芸人になってしばらくは仕事がなく、テレアポで働いていたという椿鬼奴さん。そんなときに先輩芸人から声がかかり入ったのが、お笑い芸人ユニット「キュートン」でした。そこから鬼奴さんの芸人としての流れが動き始めます。キュートンから繋がった縁とは?お話を伺いました。

「鬼」か「泥」か

── NSCを卒業して、本格的に芸人としてスタートされましたが、いかがでしたか?

 

椿鬼奴さん:はじめは仕事もぜんぜんありませんでした。月に1回劇場があればいいぐらい。

 

── なかなか厳しい状況ですよね。

 

椿鬼奴さん:ただ、森三中とインパルス、ロバートが同期なんですけど、彼らは1年目ぐらいからテレビの仕事があったんですよね。そうすると、おごってくれるんです。仲間に助けられました。

 

NSCを卒業してから4年ぐらいコンビでやっていたんですけど、仕事がないから解散してピンに。ピンになったらもっと仕事がなくなるから、時給1500円のテレアポのバイトを始めたんです。

 

それまでは、劇場の仕事に差し支えないようなバイトを選んでいたんですけど、しばらくはピンでできる自信もないし、コンビを組めるかもわからない。だからテレアポで9時から5時までがっつり働いて、貯金もできたらいいなと思っていて。

 

でも自分から動かないと、芸人の仕事はない。テレアポで働きながら、こうやって芸人フェードアウトしていく人って多いんだろうな、と思いました。

 

はじめは全然仕事がありませんでした

── 芸人としての仕事が少なかったときに、焦りなどはありましたか?

 

椿鬼奴さん:新しく始めたテレアポでの職場の同僚も面白い人たちだったから、楽しいし、なんとかやっていこうかな、と思っていたんですけど、そんなときに芸人の先輩のキートンさんが電話をくれたんです。新しいユニットイベントを立ち上げようと思うから、そこに入ってくれないか、って。

 

最初は「コンビで」ということで声が掛かったんですけど、すでに解散していたので、「解散していても、それぞれで入ってもらっていい?」って聞かれて。

 

「ピンで別に何もやっていないんですけど、それでよければ入ります」、って言って入りました。

 

── それが「キュートン」なんですね。

 

椿鬼奴さん:そうです。そしたら、芸人の世界にまだ片足残しているような感じになってきて、キュートンとしてイベントにも出るようになりました。

 

そうこうしているうちに、「キュートンだけじゃなくて、ピンでも活動もしなよ」ってキートンさんたちがケツ叩いてくれたんです。何をやるかわかんないだろうけど、お笑いの大会にもエントリーして、ちゃんとやんなよ、って。それにあたって、ピン芸名もみんなで考えてくれました。

 

── そこで今の芸名が決まったんですね。

 

椿鬼奴さん:キュートンの会議で「鬼」か「泥」か選んでいいって言われたので、しばらくは「鬼」でエントリーしていた時期もありました。

 

キュートンのおかげで芸人として少し上れた。あと、マンボー家城さん(当時・カリカ)がやってるお芝居にキュートンでゲスト出演したことがあったんですよね。そのあとも、家城さんがキートンさんと私を演者として使ってくださって。長年出していただいたおかげで、それに関連して仕事がピンでくるようになって。

 

── キュートンから始まって次第に仕事が広がっていったんですね。

 

椿鬼奴さん:キュートン以外の人とも繋がりができて、ピンで活動するようになったら、同期の森三中や、POISON GIRL BANDがMCトークも目をかけてくれて。そういうのが影響したり、テレビで同期として呼んでくれたり、それでテレビの仕事もだんだん増えていきました。