横浜市保土ケ谷区にある小さな商店街「境木商店街」。その中にコーヒー豆の焙煎の香り漂う、一軒のコーヒー豆店がある。
一見わからないが、ここは障がい者の福祉作業所。スタッフは6人、知的や精神の障がいがある21人が通い、コーヒー豆を焙煎し、販売している。
マスターの関辰規さん(50)は外資系専門商社の営業をしていたが、派遣社員らのリストラを上層部から命じられ、反発して退職。コンビニの深夜バイトなどしながらコーヒー豆店(作業所)を軌道に乗せた。
今でも精神的不調などで店を休む人がいれば、自宅まで迎えに行き、住む場所に困っていればグループホーム入所の手配まで行う。そこまで人と関わる理由とは何か ── 。
楽しかった商社時代、でも「やりたいことと違う」
大学卒業後、外資系の専門商社に入った関さん。有名ブランドの商品などを営業する生活を11年間送った。銀座の高級料亭で接待をし、日々「楽しかった」が、次第に「やりたいことと違うかもしれない」と思い転職。外資系企業でグラスの販売を行うようになった。
しかし、2008年にリーマン・ショックが発生。日本支社のアルバイト、派遣社員を全員辞めさせるよう上層部から指示が出た。社長に意見したが聞き入れられず、「自分が去るべきだ」と思うように。その頃から、「サラリーマンは向いていない」と起業を考えた。
フェアトレードのコーヒー豆店を始める
そんな折、前職を先に退職した先輩に声をかけられ、フェアトレードで手に入れたコーヒー豆を販売する東京・大手町のカフェを引き継いだ。ただ、先輩が悪性リンパ腫となり数年で他界する。命のはかなさを感じた。
さらに翌年、東日本大震災が発生。知人も震災で亡くなり、「このままじゃいけない。本当にしたいことをしよう」と決意する。
そんなとき、カフェのお客さんから、「障がい者の働く場所が本当になくてね」と相談を受けた。「何か人の役に立つことができないか」と思い、2011年に大手町のカフェを閉め、2012年40歳のとき、横浜市保土ケ谷区にコーヒー豆店「フェア・コーヒー」を開いた。
開業当初は株式会社としてスタートし、地域の障がい者に来てもらい、焙煎、袋詰め、お金の受け渡しなどしてもらっていた。そのうち、もっとも手伝いに来てくれていたNPOが解散となり、障がい者を受け入れる形を続けたいと福祉作業所(正式名称:就労継続支援B型事業所)の申請を市に行った。