「推し」という言葉を、あちこちで見かけるようになりました。推しとは、人にすすめたいほど気に入っている人やものを意味する言葉です。

 

例えば、好きなアーティストやキャラクター。そんな「推し」を追いかける行動は、巷では「推し活」と呼ばれています。それってどんな行動で、どんな感情なんでしょう。

 

そこで今回は、自身の推しに対する思いが強すぎて推しの心理を分析&言語化し、コラム本『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』の出版までに至ったという、ライターの横川良明さんに取材。

 

気になる「推し活」というものについて、お話を伺いました。

自分の語彙力を、マイナスではなくプラスに表現したらすごい楽しい

—— 著書では「推し」の心理をとても分析されていますね。

 

横川さん:

ははは、憶測を並べただけなんですけどね(笑)。僕はタイプ的には「言語化するのが好きなオタク」でして。イケメン俳優を見ると何でこんなに嬉しい気持ちになるのかを分析し、文章として表現しました。

 

僕自身、ずっと圧迫的な人生を送ってきたんで…。好きなもの=推しに対して「好き」と言えることが、とても幸せだと思っています。

 

—— 圧迫的人生とは?

 

横川さん:

90年代くらいから、イケメン俳優に対してキャッキャするカルチャーが自分の中にはあったのですが、男である僕がイケメン俳優が好きということを揶揄する意見も多くて。僕自身のキャラクターもあったのかと思いますが、僕が推している人がからかいの対象に合ってしまったり。

 

自分のことを言われるのは別にいいのですが、自分が好きな人を悪く言われることがめちゃくちゃ耐え難い!と思ってしまって…。自分が好きな人の話をあまり大声あげてしてはいけない、僕は少なくともそういうことを言ってはいけない属性の人間なんだ、みたいな呪縛がありました。

 

—— それが「自分の好き」を全面に出す今のスタイルになったのは、ご自身で変えていったのですか?

 

横川さん:

人って、なかなか自分では変われないと思うんです。誰かの評価がないと。だから仕事として携わるまでは、割と隠していた感情ではあったんですけどね。

 

僕、もともとはお堅い系の文章を書くライターをしていたのですが、やはりエンタメ自体が昔から好きだったこともあり、イケメン俳優の考察についてなどを書くようになって。見る人がそれを面白がってくれて、お褒めの言葉をいただいたりというのが経験としては大きかったですね。

 

そのきっかけで、自分の好きなものを同じように好きな人と、繋がる機会に。すごい、ハッピーな体験でしたね。それまでは僕の毒舌キャラを面白がってくれる人も多くいましたが、自分の語彙力をマイナス面をもつ毒舌でアウトプットするよりも、プラス面しかない「好きなもの」について書く方向に持ってったら、誰もイヤな気がしないし、意外に楽しい、いや、すごい楽しい!となった。

 

—— 好きなことを共有できるって、すごく楽しいですよね!

 

横川さん:

僕の文章を読んでくれた人から「わかります、言語化してくれてありがとう」といった反響をいただいて。そういっていただけると僕自身もハッピーで。相乗効果で、どんどん「オタク化」していきました(笑)。

同じ「沼ハマ」同士、老後を過ごす時代が来る!?

—— 昔は「オタク」という言葉はどちらかというとネガディブさがありましたが、今はそうではなくなっている。そういったことも考察されたりしますか?

 

横川さん:

そうですね、最近では「オタク」はファッション化されてきたと思うんですよ。2000年代くらいまでは、オタクとギャルは、あまりよくないイメージがありましたねぇ。なんだろう、基本的にはちょっと一段下に見られてしまうというか。

 

ただ、オタクとギャルの共通項は「自分の好きに正直」ということだと思うんです。世間の声に縛られない。自分は自分。みたいなのがすごくある気がします。きっとそれがこの閉塞的な世の中で、まぶしくみえるんでしょうね。だから、みんなオタクやギャルに憧れるのかなと。マインドだけでも、そういうふうに暮らしたいじゃないですか。

 

SNSのいいね数を競うのではなく、いいねがつこうがつかなかろうが「これが好き!」があるほうが幸せ、ということにみんな気付きはじめているんじゃないですかね。推しは、悪意と嫉妬とマウントが充満するこの現代社会における、最大なデトックスだと思います。

