中学生のトニーニョくんと3人で暮らす、漫画家の小栗左多里さんとジャーナリストの夫・トニーさん。

 

夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から感じたことや自分の幼少期の体験を、それぞれに語ります。

 

今回は「スマートフォンとテレビ」について。小栗さんはトニーニョくんに課したルールのなかで、後悔していることがあるようです。その内容とは?

スマホに対する「厳格な制限」に抵抗しなかった小学校時代

「子どもにいつから携帯を持たせるか?」は、この世の難問のひとつだ。

 

うちの場合は、前提として夫婦ともに携帯電話(ガラケー)を持つのがとても遅く、スマホへの切り替えも遅かった。理由としては、家にいてパソコンを使うことが多いというのが大きい。

 

息子の小学校時代はベルリンで、彼の同級生は小学2年からひとり、ふたりと持つ子が現れ、年々増えて小4ではかなりの子が使うようになっていた。本人も欲しかったに違いないのだけど、あまり「欲しいアピール」がなかったため、そのまま過ごしていた。

母は「そろそろ持たせても」一方で父が断固反対し…

私は「いつ与えるか」にあまりこだわりはなく、自分の経験からして「みんなと同じにしたい、話題についていきたい」という気持ちはわかるので、クラスの過半数が持つようになった時点で「そろそろいいかな」と考えていた。登下校は送り迎えしていたけど、少しの間でも外でひとりで行動をするときにとても心配だったということもある。

 

あまりに夢中になってしまうのも困るし、何より私のように眼が悪くなってしまうのは避けたいけど、そのへんは話し合った上で管理すればできそうな気がしていた。というのも、息子はわりと言うことをきくタイプだからだ(言うことを聞くのが「最高」とは思っていない)。

 

一方、トニーは私に比べて厳格で「持つのは遅いほうがいい」という信念があり、トニーニョの学校関係など面倒を見る時間は私より多かったので、この問題に関しては彼が主導権を握っていた。というか、ふんわりした意見と確固たるそれだと、「確固たる」が勝つ。

 

そうして、クラスで息子ともうひとりだけが持っていない状態になった小5の頃、トニーがガラケーからスマホに変えることにして、ガラケーを息子に譲った。さっき息子に聞いてみたら「マイナスの状態がニュートラルになっただけだったな」って言ってたけど。

小栗さん連載イラスト1

息子のために入ったトークアプリのグループで教師が激怒

それはそうだろう。そのときにはすでに、トークアプリ「What’s up」内にクラスのグループがあり、やりとりはそこがメイン。担任の先生も入っていて、宿題などはそこで確認しあったりしていたのだけど、なにせガラケーで「What’s up」は使えない。なのでトニーがグループに入って、それを息子が見ることにしていた。

 

しばらくすると、トニーは担任の先生に呼び出された。「なぜ父親がクラスのグループに入っているのか」。先生はカンカンだったらしい。怒っている理由は「子どもたちのプライバシーを侵害している」ということ。日本ではちょっと考えられないことだ。

 

でもベルリンでは歴史の影響か、子どもであっても個人のプライバシーを守ることに関してはかなり厳しい。「持ち物検査」なんてもってのほか。法的に禁止されているようなもの(例えば大麻)を持っている疑惑があっても、生徒のカバンを調べたなんて聞いたことがない。学校の柵に監視カメラを設置しようという提案もかなり反対にあい、実質「撮ってるけど録画しないカメラ」となった。

 

ということで大変だったのだが、うちの場合は連絡手段がほかにないので、トニーが先生を説得して「父親は絶対に見ない」という条件で、なんとかグループには残れた。そして親と一緒にいるときにそれを見るくらいで、ガラケーも寝る前に私が預かったし、問題はなかった。ひとりのときは、ガラケーに入っているただひとつの超シンプルなゲームはやっていたと思うけど。

息子にとって、より深刻だったことは

しかしトニーニョにとって、携帯よりもっと重要だったのはテレビだったようだ。この頃は年齢もあって、ほとんどの子がテレビの子ども番組を観ていた。私は、テレビを観るのもドイツ語習得に役立つだろうから買ってもいいと思っていたが、トニーは信念で「うん」と言わなかった。「確固たる」強い。

 

息子はみんなが観ている子ども番組の話についていけなくて、たいそう悲しかったらしい。ネットでその番組を検索し、アップされている分は観せていたが、最新のものではないので、「昨日のあれ観た!?」には答えられなかったのだ。

 

ここでも彼は強く主張しなかったので、そこまでではないのかと思っていたが、聞いてみると今も悲しさがありありと蘇るようだった。「えー、じゃあもっと暴れたりすればよかったのに」と言うと、「なんか、そんなことできない」。父にも母にも見当たらない「控えめ遺伝子」を、彼はなぜかたんまり搭載している。

中2の息子は今、スマホもテレビもあまり必要としていない

さて、息子が中2になる頃に日本に帰ってきて、彼にもスマホを買い、授業でパソコンも使い始めた。日本でもテレビはないけれど、今はもう観たいとも言わない。ゲームもスマホもあまりやらず、パソコンを触っている時間が長い。

 

…で、難問の答えは?うーん、やっぱり難しい。本人の性質や、ひとりっ子かきょうだいがいるかでも違うだろうし、息子が育った何年か前とはすでに状況が違っている。

 

私がちょっと後悔しているのは、週1回くらいテレビ番組を観せてあげればよかったなということ。もっと子どもの気持ちを確かめて、もっと話し合えばよかった。場合によっては、テレビ買うって私が暴れてもよかった。いや暴れなくても小さなのを買って、私の部屋に置く手もあったのだ。そのときの辛さをわかってさえいれば。

 

今振り返れば、お互いにもう少し納得のいく結果にできたような気がする。息子には、気持ちを言葉にしたほうがいいと言い続けている。結局は昔からある問題と同じように、話し合うということが重要なんだろう。よく、その子を見る。そして話す。その繰り返しだと思う。まだしばらく続く。よーく、よーく、見てみよう。

文・イラスト/小栗左多里