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1歳半のときに、感音性難聴という聴覚障がいと診断された「難聴うさぎ」さん(27)。最近ではSNSを中心に注目を集め、TikTokのフォロワー数は一時、36万人にものぼりました。講演会活動や骨伝導式の集音器のPRも手掛けるなど、活動の幅を広げています。自信を失う時期もありましたが、その発信力でピンチをチャンスに変えてきました──

YouTubeで補聴器について説明するうさぎさん
YouTubeで補聴器について説明するうさぎさん

コロナのマスク着用で不便に…

「最近は、みんなが常にマスクをするようになり、口元が見えなくなったので、相手が何を言っているのかがわかりにくくなりましたね」

 

新型コロナウイルスの流行が始まってからの不便をそう語る難聴うさぎさん。

 

個人差はありますが、聴覚障がい者は周囲の音だけではなく自分の声も聞こえないので、補聴器をつけたり、手話を覚えたりする必要があります。

 

うさぎさんは補聴器を使い、みずからの発音の訓練を重視。相手の話は口元で読み取るようにしてきたので、手話にはあまり力を入れてこなかったそうです。

 

「親の方針もあり、私は幼稚園から高専まで一般学級に通ったので、手話ができる人はいませんでした。

 

ろう学校にも定期的に通っていましたが、普通の会話ができるように努力していたので、手話の勉強を本格的に始めたのはつい最近のことです」

 

そんな中、コロナでマスクの着用が当たり前になり、相手の話も聞こえづらく、口元からも理解できないので、コミュニケーションが取りづらくなったのです。

難聴うさぎさん

小学生の時に強いコンプレックスを…

「今では、難聴であることや、相手にマスクを外すか透明のマスクをしてもらうお願いを、ためらいなく伝えることはできます。

 

でも、小学4、5年のころはそれが億劫で、耳が聞こえないことに強いコンプレックスを抱きました。

 

それまでは、左脚の手術で車イスや松葉杖を使用したので、難聴どころではありませんでした。

 

脚の状態が落ち着いたころに、耳が聞こえないことに、劣等感を抱くようになったのです」

 

うさぎさんは、難聴とは別に斜視の手術や、左脚を伸ばすために針金を何本も通す手術をするなど苦労してきています。

 

「1対1の会話はまだ大丈夫ですが、ワイワイと複数人が話している会話が聞き取りにくかったです。

 

だから、わかっているふりをして、相槌をうったり笑ったりするのがつらかったですね。

 

髪をしばると耳から補聴器が見えてしまうのも、イヤになった時期でした」

難聴うさぎさん

作文コンクールで1位に!

「中・高校時代は自分から友達に電話をかけて、おしゃべりすることが憧れでしたね。

 

そのころの補聴器は今に比べてハウリングもひどかったので、耳元に電話をあてて長時間、話をすることが難しかったです」

 

そんな思春期の悩みから抜け出すきっかけとなったのは、中学3年生のときの「全国人権作文コンテスト」でした。

 

「自分の聴覚がい者としての経験などを書いただけのつもりだったのですが、島根県内で1位に!

 

全国でも15位くらいの成績で、当時の麻生太郎首相からも表彰されました。

 

自分という人間を知ってもらうことに喜びを感じたのは、このときが初めてだと思います」

女性起業家のミスコン「ミス・ビビアナ・ジャパン」では総合4位に
女性起業家のミスコン「ミス・ビビアナ・ジャパン」では総合4位

唯一、自信が持てなかったのは…

“あなたにできないことは、何もない!”

 

両親からそう育てられ、勉強もスポーツも頑張ってきたうさぎさんでしたが、自信が持てない分野もありました。

 

それは、恋愛です──

 

「実は小学校、中学校のときに私から告白したことがありましたが、どちらも断られ、聴覚障がいが原因だとあきらめかけていました。

 

でも、高校生のときに告白した相手からはOKをもらい、彼氏ができたことはすごく自信になりましたね。

 

承認欲求が満たされました(笑)」

会社員時代のうさぎさん
会社員時代のうさぎさん

芸能界に憧れ上京

作文や告白で、障がい者としてのコンプレックスを克服してきたうさぎさん。

 

20歳になり高専を卒業すると、小6のころから憧れていた芸能界を目指して上京します。

 

「芸能事務所のオーディションをいくつか受けましたが、思うような結果ではありませんでした。

 

履歴書に聴覚障がい者だということを書いていましたし、手術が原因で脚の大きさも違うので、影響しているのかなとも思いました。

 

すぐにあきらめるつもりはなかったので、住宅メーカーに就職して、芸能活動は土日に行うことになりました。

 

OL時代に覚えたビジネスマナーや経理の知識は今に生きているので、決して無駄ではなかったですね」

 

その後、会社員や芸能活動に限界を感じ始めていた23、4歳のころ、思わぬ形で世間の注目を浴び、またも転機となりました。

難聴うさぎさん

TikTokを始めてみると…

「TikTokを始めてみたら、バズりました。

 

それがきっかけでスカウトが増えて、自分の条件に合う事務所に入ることになりました。

 

今では、事務所に入ってテレビなどに出演しなくても、SNSでみずからをアピールすることができるいい時代だと思いますね」

 

YouTubeでの配信も始め現在、約12万人の登録者数ですが、100万人を目指しているそうです。

 

「“もっと有名になり、みんなに勇気を与えたい”からです。

 

障がい者の私でも本気で何かを願えば、かなえられるということを証明したいです。

 

そして障がい者と健常者をつないで、両者に関係なく、自分を変えることを恐れ一歩を踏み出せない人に、勇気を与えられるような存在になればと思います」

難聴うさぎさん

自分で事務所を設立「将来は…」

最近は、他の障がい者のYouTuberやTikTokerと知り合うようになり、仕事の橋渡しもするようになったうさぎさん。

 

「ただ、うまくいかない人もいたので、私が直接、事務所を設立して運営したほうがいいのではと思い、昨年の3月に法人を設立しました。

 

今後は自分の活動だけではなく、事務所の経営にも力を入れていきたいと思っています」

 

将来の目標や夢をこう語ります。

 

「モデルや女優が希望ですが、東京ガールズコレクションに出演することが大きな目標のひとつです。

 

そういう場で私を見つけてもらい、後で実は難聴だということを知ったというように、障がいありきではない存在になりたいです」

 

今後、うさぎさんにどんな転機が待っているのでしょうか。

 

PROFILE 難聴うさぎさん

1994年、島根県生まれ。高専卒業後、東京で就職。退職後、YouTubeやTikTokで本格的に発信。事務所・ASTOLTIAを設立。講演会活動や集音器のPRも手掛けている。

取材・文/CHANTO WEB NEWS 写真/難聴うさぎさん