東京・下町の小さなつくだ煮店に、北海道や沖縄など遠方からのお客さんや修学旅行生が増えています。店番をする93歳女性のオチャメな姿が、Instagramの「千草屋のおあばちゃん(93)」というアカウントで話題になっているからです。
名物女将の1世紀近い“激動”の生き様を聞いてきました。
普通より元気なおばあちゃん
「私が小さいころは、店の前に呼び込みの人たちがたくさん立っていて、私たちが前を通ると怒られたものです」
そう生い立ちを語ってくれたのは、東京・台東区の浅草にある「佃煮処千草屋」(つくだにどころ・ちぐさや)の店主・草間千恵子さん(93)。
昭和4年(1929)生まれの千恵子さんは生粋の下町っ子で、古くから遊郭として栄えた吉原はすぐ近所。
現在のつくだ煮店も、それらの店舗の目と鼻の先にあります。
「普通より元気なおばあちゃんだったので、記録することにしました」とお孫さんが、千恵子さんの仕事中の様子や、大好物をパクつき、韓流ドラマを鑑賞する様子をインスタにアップ。
たちまち話題となり、下町のつくだ煮店と縁のなかった人たちも引きつけるようになりました。
小4で学校を辞め、魚の配達を
「うちは10人きょうだいで、私は上から4番目です。小4のときに弟が難病にかかって、母が面倒を見なくてはいけなかったので、私は学校を辞めて、魚の配達を始めました。別の弟が自転車を押してくれてね…」
と大変だった当時を思い出し涙ぐむ千恵子さん。
そのときから現在まで、千恵子さんの“労働歴”は80年以上になります。
程なくして太平洋戦争が始まり、東京生まれで疎開先(田舎)がなかったので親戚を頼り埼玉県の浦和へ。
戦争中も、千恵子さんなりに一生懸命、働いていました。
闇市での1杯5円のラーメンが大当たり
「防空壕を10回くらい掘りましたが、人が入れるほどうまく掘ることができなくてね。結構、難しいんですよ」
終戦後、東京に戻ると、現在の浅草は空襲で焼け野原になっていましたが、当時、父親が住んでいた北千住周辺は難を逃れていたそうです。
「進駐軍(米軍)は襲ってくるから気をつけろと言われていたので、見かけると逃げ出したものです。
東京に戻ると、ビルの食堂で働き始めて、人の紹介で丸ビルのエレベーターガールをしたけど暇すぎたので、進駐軍のメイドになりました。
代々木に住む高級将校宅になるとさらに高給で、月に8000円にもなりましたよ。
闇市での1杯5円のラーメン店は、これが大成功だったのよ。
団子の店もやり、家族の生活を支えるために、とにかく何でもやりました」