子育てに必死になるあまり追い詰められ、自分を責め続けてしまう…そんな母親は少なくありません。

 

「無印良品」の商品開発に13年間携わったのち、2018年に整理収納アドバイザーとして独立した水谷妙子さんも、そんな経験をもつひとり。現在はお片づけのプロとして活躍する水谷さんですが、第一子を出産した当時は、片づけが手につかないほど育児に悩む日々でした。

水谷妙子さん

完璧主義・弱音を吐けない・人を頼れないという性格から、「第一子の育児は極限状態の連続だった」と語ってくれた水谷さん。

 

今回は、第一子出産でのちに「産後うつかもしれない」と思い至るほど悩んだ体験をふまえて、第二子出産に向けて夫婦で取り組んだ「育児変革」と、復職に対する思いについて伺います。

「私は誰かの役に立っている?」と、ふと不安に

── 第一子出産後、慣れない育児の日々に悩むなかで、夫の「無理しなくていいよ」という言葉に精神的に救われたと話されていましたね。その後、感情はどう変化しましたか?

 

水谷さん: 

仕事に復帰したくてたまらなかったです。夫は朝から会社へ行ってしまうから、日中はずっと赤ちゃんと2人きりで、大人と会話する機会がなくて。家庭とは別の社会が自分の生活にまったく存在しないことが苦しく、わが子は愛おしいけれど、育児だけに専念する生活が向いてないかも…と自分の性分に気づきました。

 

育児と家事をしていても、ふと「私は誰かの何かの役に立ってるのかな?」と不安になるんですよね。出産前は、会社で役に立つことが自分の存在意義であり、仕事に対して報酬をもらうというわかりやすい図式がありましたから。

 

そういうことに飢えていたんでしょうね。次第に「誰かに認められたい」という欲が出てきました。

水谷妙子さん宅のインテリア

── そういったお話は、育休中のお母さんからよく聞きますね。復職はいつから?

 

水谷さん: 

それが、申し込んでいた保育園はすべて落ちてしまいました。仕事がしたいのに保育園に預けられない、どうしよう…!ってまた悩みが増えてしまって。最終的には長女が1歳2か月のときになんとか小さな保育園に入れて、ようやく復職できたのですが。

 

── それは大変でしたね…!復職後のことも教えていただけますか。

 

水谷さん:

時短勤務の9〜16時で働きました。16時になったら会社を出ると同時に頭を切り替えて、子どものお迎え、入浴、ご飯、寝かしつけ、明日の準備…と怒涛のタスクをこなして、力尽きて寝る毎日でした。

 

勤務時間で考えると出産前と比べて2時間少ないだけなのですが、体感としては仕事に費やせる時間が2分の1くらいに減ってしまった感じで…。最初は求められるものに100%応えようと思うのですが、次第に「これを完璧にやるの、いまは無理!」と思うようになりました。

 

いま振り返ってみると、このときの考え方の変化が、自分のなかで大きな変わり目だったかもしれません。子育てに対しても、仕事に対しても、いい意味で「あきらめること」ができるようになったというか。保育園に預ける生活にも慣れてきて、子どもとの距離感もうまくつかめるようになってきました。

第二子出産後は「夫婦シフト制」で夜泣き対応

── 第一子出産から約2年後に、第二子を出産されたそうですね。一度、産後うつのような精神状態を経験をしたことで、第二子の妊娠・出産に不安はなかったのですか?

 

水谷さん:

私自身は、第一子の産後が精神的にキツかったことから、2人目を考えていなかったんです。「またああなってしまったら…」と考えると、もう無理かなって。妊娠中も産後も、母親の負荷は心身ともに大きいですから。

 

だけど、夫は「きょうだいがほしい」と言っていて。妊娠前に、夫婦で何度も話し合いました。私はせっかく復職したのに、また産休・育休をとることになる。子ども一人でも大変なのに、もう一人産んだらそれがどれだけ大変になる?…と延々と。

 

その結果、出産前に夫婦間で取り決めをして、夫にも育休をとってもらうことになりました。

水谷妙子さん

── 第二子は育児の体制を変えることにしたのですね。旦那さんの会社は育休がとりやすかったのですか?

