大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題の鎌倉。その鎌倉土産の定番といえば、鎌倉に本店を構える豊島屋の「鳩サブレー」です。「鳩サブレー」が知れ渡ったきっかけとは?豊島屋で広報を務める宮井さんに伺いました。
不遇の時代10年…時代の先駆だった「鳩サブレー」
——鳩サブレーが誕生したのはいつですか?
宮井さん:
豊島屋は明治27年(1894年)に和菓子屋として創業しました。鳩サブレーが生まれたのは、創業から3年後の明治30年(1897年)頃です。豊島屋の初代店主の久保田久次郎氏が、ある日、来店した外国人にもらった焼菓子を食べたのがきっかけでした。
初代は、初めて食べた焼菓子のおいしさに感動。この味をみんなにも食べてもらいたいと、豊島屋でもつくることにしたそうです。ただ、今とは違い当時は材料となるバターは珍しいものでした。近場では手に入らないので、わざわざ鎌倉から横浜まで買いに行っていたそうです。
苦労して完成させた鳩サブレーでしたが、当初はまったく売れませんでした。まだ世間にバターの味や香りが浸透していなかったのです。見たこともない、食べたこともないお菓子ですから、手に取りにくかったのではと思います。
とにかく鳩サブレーのおいしさを知ってもらおうと、近所の人たちに配ったりしていたそうです。ただ、評判はいまいちで、「バタくさい」「油っこい」と言われ…。「食べずに、犬のエサになったこともあったらしく、頑張って作っている初代があまりにも不憫で言えなかった」と初代の奥さんがおっしゃっていたエピソードが残っています。
——そこからどうして人々に知られるようになったのですか?
宮井さん:
発売から10年ほど経った頃、ある小児科医の先生が新聞で鳩サブレーをおすすめする記事が掲載されたのです。内容は、「バターがたっぷり入った鳩サブレーは栄養があり、離乳食にぴったりだ」というものでした。これがきっかけとなって、鳩サブレーの魅力が伝わり、赤ちゃんから大人まで幅広い世代の方に親しまれるようになりました。
——不遇の時代が10年もあったとは驚きです。鳩サブレーは離乳食としてどのように食べていたのでしょうか?
宮井さん:
残念なことに、1923年の関東大震災で会社が甚大な影響を受け、当時の詳細な記録がすべて消失してしまいました。想像ですが、牛乳につけて、柔らかくして子どもに食べさせたりしたのではないでしょうか。
120年間にわたって伝統の配合比を守り続ける
——誕生してから120年以上経つ鳩サブレーですが、その間にどのように変わったのでしょうか?
宮井さん:
実は誕生から使っている型は同じ、つまり形も大きさも変わっていません。さらに、小麦粉、バター、砂糖、卵などの材料を使っているのですが、材料の配合比もずっと同じです。鳩サブレーはこの配合比でつくるからこそ、鳩サブレーなのです。
それだと味も昔から変わっておらず、バターくさいままでは?と思いますが、材料の品質は時代を追うごとに良くなっています。原材料が良くなって、鳩サブレーの味もさらに美味しくなっていると思います。
今ではバターや小麦は鳩サブレーに合った、より良いものを選んで使用しています。
——そもそもどうして鳩形なのでしょうか?
宮井さん:
鎌倉には鶴岡八幡宮という神社があります。昔から初代が崇敬している神社で、そこにちなんだ形にできないかと考えました。
鶴岡八幡宮の本宮には「八幡宮」と書かれた額が掲げられていて、その八の字は「二羽の鳩」で表されています。また鳩は「神の使い」とも言われています。
そのため鳩の形になったようです。
——今ではそれが鎌倉のお土産としてすっかり浸透したんですね。
そうですね。弊社は昔から広告をほとんど出しておらず、「鳩サブレー」が広まったのは本当に皆さんの口コミのおかげなんです。
たくさんの人たちが豊島屋の黄色い袋を持って鎌倉を歩いてくださっています。外国人観光客の中には「あの袋はなんなんだ?」と不思議に思い、わざわざネットで調べて買いに来てくれていた方もいらっしゃいます。
あと、鎌倉が有数の観光地であったことも大きいと思います。地元の方をはじめ、鎌倉を訪れた方々が豊島屋の「鳩サブレー」をここまで大きくしてくれたと思っています。
——宮井さんは長年、鎌倉の街を見てきたと思うのですが、鎌倉のいち押しスポットがあったら教えてください。
宮井さん:
やはり「鳩サブレー」の形の由来にもなった、鶴岡八幡宮でしょうか。今は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送に合わせて、鶴岡八幡宮内にある「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」でドラマにちなんだ展示もしています。豊島屋でも期間限定で「鳩サブレー大河缶13羽編」を販売していますので、ついでにぜひ豊島屋に寄ってもらえたら嬉しいです。
取材・文/酒井明子