みずから発達障害(ADHD)であることを公表して、葉っぱ切り絵アーティストとして大活躍しているリトさん。自分の障害がわかってから感じたこと、周りにしてもらいたかったこと、発達障害を持つ子を育てる親に伝えたいことなどについてお話を伺いました。

「発達障害のネガティブなイメージを払拭したい」と悩む日々

—— リトさんは社会人として数年働くなかで、うまく周りと適応できていないことに思い悩むことが多かったそうですね。自分が発達障害かもしれないと思い、病院で診断されたとき、まわりはどのような反応でしたか?

 

リトさん:

親も友達も僕が発達障害であるということが意外だったようで、とても驚いていました。職場は理解してくれましたが、発達障害とわかったからといって、仕事ができるようになるわけではありません。同じ場所にいても何も変わらないと、自分から退職しました。その後、発達障害についての本を読んで得た知識や自分の経験談などをTwitterで発信していました。


一方で親に対しても、障害についてわかってもらおうと自分なりに一生懸命説明しましたが、残念ながら伝わりきらなかったように思います。親も予想もしていなかったことで、なかなか受け止めきれなかったのかもしれません。

「オオアリクイの食べ歩き」(『いつでも君のそばにいる』(講談社))
「オオアリクイの食べ歩き」『いつでも君のそばにいる』(講談社)

—— 親にやってもらいたかったことはありますか?

 

リトさん:

見守ってくれたのは嬉しかったのですが、親にもっと自分の障害のことを知ってほしかったという思いもあります。障害について伝えても特に両親が本などで調べるようなことはありませんでした。

 

例えばテレビで発達障害についての番組をやっていても、「やっているよ」と僕に知らせるだけで、自分たちが見ようとはしなかったのが辛かったですね。障害のことを伝えたことで、ただ不安にさせただけになってしまいました。

 

特に父は僕に障害があるということを、認めたくなかったようです。だから僕自身、自分でなんとかしなければという思いが強かったですね。

葉っぱ切り絵アーティストのリトさん
葉っぱ切り絵アーティストのリトさん

—— ご両親に対して感謝している部分はありますか?

 

リトさん:

仕事を辞めて失業保険がもらえている300日の間に、なにか自分が生きていける道を探そうと思っていました。それに関しては特になにも言うこともなく、そっと見守ってくれていたように思います。

 

しかし、300日を過ぎても、いまいち道が見出せないままでした。ただ、すでにその時点でTwitterには1800人のフォロワーさんがいました。その状況をなかったことにして就職するのはイヤだなと思っていたときに、両親が「続けてみたら?」と応援してくれたんです。

 

両親とは同居していたので、毎月家にお金を入れていたのですが、「しばらくは払わなくていいから」とも言ってくれて。収入が入る見込みは、当時ほとんどなかったので、本当に助かりましたね。

「星と雪の夜に」(『いつでも君のそばにいる』(講談社))
「星と雪の夜に」『いつでも君のそばにいる』(講談社)

今も、自分に対する親のスタンスは基本的には変わらず、そっとしてくれています。ただ母は、僕の葉っぱ切り絵作品の下絵をモチーフに「葉っぱ刺繍」に挑戦するようになり、今ではInstagramのフォロワーが1万4000人いるほどです(笑)。

「小さい秋、キミも探しに来たの?」(『いつでも君のそばにいる』(講談社))
「小さい秋、キミも探しに来たの?」『いつでも君のそばにいる』(講談社)