「今年は、震災だけじゃない。長く続くコロナ禍のことも、ウクライナのことも…。さまざまな祈りを込めた演奏会になると思っています」

東北ユースオーケストラ
(写真提供/東北ユースオーケストラ事務局)

2月下旬、福島県に若き演奏家たちが集いました。小学4年生から大学院生まで。幅広い年齢層で構成される稀有なこのオーケストラには、1つの特徴があります。

 

団員がみな、宮城、岩手、福島の出身者なのです。

東北ユースオーケストラ合同練習会
2月、福島県に集まった東北ユースオーケストラの団員たち 

東日本大震災で未曾有の被害に襲われた街から『東北ユースオーケストラ』が生まれたのは2014年。音楽家の坂本龍一さんの1つの願いから誕生し、さまざまな被災体験を持つ子どもたちが集いました。

 

今年3月、3年ぶりに開催される定期演奏会に向け、団員たちは今、心を1つに合わせています。

 

この苦しい時代からこそ、「希望の音」を会場に響かせたい──

 

被災地を思う若き団員たちの思い。そして、彼らが音楽を通じてつなぎたい「願い」とは?

「津波ピアノ」から生まれた若きオーケストラ

きっかけは、一台の「津波ピアノ」でした。

津波ピアノ
(写真提供/東北ユースオーケストラ事務局 撮影/田中宏和)

宮城県名取市、工業高校の体育館の片隅に置かれた一台のグランドピアノ。2012年1月、音楽家の坂本龍一さんがこの地を訪れ、津波に飲み込まれ、泥や土を被ったこのピアノに触れました。押し込まれたまま戻ってこない鍵盤。軋んだ音──

津波ピアノ
坂本さんが初めてこのピアノに触れた時の音は、後に坂本龍一さんの「ZURE」という楽曲で使われた(撮影:田中宏和)

坂本龍一さんと、この一台のピアノとの出会いが、被災した東北3県出身の子どもたちを音楽でつなぐプロジェクト「東北ユースオーケストラ」の、発足のきっかけになりました。

 

坂本さんが最初に立ち上げたのが、東北3県の子どもたちの楽器を修繕し、演奏活動の支援を行う「こども音楽再生基金」でした。楽器の修繕と合わせて、修理された楽器による演奏活動もスタート。13年9月にはスイスの音楽祭の復興イベントに招待され、14年には正式に一般社団法人化して、「東北ユースオーケストラ」が発足しました。

 

団員資格は、宮城、岩手、福島の東北三県の出身者であること。

 

小学校4年生から大学院生まで、100人以上の団員が、さまざまな思いを胸に入団しました。

大川小学校で津波に飲まれたあの子の思い胸に 

東北ユースオーケストラでトランペットを担当する中村祐登さん(26)。 

中村祐登さん
東北ユースオーケストラ一期生の中村祐登さん(26) 

中学3年生、15歳の時に仙台市で被災しました。その日は午前中が卒業式で「家族でなにかおいしいものでも食べに行こうか」と話していた矢先に、経験したことのない大きな揺れに襲われました。

 

仙台市では電気と水道が止まりましたが、自宅に大きな被害はありませんでした。つらい知らせが届いたのは、それから数日後のことでした。 

 

「石巻に叔母が住んでいたんです。叔母の家の前には、長面浦の海が広がっていました。海も畑もあって、ごはんが美味しくて。バスに乗って1人で訪ねるくらい、大好きな街だったんです。震災から数日後に、『叔母さんの家、だめだったって。叔母さんの孫も大川小学校で津波に飲まれたらしい』って知らせがきて…」

中村祐登さん

石巻市にある大川小学校では、避難の遅れにより、児童・教職員84名が犠牲になりました。叔母さんの孫で、当時小学2年生だったRくんも、北上川を遡上してきた津波に飲み込まれ、亡くなりました。

 

「今でも思い出すんです。祖母の法事で会った時にRくんが『トミカが大好き!』って嬉しそうに教えてくれたこと。僕のトミカを2台あげて『次会った時、もっとあげるからね』って約束していたのに…」 

 

震災から1か月後。支援物資を届けるために石巻を訪れ、変わり果てた街の姿に言葉を失いました。孫を失った叔母が抱える痛みに向き合うことも「つらかった」と言います。

 

