40代は迷ってばかりだったが

50代からの新天地です

── さらに新しいことに挑戦されていきますが、同時に、年齢を重ねるごとに人生観も変化していくような感じはありますか?

 

丸岡さん:いちばん大きく変化したのはやっぱりここ最近というか。このあいだガンを公表された秋野暢子さんには、すごく可愛がっていただいていたんです。

 

秋野さんは、いつも人のために一生懸命なんですよね。これまでも、ヘアドネーションとして小児がんになられた子どもたちのウィッグにと、寄付活動をされていたり。

 

前に秋野さんと一緒に食事会に行ったとき、「秋野さん、なんでそんなに人のために一生懸命になれるんですか?女優の仕事も忙しいのに」と聞いてみたんです。

 

そしたら「いずみちゃんも、もうちょっとたったらわかるよ。歳を重ねれば人のために何かやりたいなという気持ちが自然と湧いてくるようになるから」と返ってきて。

 

そのときの私はピンときてなくて、「そんなもんなのかな」と。でも、今、自分が50歳を過ぎてみて、やっとその境地にたどり着いた気がします。「秋野さんの言っていたのはこれか!」って。

 

── たとえばどんなことですか?

 

丸岡さん:先ほどお話しした松実高等学校のこともそうですね。

 

昔は、「自分がこの仕事をしたいから、絶対にやる」といった意識が強かったんですが、今は「誰か人の役に立てるのであれば」と、そんな気持ちです。

 

孔子は「四十にして惑わず」と言ったそうですが、私の40代は迷ってばかり。うつにもなりました。それでも50歳を超えて、今やっと秋野さんがおっしゃっていたような「人のために何かをしたくなる」という境地になってきたなという感じです。

 

20代や30代の頃の私だったら「またまた!」みたいな感じで斜に構えていたと思うんですね。今50歳を過ぎてみて「そうなんだ。人間、自然とそういう心境になるんだな」というのは、大きな発見でした。

 

「ああ、秋野さんがいっていたのはこの境地ね」と、やっと実感できました。

 

PROFILE 丸岡いずみさん

北海道文化放送アナウンサーとしてキャリアをスタートさせ、日本テレビに中途入社。報道記者として警視庁捜査1課を担当し、その後キャスターに。日本テレビを退社。フリーとして活動。主な著書『仕事休んでうつ地獄に行ってきた』(主婦と生活社)
取材・文/間野由利子 撮影/井野敦晴