 

水谷さん:

いえいえ。2015年当時、夫の前職の職場には育休制度があったものの、誰も使っていない状況でした。なので、育休制度を使ったのは夫が初めてだったようです。とはいえ、長期で休むのは難しく、5月中旬の出産に合わせて5月末まで育休。8月末まで、時短勤務を組み合わせてくれました。

 

そのおかげで、第二子出産後は、夜間の対応を夫婦で「完全シフト制」にすることができました。夫は21時~深夜2時か3時まで上の子と寝る。私は下の子の頻回授乳をして、深夜2時〜3時になったら夫とバトンタッチ。そこから朝までは私が睡眠をとる、というルーティンです。

 

そうすると、夫もわかってくれるんですよね。「全っ然、寝ないよね!?」って(笑)。そこで初めてふたりで愚痴を言い合えたというか、やっと共感できたというか…。第一子のときはひとりで抱え込むことしかできなかったけど、育児の大変さを、心の底から夫婦で分かち合えた気がしました。

 

── それは嬉しいですね。水谷さんが、自分のためにした準備はありましたか?

 

水谷さん:

第一子のときは精神的な負担が大きかったので、そうならない環境をどうすればつくれるか、ずっと考えていました。その結果、思いついた解決策が、「人に頼ること」と「共感できる仲間をつくること」でした。

 

「人に頼ること」は以前より夫に頼れるようになったので、いったんは解決。「仲間をつくること」について考えていたときに、あるブログを思い出したんです。

 

第一子のときは誰にも弱音を吐けず、いろんなブログを読み漁っていたのですが、たまたまたどり着いたのが産後ケア教室を開催している「NPO法人マドレボニータ」のインストラクター・吉田紫磨子さんのブログで。

 

ご自身の産後うつについて綴っていたのですが、文章がすごく面白くて前向きになれたんですよね。第二子の産後にはぜひ通いたいと思いつき、産後2か月から産後ケア教室に通うことに決めました。

 

「マドレボニータ」では産後の運動をしたり、参加者同士で自分自身のことや子育てのことを話し合う時間があります。そこで悩みや愚痴を互いに吐き出せたのが、すごくよかったです。

 

参加者のなかには小学生のお子さんがいるママもいて、話を聞いていると世界が広がっていくんですよね。いままであまり出会わなかった方々とも出会えて、すごくいい経験ができました。

水谷妙子さん

── 第一子のときは、気軽に話せるママ友はいなかったのですか?

 

水谷さん:

当時は、出産経験のある友達は近くに住んでいなかったし、ママ友のつくり方や距離感の取り方もわからずにいました。

 

一度、助産師さんのケア施設で知り合ったママの家に誘われて遊びに行ったのですが、その人は育児に対する確固たる価値観をもっているタイプ。話していると「あれがいい」「これはダメ」と指摘されることばかりで、自分の選択が正しいのか不安になって…。そんな経緯から、人と距離を置くようになってしまっていたんです。

 

── 第一子でできなかったことを、第二子のときには準備できたんですね。

 

水谷さん:

はい。そんなふうに念入りに準備をしたおかげか、第二子出産後は心身ともに安定していて、自分でも驚くくらい、気持ちに余裕がありました。

 

育児をひとりで抱えず、夫と分担できたこともそうですし、「同じ心境の仲間がいる」って思えたことが本当に心強かった。完璧主義だった自分が「できないものはできない」と思えるようになったのも、大きな変化です。

 

 

復職を経た第二子の産後は、事前の準備のおかげもあり、少しずつ心の余裕が生まれたと話す水谷さん。次回は、家事・育児をラクにするためにプロのお片づけサービスを利用した体験と、第三子の出産、復職を経て独立したお話を伺います。

 

PROFILE 水谷妙子さん

夫と9歳の長女、6歳の長男、4歳の次男の5人暮らし。  武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業後、無印良品で生活雑貨の商品企画・デザインを13年間務める。2018年、整理収納アドバイザーとして独立。著書に『水谷妙子の片づく家 余計なことは何ひとつしていません。』(主婦と生活社)など。

取材・文/大野麻里 撮影/木村文平