大阪には、がんや麻痺などにより食べることに苦痛を経験した方々が食べる喜びを取り戻すきっかけを作る目的でオリジナルカトラリーを製作する「猫舌堂」という会社があります。ご自身もがんを患った代表の柴田敦巨(しばた・あつこ)さん(47)は「命は限りがあるので、今必要なことをやりつつ、最後は自分が楽しかったと終われるようにしたい」と仕事に向き合っています。

累計1万2000本が売れた「誰もが食べやすいスプーン」

── 「猫舌堂」では、食事が楽しくなるスプーン、フォークを販売されていると聞きました。どういうものでしょうか?

 

柴田さん:
くちびるが感動するスプーン、フォークで「iisazy(イイサジー)」シリーズと言います。いい匙加減で、愛がこもっている意味です。

 

スプーンは通常のものより、幅が狭くて薄くて、平らになっています。離乳食を始めた子供から、高齢者までどなたでも使えます。軽さにもこだわっています。

 

新潟県燕市の職人が手がけたもので、1本税込み1490円で販売しています。2020年2月に会社を設立し、ネット通販などで昨年秋までに約1万2千本が売れました。

 

月見桜シリーズのギフトも好評です。ピンクゴールド、つまり月見桜色のスプーン、フォークなどをギフト仕様にしています。どこにいても同じ月を見上げ、「ひとりじゃないよ」と心が桜色に染まるイメージです。

 

ギフトを選ぶということは大切なひとを想うということです。大切な方、自分へのさまざまなシーンでのギフトに選ばれています。

ギフトとして好評なピンクゴールドのカトラリー「月見桜」シリーズ

顔面神経がまひした経験が起業のきっかけに

── 起業のきっかけをお伺いできますか。

 

柴田さん:
自分のがん治療経験ですね。左の耳下腺に希少がん「腺様のう胞がん」が2014年12月に見つかりました。手術で切除できたのですが、2016年に再発。再手術をしました。そのとき、表情を司る顔の神経も手術したことで、顔面神経がまひし、食べ物をこぼすように。

 

こんな食べ方をしている自分は他人にどう思われるか不安で、人前で食べられなくなりました。

 

ペースト状の食べ物でも、スプーンが大きいとこぼれてしまうんです。逆に子ども用のスプーンだと扱いにくく、カーブが口に引っかかってしまいます。

 

食事がしづらくなったのはもちろんですが、同時に社会との疎外感を覚えました。食べる喜びは、社会との繋がりに深く関係していることを実感しました。

 

イイサジシリーズ

私はもともと関西電力病院で看護師をしていて、がん患者の治療にあたっていたのですが、食べられなくても治療だから仕方がないと我慢しながら食べて生活されている方と多く関わってきました。自分自身の経験を通じて、食べる喜びが生きる喜びに繋がることを実感しました。

 

同じ病気の仲間たちと出会い、交流を深めていく中で、みんな同じように食べることにバリアを感じていると気づきました。その1つがスプーンやフォークなどのカトラリーでした。

 

みんなが笑顔に過ごせる社会にしたい、自分ができることを少しずつしよう。そのために、まずはこの課題を伝えなきゃ、という思いで、関西電力の社内起業チャレンジ制度に応募してみました。

同じ病気の仲間と出会って強くなった

── 仲間が起業を後押ししてくれたんですね。

 

柴田さん:
最初は病気になったことは家族とか近い人にしか言えませんでしたね。心配をかけたくないと思って。

 

しかし、私のがんは10万人に6人未満という希少がんで、情報がないためインターネットで調べていたら、Hamaさんという方のブログにたどり着きました。Hamaさんは同じ病気です。

 

Hamaさんが、腺様のう胞がんの仲間と生きるチーム「TEAM ACC」を立ち上げてくださり、たくさんの仲間とつながることができました。

 

仲間たちとは、「わかるわかる」「あるある」と笑いながらそれぞれの生活でのエピソードを笑い合い、食べこぼしなども気にすることなく一緒に食事の時間を楽しみました。

 

「ひとりじゃないよ。一緒に生きよう」と言ってもらえたことで、心が強くなっていく気がしました。

 

TEAM ACCでは、「猫舌さん」と言うニックネームの仲間と出会いました。猫舌さんは、手術で舌をほぼ全摘していましたが、「舌はないけど猫舌なの」と友達を笑わせる明るくてユニークな方でした。起業チャレンジに応募するときも一緒に企画を練り、応援してくれました。社名は猫舌さんからいただきました。

 

カトラリーについて話していると、今まで当たり前に使っていたものは、もしかして当たり前ではなかったのかも... という発想になりました。

 

自分たちが心地よいものが、結果的にお子様やご高齢者様にも心地良いのではないかと考えています。自分だけが特別ではなく、みんな一緒のカトラリーで食事の時間を過ごすことで、食べる喜びに繋がるのではないかと考えました。

猫舌堂のスプーンとフォークを使っている様子

猫舌堂の起業を応援してくれたHamaさんと猫舌さんは、1月に旅立たれました。2人から受け取ったつながりと絆を大切に、自分らしく生きたいと思います。

柴田さん(左)と猫舌さん

命は限りがあるから

── 柴田さんが今、大切にされていることは何ですか。

 

柴田さん:
仲間からいただいたつながりと絆です。最期は、「あ〜おもしろかったな」と思えるように、自分らしく生きていきたいです。

 

── 今後の目指す活動を教えてください。

 

柴田さん:
コミュニティ作りに力を入れていきたいと思っています。その一環として4月16日に1日限定で食べることに悩みがあっても食事を楽しめるスペース「猫舌堂茶寮」をオープンします。そんな場作り活動にも力を入れながら、ビジネスにつなげていきたいと考えています。

取材・文/天野佳代子 写真提供/柴田敦巨さん