 

—— 周りの「楽しそう」を覗けるのは、SNSの特徴でもありますよね

 

横川さん:

そう、SNSが出てきたことによりオタクの楽しさが可視化された、と僕は思っていて。いままでネガティブなイメージでオタクと見られていた人が、SNSで推し活を発信すると「あれこの人の人生、すごい楽しそうじゃん」と可視化された。で、「いいな〜たのしそう〜私もオタクになりたい〜誰かを推したい!」といった対象になったのではないでしょうか。

 

バカみたいに好きなことを栄養にして、追っかけて生活してみたい。閉じこもった自分を解放する手段として、オタクっていいかも。というのをみんなが感じているのかなあ、という気がしますね。

 

—— かつてはなぜ、オタクが影の存在だったのでしょうね?

 

横川さん:

昔はオタクとは、例えばですけど、デブで部屋にアニメのポスターが貼ってある引きこもりの人物像…といったような、少しネガティブな要素のある偏見も多かったと思うんです。個人的には本人が幸せならそれでいいと思うんですけど、少なくともそういう人に「オタク」とレッテルをつけて、社会的に良くないものとする風潮があった。

 

それが今では、イメージががらっと変わりました。ネガティブなイメージではなく、それどころか、推し活を通じてキレイになる人も多い。だから、オタクを楽しむ=推し活が、いいイメージにシフトしたのではないかと僕は思います。

 

—— オタクの在り方は、これからも変わっていくんでしょうか

 

横川さん:

うーん、僕自身は方向性自体は、なんとも分からないですが…。もしかしたらね、今やってることが時代錯誤になることもあるかもしれないですね。

 

でも、これからの時代も、オタクという存在がマイナスであることにはならない気がします。エンタメの誰かに夢中になって、日々のストレスを発散する。とっても、いいことだと思います!

 

最近ちょくちょく言われるのが、オタク老人ホーム的な感じで「『同じ沼にハマってる』人同士で暮らす」のような、コミュニティがどんどん盛んになるいう話もあるとか。

 

僕自身はシングルなので、ふと老後どうするんだろうなぁ、なんて考えちゃうんですよね。でも、家族がいたって、旦那さんとぶっちゃけ連れ添ってるかわからないじゃないですか。いつかひとりになる、って、みんななんとなく思ってるところあると思うんです。

 

じゃあ、そのときに誰といる?となったときに、好きなことで繋がってる人とワイワイしながら、終の住処みたいなのがつくれたら、最高にハッピーなんじゃないかなと。

 

私たちが望む人生の最期を迎える新しいコミュニティとして、推しと繋がれる仲間たちとのコミュニティ、みたいなのは今後増えていくんじゃないかな。僕は、ぜひ参加したいなと思いますね。

好きなものが一緒なら、ずっと友達でいられる

—— 好きなことが一緒だと、一緒にいて楽しいですもんね。

 

横川さん:

これだけ「推し」という概念が広がったのも、これまでは友達って、学校やクラス単位で友達をつくるのが、ほとんどだったじゃないですか。そこって、ぶっちゃけ趣味とか関係なくて、強制的に振り分けられたなかで、つるむことになる。そうすると、ちょっとずつ合わないことがでてくるのは当然だと思うんです。

 

社会に出ても、家庭を持つ、子どもを産む…といった、フェーズごとで疎遠になっていくことってやっぱりありますよね。

 

でも、好きなものが一緒の友達っていうのは、割とどんなフェーズになろうが、変わらず繋がっていられるんです。自分がお母さんだろうが、相手がシングルだろうが、関係ない。

 

だからSNSで繋がってるオタク仲間のほうが近況を知っているし、普通に盛り上がれる。いちばんゆるく繋がってられる。ライフスタイルの変化に影響されないし、繋がりとして「好きなもの友達」ってのは、あるんじゃないのかなと。それに介在するのが「推し」の存在だったりすることって、十分あり得ると思います。

 

「好きなもの」で繋がれる人間関係って意外と少なくて、だからこそ、心地いいんですよね。

 

PROFILE 横川良明さん

イケメン俳優オタクでもあり、エンターテイメントを中心に広く取材・執筆を手がけるライターとして活躍。著書に『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)。

取材・文/松崎愛香 写真/田尻陽子