「年を重ねると女子アナは画面に出る機会が減っていくんですね。若い人にシフトしていくので。そこで積み上げてきた財産のような経験を価値と認めてもらえないのは寂しいなと。頑張れば頑張るほど何が残るんだろうと思いました。職人は経験が財産として積み上がっていくんですよね。一生、財産を積み重ねていける仕事ができたらいいなと思いました」
そう振り返るのは、NHKアナウンサーから伊勢根付職人に28歳で転職した梶浦明日香さん(40)。厳しい伝統工芸の世界で「できていないと思うことは毎日」と思う葛藤の中、12年間修行を続けています。その仕事にかける思いとは──。
後継者のいない伝統工芸の世界を取材し「守りたい」と門を叩いた
── アナウンサーから根付職人になったのは28歳のときと聞きました。
梶浦さん:
ずっと伝統工芸の職人さんを取材してきて、どの作品も素晴らしくて、知れば知るほど、こんなに素敵なものがあるのかと思っていたのですが、どこも後継者がいなかったんです。
こんなに素晴らしい日本の宝が目の前にあるのに、今ならまだ後継者がいれば守れるのに、このままいったら、ほぼすべての伝統工芸がなくなってしまうと思いました。
どの職人も食べていけないから、無責任なことができないと言って、弟子をとらない姿勢になっていたんですね。でも素晴らしい技術で、これこそが日本が未来に残す宝だと思ったんです。
大学時代、観光学を学んだので、日本が生きる道は観光業だろうと思っていて、そう思うと観光という資源を活発化するには地域ならではの個性が大事。その一翼を担うのが伝統工芸だと思ったんです。今、守らないとと思いました。
アナウンサーは天職だと思っていた
── とはいえ、思いきった行動に出られたのではないでしょうか。
梶浦さん:
そうですね。アナウンサーは楽しくて、天職だと思っていました。なんて素敵な仕事だろうと思えば思うほど、休日も取材に出かけるほどに夢中になってやっていました。
一方で、年を重ねれば重ねるほど、未来が少なくなる気がしていました。一生懸命やって技術や能力が上がるのに、やれることが減っていくのは寂しいなあと。経験が財産になり、一生財産を積み重ねて行ける仕事ができたらいいなと思うようになりました。
── やれることが減っていくとはどういうことでしょうか。
梶浦さん:
アナウンサーは人の前に出ることがメインです。年を重ねると画面の前に出る機会は減っていくんですね。若い人にシフトしていくので。そこで重ねてきた経験は職人と比べて価値と認めてもらえないのは寂しいなあと。頑張れば頑張るほど、何が残るんだろうと思いました。
── アナウンサーになるために、学生時代から頑張ってこられたと聞きました。
梶浦さん:
はい。アナウンサーになりたくて、学生時代からテレビ埼玉でフリーのアナウンサーとしてお昼の情報番組をやらせていただきました。女性2人のキャスターで番組を回していて、そこでの予習復習、他にも専門学校も3つぐらい行っていて、大学も行って、バイトもしていて、どんどん忙しくなって。ある日、起きたら立ち上がれなくなって、呼吸がおかしくなったこともあります。
── そんな体験をするほどの努力を経てアナウンサーになったんですね。
梶浦さん:
アナウンサーになったときは、普段絶対会えない人にも会えるわけで、なんて恵まれた仕事なんだろうと思っていました。
綺麗にニュースをスタジオで読む仕事にはあまり楽しさを見出せませんでしたが、いろんな人に会いに行って、生き様を紹介することにやりがいを感じていました。なんて素晴らしい仕事なんだろうと思っていました。
作品に生き様が出るところが「すごくいいな」と思って
── そこから自分が職人になるとは、他に理由はあったんですか。
梶浦さん:
職人の素晴らしさもそうですし、一生成長っていう生き方が素晴らしいなと思っていて。師匠は作品に「性が出る」というんですが、作品には生きてきた生き様が出るんですよね。だから一生成長。それが若さに価値がある職業だった私からして、すごくいいなと思ったんですよね。
すごくかっこいいなと、そういう生き方をしてみたいと思いましたし、師匠は老若男女、海外の人とも助け合って、分け隔てなく接していて、その生き方にも惹かれました。考え方、人となりも含めて、こういう人の元で修行できたら自分の人生ってよりよくなるのかも知れないと思ったんですね。
