DREAMS COME TRUEの楽曲の歌詩の世界観をオリジナル・ストーリーとして映像化したドラマ「5つの歌詩(うた)」。吉沢悠さんが「何度でも」で演じる主人公の清一は、新しい職場の環境に翻弄されつつも、家族のために多忙な日々を過ごしている会社員。後輩社員との接し方に悩む清一の姿に、自身の過去の経験も蘇ったと教えてくれました。

 

後輩との思い出について語ってくれた吉沢悠さん

ドリカムの音楽は言葉選びが“適切”と感じた

── ドリカムの音楽にはどのようなイメージがありますか?

 

吉沢さん:
10代の頃は、カラオケに行くと女性が必ず歌う曲、街でよく耳にする曲というイメージが強かったです。

 

当時は本家よりもカラオケで聴くことのほうが多かったかもしれません。歌詩をじっくり読みながら聴いたのは、20代を過ぎてから。

 

メロディーと歌詩が作る世界観は独特だし、知らず知らずに歌詩も体のなかに入っているからなのか、イントロが流れてくるだけで、なんかソワソワします。

 

── ドラマに出演するにあたり「何度でも」をそれこそ何度も聴いたそうですが…。

 

吉沢さん:
歌詩もしっかり読んで聴き込みました。背中を押してくれる感じが“適切”だと感じました。

 

10000回はダメでも、10001回目は何か変わるかもしれない、この「何か変わるかもしれない」というワードがすごく適切。「きっと良くなるよ」ではないところがグッときました。

 

数字だけ見たらまず、10000回頑張ろうと思わないですよね。10000回頑張って、変わるかもしれないところに、もう一歩踏み出すのってすごく大変なことだし…。

成し遂げたいと思っている人は“何度でも”やる

── そもそも10000回頑張れることをイメージできません。

 

吉沢さん:
普通はそうですよね。でも、最近思ったのは、物事を成し遂げたいと思っている人は、10000回は当たり前にやらなきゃいけないと捉えているということ。

 

「殺陣の稽古を通して“何度でも”やる大切さを知った」という吉沢悠さん

最近、殺陣の稽古を始めたのですが、道場の先生が「1000回やってやっと入口に立てる。1万回、10万回、100万回やって、やっと他の人よりも頭1個、2個抜けられるんだ」とおっしゃるんです。

 

「1000振り」という稽古があって、1日に1000回刀を振るのですが、最初は700回くらいでしんどくなってきます。そこから1日1000回振れるようになり、10日かけて10000回を達成したときに感じたのは「ちょっと変わったかな」程度の気持ち。

 

でも、そこで先生がおっしゃっていた入口に立つという意味を実感しました。殺陣の稽古のおかげで「何か変わるかもしれない」というフレーズの意味を理解できた気がします。

 

もちろんその10001回目が大きく人生を変えることもあり得るのですが、変わるかもしれないというのはすごくよく分かりました。

 

── 数字だけ見ると「10000回、ムリ」と思ってしまいます。

 

吉沢さん:
10000回ではなく、10000歩にするとイメージしやすいかもしれないです。僕も殺陣の稽古をするまで何かを10000回なんてイメージしたことなかったですから。

 

10000回やることも大切だし、10000回やるための一歩を踏み出すことも大事。そして「何かが変わるかもしれない」その先の一歩も重要。10000回も余裕で振れるようになった今だからこそ、一歩の大切さを痛感しています。

先生の人格から殺陣に魅了されるように

── 役のためと思うと、そこまでできるものなのですね。

 

吉沢さん:
実は、殺陣の稽古は作品のためではありません。プライベートでやっています(笑)。それまでは合気道をやっていて、殺陣と両方やっていこうと1年くらい並行していたのですが、どっぷり殺陣の魅力にハマってしまって…。

 

── 殺陣にハマった理由とは?

 

吉沢さん:
先生です。殺陣のテクニックを習うために通い始めたのですが、言葉の選び方、頭の使い方、物事の捉え方などを説いてくださる、人間形成重視の道場で。日本人が失ってしまった感性のようなものを学び、それを吸収できる、すごく魅力的な道場なんです。

 

最近あまり見ない雰囲気の道場だったので、最初はとてもびっくりしました。辞める人もたくさんいる厳しい道場なのですが、今しかできないことだと感じています。

 

自分の人生において、とてもいい時期にいい道場、先生に出会えたと思っています。