「叔母はずっと『私が迎えに行ってあげれば…』と後悔を拭いきれないようでした。何年も経った今でも、変わりません。叔母は時折、思い出話をしてくれるけど、『あの子は野球が好きでね。震災前に出た試合で初めてヒットを打ったんだよ』って、ここまで話すと涙があふれて話が止まってしまうんです」

長面の様子
18年3月、団員とともに叔母の家があった跡地を訪れた(本人提供)

叔母にかける言葉を見つけられなかった祐登さんは「結局、自分にはなにもできない」と、被災地に向き合うことを諦めていた時期もあったと言います。

 

「被災当時、僕は家でラジオを聞いてたんです。その間に、叔母は家を流され、大切な孫を失ったのに…。中学生の僕はあまりに無力でした」

 

東北ユースオーケストラに入団してからも「無力だった僕が、被災地を代表して演奏していいのか」という葛藤がずっとあったという祐登さん。 

中村祐登さん
17年3月 石巻市での「追悼と防災の集い」で演奏する祐登さん(本人提供)

しかし、繰り返し被災地を訪ね、大川小学校の跡地にも足を運ぶ中で、気づいたことがあると言います。

大川小学校
18年3月、東北ユースオーケストラのメンバーと大川小学校の跡地を訪ねた(本人提供)  

「あの震災で、同じものを失った人はいない。悲しみも、苦しみも、復興への思いも、100人いたら100通りあるのだと気づきました。でも、被災地で演奏会を重ねるたびに、言葉を超えた『音楽』だからこそ、会場が1つになる瞬間があって…。『元気をもらった』『ありがとう』と声をかけてもらいました。大切なのは被災経験の重さを比べることじゃない。無力感から目を背けることでもない。僕にできる形で、震災に向き合うこと。音と祈りを、届け続けることが大事なのだと気づいたんです」  

石巻での献奏
2017年3月11日 石巻市での「追悼と防災の集い」献奏する祐登さんと団員。坂本龍一さんが作曲した「Litany」を祐登さんが金管四重奏にアレンジして演奏した(本人提供) 

「今年の演奏会は、僕なりの『希望の音』を会場に響かせたい」。そう力強く語ってくれた祐登さんは今年上智大学を卒業し、小学校の教員になります。 

中村祐登さん

「大川小学校は悲しいことがあった場だけど、もともとは、子どもたちの希望溢れる場所でした。月並ですが、楽しい小学校生活をサポートできる先生になりたい。Rくんにも『がんばって』って言われてるのかもしれないですね」

「福島からきました」と言えなかったあの日 

セカンドヴァイオリンを担当する三浦千奈さん(19)は、小学校2年生、8歳の時に福島市で被災しました。

三浦千奈さん
セカンドバイオリンを担当する三浦千奈さん(19)  

「幼かったので、原発のことはよくわかっていませんでした。でも、震災から数日後に、突然『マスクをつけなさい』と言われて。外に出る時は必ず長袖を着て、もう公園では遊んじゃいけないよって。『危ないものが飛んでいるんだ』と頭でわかっても、慣れ親しんだ土に触れないことが寂しかったし、生まれ故郷が変わってしまう感じが悲しかったですね。突然自由を制限される生活は、今のコロナの状況に似ている部分があると思います」

 

その年の夏休みに母方の祖父母が住む熊本を訪れると、母親から「しばらくの間ここに住むよ」と言われ、突然の移住が決まりました。

 

「なかなか心の整理がつかなくて。転校初日は本当に緊張しました。初日の挨拶で、担任の先生が出身地を言わなくていいように配慮してくれたんです。その頃、福島から移住した生徒が全国でいじめにあっているってニュースになっていたので…。配慮はありがたかったけれど、『あ、福島は、人に言えない場所なんだ』と思いました」

 

福島県から来たことは長い間伏せて過ごしました。大好な父親と離れて暮らすことがなによりつらかったと言います。けれど、熊本では思う存分外で遊ぶことができ、友達も徐々に増えていきました。我が子のようの接してくれた祖父母は、クラシックのコンサートに連れて行ってくれるなど、たくさんの「音楽体験」を積ませてくれました。 

三浦千奈さん
祖母と母と撮影した1枚(本人提供) 

「中学生になるときに福島に戻りましたが、気づけば熊本は『第二の故郷』と呼べる場所になりました」

三浦千奈さん
小学校3年生から6年生まで通った熊本の小学校の卒業式で(本人提供)