── 失礼な質問ですが、お金の心配をしたりはしませんでしたか。
梶浦さん:
元アナウンサーってフリーの司会業で稼げるんですね。だから最初のうちはそうしていたんですけど私が副業で生計を立てなければいけないとなると、後輩は職人の世界に入ってこれないなと思って、司会業はやめました。
主人もいたので生きていける部分はあったけれど、特別な能力があるからこの仕事ができるというんじゃなくて、本気になって目指したら、誰でも生きていける仕事なんだと背中で見せたいと思いました。
覚悟があれば根付に限らず、独り身でも食べていける職業です。職人の仕事だけで生きている人もいます。でも別の仕事も一緒にしている人は「そっちが忙しくて」とやめてしまうことも。本当にしんどいのはこの世界に入って5年ぐらいで、そのまったく収入がない時代を乗り越えられれば、田舎で最低限、のんびりした暮らしはしていけると思います。
「好きなことだから稼げなくていい」は違う
── 「好きなことを仕事にしていいね」と言われることに違和感があったともブログに書かれていました。
梶浦さん:
「好きなことをしている」と言われると、遊んでいるように見えるんですよね。もちろん、遊んでいるように楽しんで仕事をするのはいいと思うのだけれど、それが「好きなことだから稼げなくてもいいよね」という空気感になると違うと思っています。夢中でやるからこそみんなが稼げるべきだと思っています。
夢中になって、人生かけてやっている人ばかりなので、もっと胸張って稼げたらいいなと思っています。一生懸命やっているから報われる社会であってほしいし、報われるようにしたいと思っています。
目の前のことに向き合って「辞めない」
── 伝統工芸の世界は技術が奥深いですが、技術への葛藤などはありますか。
梶浦さん:
いっぱいあります。今でもあります。どちらかというと最初の頃の方が楽しくやれていたんだと思います。最初はどんどん成長するから、すごく楽しかった。
けれど、成長と同時に、目が肥えていくんですよね。すると自分の作品がすごく拙く見えて、情けなくて仕方ないという気持ちにもなります。
私たちのライバルって過去の歴史上の名工でもあるのです。今生きていない方が作った作品との勝負なので、情けない、ここができてない、アイデアがないとか、そういうことばっかりですね。
── そこはどう乗りきっているんですか。
梶浦さん:
そうですね。情けないとは思うけれど、いろんな人が応援してくれるから、注文してくれるものは、今できる精一杯の実力で作ろうと思っています。
今なら家紋を彫っていますが、根付ってたくさん触って摩耗して飴色になると価値が上がるって言われるんですね。
だから、窪ませたり、触った時に気持ち良くなるようにできるかなとか考えています。一つ一つ目の前のことをクリアすることで、なんとかやめずに続いているという感じです。
── 目の前のことに向き合っているんですね。
梶浦さん:
師匠でさえ成長途中だと言いますし、ライバルが過去の名工だと、将来が果てしなく思えてしまいます。
そこまでたどり着ける気がしないとなってしまいます。
本当にいろんな人によくしてもらっているからそんな時も「辞めたいなんて、そんなこと言えない」って思います。戻りたいとか考えたことはないですね。この現状から逃げ出したいと思っても、本当によくしてもらっているので、やめたいとは口が裂けても言えない状態ですね。
本当に技術も惜しみなく教えてくださり、人としても師匠からは成長させてもらっています。
そして、若手の職人を育てようという意識がある方が未熟な私の作品を買ってくださっていると思うんです。私がもし辞めたら、後継者がいなくなる伝統工芸の世界を守ろうとしてくれているお客さんたちの応援の気持ちも全部裏切ってしまう。そう思うと、やめられないと思います。
── 嬉しいときはどんなときですか。
梶浦さん:
お客様が販売会などで、以前買った根付を使いこなして良い「なれ」(色合い)にして持ってきてくださることがあるんです。
大事に買ってから使ってくださっていたんだなと思うんですね。ちゃんと触ってないと色は変わらないので。大事に愛着をもって根付を育ててくれているんだと思うと、すごくやりがいを感じる仕事ですね。
「どういう風にも人は生きていける」
── 強さが眩しいです。転職について悩んでいる方がいたら、どう声をかけますか?
