、自動車は英語では「オートモービル」といいますが、日系一世の方たちは「マシーン」といいます。でも、こちらの耳にはマシンではなく「ミシン」と聞こえるんです。

 

話の中で「ミシンはね」というのは、本人にとっては「車はね」の意味です。「車がなくて農園で耕すのが不便だった」といった話をしていることは、途中でわかりました。

 

ほかにも、その方が経営されていた雑貨屋さんが、「日系人が経営しているという理由で襲撃された」とかいろいろお話をしてくださるんですが、なまりもあって私は半分以上理解できませんでした。

 

それでもなんとか取材を続け、わからないなりにも現地で聞き取り調査をして。ただ、そういった環境に慣れていない私にとっては、正直すごくつらい取材でした。

 

その後、日本に帰国すると、私の聞き取りが不十分だったんでしょうね。「こんな戦争を知らない若い女に行かせたのが間違いだ」と、反省会で糾弾されました。