「私のちいさな問いから社会が変わる」を合言葉に、二人の若い女性によって北海道東川町に設立された「人生の学校」。北欧独自の成人教育機関で、試験や成績が一切ないフォルケホイスコーレをモデルにした大人の学び舎に今、学生からシニアまで多世代が集まっています。「人生の学校」に込められた想いとは。
東川町役場に所属する地域おこし協力隊で、「株式会社Compath(コンパス)」共同創業者のお一人、安井早紀さんにお話を伺いました。
良い社会は、自分が歩みたい豊かな人生の先にある
── 安井さんが北海道東川町に設立された「人生の学校」が今注目されていますが、何を学ぶ学校か教えていただけますでしょうか。
安井さん:
はい。名前は「School for Life Compath」と言います。デンマークで「人生の学校」と呼ばれているフォルケホイスコーレをモデルとしている大人の学び舎です。ここでは、学生からシニアまで様々な人が出会い、共に学んでいます。
多様な人が対話を重ね、自分はこれからどうやって生きていきたいのか。自分が歩みたい人生の延長線上にある「社会」をどう変えていきたいのかを考えます。とても簡単に言うと、長い人生の中で一度立ち止まって寄り道をして、自分の心の声を聞き確認する場だと考えています。
日本で暮らす方が参加しやすいように、7泊8日でリモートワークをしながら参加できるワーケーションコースから、1カ月間のミドルコース、3カ月間のロングコース、文通でやりとりを重ねるレターコースなど様々なプログラムを用意しています。
「余白の時間」に衝撃を受け起業へ
── 「人生の学校」を設立された背景について教えてください。
安井さん:
はい。大学の同級生でありCompathの共同創業者である遠又と、会社員だった2017年に「教育の旅」と称してデンマークへ旅行に行ったことがきっかけです。お互いに「教育」への関心が高かったんです。そこで「フォルケホイスコーレ」に出会い、心を揺さぶられました。
そこでは、学生もシニアも「余白の時間」を持つことで自分の人生を見つめ直し、自分らしさを取り戻していました。私も遠又も「これは日本に必要だ。日本につくりたい」と強く思い、気づいたら7時間近く事業計画を練っていましたね(笑)。
── そこからすぐ起業されたのでしょうか?
安井さん:
いえ、当時の仕事も大好きでしたし、帰国してから2年程モヤモヤした期間を過ごしました。仕事をしながらもデンマーク人にヒアリングを重ねたり、小さなイベントを開催したり、様々な人にどうしたら日本にフォルケホイスコーレをつくれるかを相談したりしながら日々を過ごしていました。
でもこれ以上先は調べていても分からないし、誰かの意見を聞き続けてもきっと分からない。ここから先はやりながらじゃないと分からないと感じ「じゃあつくろう!」となったんです。
私が幸せになれることで社会も良くなっていく
── 2年間のモヤモヤ期は必要な時間だったんですね。
安井さん:
そうですね。この期間に沢山悩み考えたからこそ吹っ切れました(笑)。それに、誰かの作った社会の仕組みで働くよりも、新しい場所で新しい価値観をつくっていった方が私も幸せになれる。私が幸せになれることで社会も良くなっていくならばこんなに嬉しいことはないと心から思えたので決めることができました。
東川町の豊かな自然と町の懐の深さがフォルケホイスコーレだった
── なぜ北海道東川町だったのでしょうか?
安井さん:
あるご夫妻と出会ったことがきっかけです。正直なところ、東川町と出会うまでは学校を設立することは夢物語でした。「フォルケホイスコーレをつくりたい」と常日頃口に出して言っていたら、様々なご縁から東川町で養鶏業を営む新田さんご夫妻を紹介いただいたんです。
お二人も20年程前にデンマークを訪れていてフォルケホイスコーレをご存じでした。ご夫妻に私たちの夢を話したところ「本気でやりたいならつくったほうがいい。この町だったらできるよ。」と言ってくれたんです。
そこから先は、新田さんご夫妻を含む東川町のいろんな方々が助けてくれて、最後は町長にまで繋がりました。
── 町の懐が深いんですね。
安井さん:
そうですね。2020年2月にはじめて「人生の学校」の企画書を持って町長に会いにいった時は「新しいし、とても良い企画だと思う。東川町ならコンセプトと合うし、僕たちが目指すまちづくりにも良い影響があると思う」という言葉をくださいました。
東川町は移住者が多く年齢、経歴、出身地もバラバラで、自分の哲学を持っている方々が多い町。そういった魅力的な方々と一緒に、自然豊かなこの町で学校をつくりたいと思いました。
豊かになるためであって、つまずいたからじゃない
── フォルケホイスコーレが日本に根付くためにはどのような課題が考えられるでしょうか。
安井さん:
そうですね。一番大きい課題は「休む」ことに対する精神的、そして体制的なハードルが高いことだと思います。立ち上げ当初、本当に悔しかったのは「そんなに休んだら社会に戻れなくなちゃうんじゃない?」という声が多かったことです。
誰でも人生の中で立ち止まりたいタイミングがあります。でも日本だと立ち止まることが鬱々としたイメージをもたれてしまう。だけどデンマークでは、この時間がとても明るくて豊かなものなんです。若い人からおじいちゃんおばあちゃんまで、立ち止まる時間を人生の大事な時間として過ごしている。この時間があるから人生が豊かになるという意識があるんです。
豊かになるために立ち止まっているのであって、つまずいたからじゃない。今の当たり前を、この意識を変えていく必要があると思います。
「私のちいさな問いから社会が変わる」
── 日本人はまずは立ち止まることに慣れていく必要がありそうですね。
安井さん:
そうですね。日本はまだ、本当はレールなんてないのにまるでレールがあるように思えてしまうような社会だと思うんです。終身雇用制度に代表されるように、長く働くほどメリットがあるなど、一つのところで長く働くことがよいこととされている仕組みもまだありますよね。メリットもあるけれど、可能性を狭めてしまう一面もあると思っています。
だからこそ今、この社会が窮屈だという声は大事にしなきゃいけない。それは社会がよくなる兆しなんです。この学校を、そんな声を大事にする場所にしたいです。
── その思いが「私のちいさな問いから社会が変わる」というコンセプトに繋がっているんですね。
安井さん:
はい。参加される方を見ていて、様々な背景の様々な年齢の方が「この先どうしよう」「私はどうしたいんだろう」「もっとこうなったらいいな」という共通の声を持っているように思います。
参加した方が自分の声に気付き、様々な背景の人と対話を重ね、声をあげられる場所でありたいです。人が自分の豊かさを求める延長線上に、本当の意味での良い社会があると私たちは信じています。
…
安井さんと遠又さんの東川町で起業するまでのプロセスがまさにフォルケホイスコーレを体現しているなと感じました。「人が自分の豊かさを求める延長線上に、本当の意味での良い社会がある」。安井さんのこの言葉がインタビュー後も胸に残りました。
取材・文/渡部直子 写真提供/株式会社Compath