梶浦さん:
どういう風にも人間は生きていけます。都会であっても、田舎であっても、どんな仕事でもできます。なので、どうしても辞めたいときは思い詰めずに転職してもいいし、仕事もせずに少し休むのもいいのだと思います。転職したいと本当に思ったら行動するだろうし、しないなら今の環境が恵まれていると思うので、無理に転職することはないと思います。
「私はアナウンサーとしてこれからのキャリアはないと思って抗えなかった」
── 繰り返しになりますが、ご自身の転職はどう振り返りますか。
梶浦さん:
実は、自分の未来が見えなくなっていたんですよね。NHKは全国転勤もあるし、一生続けるのは私は無理だなと思って。
これからも前向きに楽しく過ごすためにはどうしたらいいんだろうと思ったら、私は「ここじゃない」と思ったんですよね。働き続けることが物理的に不可能だったんです。なんかもう抗えなかったんですよ。運命っていう表現をするとアバウト過ぎるけれど、自然の流れでそうなっていくんだと思います。
辞める人は辞めるし、やれているなら、やれる。
辞める時、人は辞めざるをえない状況に追い込まれるんじゃないかな。私の場合は、伝統工芸がなくなってしまうことを防ぎたいという使命感はあったけど、個人としてもこの先続けていって、ここに私のキャリアがあるのかと思ったとき「ない」と思って、抗えなかったんです。
── 今はご自身の未来は見えますか。
梶浦さん:
そうですね。仲間と伝統工芸を一緒に盛り上げていくことにやりがいを感じていますし、根付という何百年も歴史あるものを引き継がせていただき、それを未来へ繋がせていただいているという思いもあります。
どこかの家族の形見になるような作品を作りたい
── 100年後、梶浦さんの作品はどう言われていたいですか。
梶浦さん:
「これすごく宝物なんだ、背中を押してもらえる存在なんだよね」「ひいおじいちゃんからもらった形見なんだ」とか、そう言われる存在になっていられたらいいですね。
美術館に作品が入るのも憧れるのですが、それよりも、使っている人が形見としてその人の思いも継いで、次の世代に手渡されるような作品になっていて欲しいと思っています。
── 多くの経験が生きているんですね。
梶浦さん:
根付って、たくさん傷がつくと、それはそれで、その人ならではの個性になるんです。手の油で摩耗して輝くのもそうですが、傷はその人ならではの個性であり、財産で、大切な証なんです。根付と同じように傷すらも財産なんだと思って生きられたらいいなと思います。
PROFILE 梶浦明日香さん
岐阜県中津川市生まれ。アナウンサーに憧れ、立教大に入学。在学中からフリーアナウンサーの仕事を始め、卒業後の2005年、NHK津放送局にキャスター枠で採用される。09年に退職し、翌年から伊勢根付の修行を始める。18年にロンドンの日本美術展で大賞を受賞。主にネットで注文を受け付ける。中部地方の女性職人9人によるグループ「凛九(りんく)」の代表。7月から四日市市文化会館で凛九の展示会を行う予定。
取材・文/天野佳代子 写真提供/梶浦明日香