震度7を観測する熊本地震が発生したのは、千奈さんが福島に戻った直後でした。よく訪ねていた南阿蘇の叔父の家の近くの橋が落ち、土砂崩れを案じる日が続きました。

 

「福島も、熊本も、震災の被害に遭って…本当に理不尽だなと思いました」

三浦千奈さん

3月に開催される定期演奏会では、東日本大震災だけでなく、熊本地震、北海道胆振東部地震、九州北部豪雨などの被災地の合唱団が地域を超えて「つながる合唱団」を編成し、ベートーヴェンの「第9」を演奏することになっています。

 

「演奏会では、いろいろな地域の人たちが災害を乗り越えて演奏しているところ見てもらいたいです。大変なことがあっても、こうして共に音楽を作り上げられるんだよって、その姿を見てもらいたい。」

3年ぶりの演奏会「協調」のメッセージ 世界へ

2月26日、27日に福島県で行われた合同練習会は、団員全員が新型コロナウイルスの抗原検査を受けてから入室するという水際対策を実施して行われました。

東北ユースオーケストラ合同練習会
3月の本番に向けて練習に励む東北ユースオーケストラの団員たち

コロナの感染状況を受けて1月の合同練習が中止になった分、時間を惜しむように練習に取り組みながらも、練習の合間にははじけるような笑顔を見せていた団員たち。 

東北ユースオーケストラ

小学6年生の時に、岩手県・宮古市で被災した東館祐真さん(23)は、練習の合間に噛み締めるようにこう話してくれました。

 

「2年連続で公演が中止になって、節目である震災から10年の定期演奏会も開催できませんでした。1つの場所に集まって、音楽を奏でるということが、ともすれば無くなっていく時代なので…。こうして音を合わせて、会って話せるということが、本当に楽しいですし、貴重なことなんだなって」

笑顔を見せる団員

3月に予定されている定期演奏会では、坂本龍一さんが東北ユースオーケストラのために書き下ろした交響曲「いま時間が傾いて」が世界初披露されます。

 

「祈り」と「鎮魂」──。練習でも団員たちが同じ「風景」を共有しながら演奏していることが伝わってきました。最後の一音の余韻に、団員全員が神経を研ぎ澄まします。息が止まるような、ピンと張り詰めた空気が会場を覆いました。

いま時間が傾いて

東北ユースオーケストラの指揮を務める柳澤寿男(50)さんは、「今年の演奏会はより特別な意味を持つと思う」と話します。

柳沢寿男さん
東北ユースオーケストラで指揮を務める柳澤寿男さん

柳澤さんは、コソボ紛争後に、国連のミッション下にあったコソボフィルハーモニー交響楽団で首席指揮者を務めました。対立する民族の共栄を願い、音楽を通じて地域の和平に貢献してきました。柳澤さんは「ウクライナの状況に胸を痛めている」と話した上で、公演に向け、静かにその決意を語ってくれました。

柳澤寿男さん

「今回の演奏会は、多くの被災地から演奏に参加してくださる方がいます。被災地を超えて心を通わせ、1つの音楽を作り上げます。僕たちが表現する『協調』というメッセージは、特に今年は、震災のことだけに留まらないと思っています。長く続くコロナのことも、今起きている戦争のこともある。『協調』というメッセージが、これほど世界中に必要とされている時はないと思う」

 

東日本大震災から、11年──。

 

11年の間に、日本で多くの災害が発生しました。そして、世界は、コロナ禍という災害を共有し、突然、口火を切られた戦争の目撃者になりました。

 

「被災地の記憶を伝えつづける意義はなにか?」と問い続けてきたオーケストラは今、「震災を超えて私たちが伝えるべきことは何か?」という新たな問いに向き合いながら、本番を迎えようとしています。

東北ユースオーケストラ

 

「『希望と協調の音』を響かせたい──」 

 

若き演奏家たちは、世界に向けどんなメッセージを投げかけてくれるのでしょうか。

 

東北ユースオーケストラの第5回定期演奏会は、2022年3月22日の岩手公演を皮切りに、宮城、福島、東京で開催されます。公演では、吉永小百合さん、のんさん(岩手公演のみ)による朗読との共演も予定されています。

取材・撮影/谷岡碧 写真提供/東北ユースオーケストラ事務局、中村祐登、三浦千奈 取材協力/東北ユースオーケストラ事務局