田んぼをキャンバスに見立て、大きな絵や文字を描く「田んぼアート」。今や全国100か所以上で開催されています。発祥の地、青森県田舎館村には約35万人が集まる人気ぶり。第29回を迎える今年は、特別な試みがされるそうで ——。田舎館村役場・企画観光課の鈴木文人さんにお話を伺います。
飲み会での落書きがモナリザの下絵に
── 今年も田んぼが鮮やかな緑色に染まる時期がやってきました。そろそろ田んぼアートが見頃を迎える時期かと思います。今年は以前描いたことのある「モナリザ」を含む2作品を制作したと伺いました。
鈴木さん:
そうです。今年はメインの第1会場でレオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」と、黒田清輝の「湖畔」を、第2会場では北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産登録されたことを祝し、オリジナル作品「縄文から弥生へ」を描いています。
なかでも、「モナリザ」は田舎館村にとって大きな意味を持つ作品で、今年で2度目の挑戦になります。2003年に一度「モナリザ」を描いたのですが、今回はそのリベンジですね。
── どうしてリベンジなのでしょうか?
鈴木さん:
それを語るには、まず、田舎館村の田んぼアートの歴史についてお話しする必要があります。田んぼアートが始まったのが、今から約30年前の1993年です。
当時、村には人が来てくれるようなイベントは何もなく、「村おこし」について村の人々は模索していました。田舎館村は、昔から稲作が盛んな村ですから、何かやるなら稲作で、という思いはありました。
そんなある日、役場の職員が小学校の「体験田」に、小学生が実験的に緑、黄色、紫の3色の色が出る稲をストライプ状に植えられているのを見つけたんです。どのような過程があって作ったのか、今では把握している人はいないので詳細はわからないのですが、それを見つけた職員が、「これを使って村おこしができないか」と思ったのが田んぼアートが生まれたきっかけです。
── 小学校の体験田がヒントになったんですね!
鈴木さん:
そうです。その後、1993年から2001年までの9年間は、毎年、同じデザインです。青森県でいちばんの高さを誇る岩木山を3色のカラフルな稲を植えることで表現していました。
転機は、田んぼアートを始めてから10年目の2002年。NHK-BSの番組企画「千人の力」で田舎館村の田んぼアートを取り上げてくださったんです。
番組制作にあたって、テレビ局の方が「新しい絵に挑戦してみては?」とアドバイスをしてくださり、当時の小学5年生が描いた絵「岩木山と月」を田んぼに描きました。これまでよりもより複雑な絵で、田んぼの面積もそれまでの倍以上の1.5ヘクタールの大作でした。
── 反響はいかがでしたか?
鈴木さん:
田舎館村の田んぼアートの知名度は一気に上がりましたね。「千人の力」という番組だったので、「岩木山と月」は番組の企画の一環で1000人の村民を招集、1000人でアートを制作しました。当時人口約9000人のうち1000人の村民が集まったので、村は
このときの体験は、村の人々にとって衝撃的でした。
「もっと多くの人に田んぼアートを楽しんでもらいたい」という思いが芽生えると同時に、「いろんな図案ができるんだ!」ということに気づくきっかけにもなりました。
そして、村長を中心とする「田舎館村むらおこし推進協議会」が集まり、「せっかく田んぼアートが話題になったのだから、新しい絵柄を描いてもっと人に来てもらおう」と。翌年は誰でも知っている、世界的に有名なアートを描くことになりました。そこで白羽の矢が立ったのが「モナリザ」です。
しかし、この「モナリザ」、実は反省点だらけで…。
── 「反省点だらけ」というのは?
鈴木さん:
当時の「モナリザ」の下絵は、役場の田んぼアートの担当課職員と、そのいとこの美術の先生の飲み会の席で生まれました。美術の先生が飲みながら「こんなのはどう?」とササッと紙に描いたモナリザの落書きがそのままアートの下絵の本番として使われてしまったんです!
当時の田んぼアート作品「モナリザ」は、ひと言で言うと失敗ですね…(笑)。田んぼアートは役場にある展望台、つまり斜め上から観るのですが、そこから見ると、顔は下膨れになり、体は大きく太って見えます。つまり遠近法について考えていなかったんです。本物とはほど遠いものになってしまいました…。
先生ご本人もまさかその落書きがそのままその年の田んぼアートの下絵になるとは思ってもいなかったそうです…。出来上がった田んぼアートを見て、美術の先生はびっくり。「下絵に使うならもっとちゃんと描いたのに〜」と嘆かれていたそうです(泣)。