「同じ思いをする遺族を増やしたくない。これでは亡くなった父も報われない」そう胸の内を話してくれたのは、埼玉県に住む西里優子さん(27)。同県に住んでいた父、昌徳さん(73)が新型コロナウイルスに感染し、死亡しました。
昌徳さんは第5波の最中、自宅療養を続けていましたが、保健所と連絡がつかず、体調が悪化。救急車を呼んだところ、保健所と調整となり、その結果、入院は見送りになりました。しかし、その日のうちに容体は悪化し、搬送先の病院で死亡が確認されました。
優子さんはほかの自宅で亡くなった遺族らとともに「自宅放置死遺族会」を昨年9月に立ち上げ、保健所の体制強化など、命を助けられる仕組みづくりを訴えています。お話を伺いました。
持病もある父は入院できなかった
── お父様の亡くなられた経緯を伺っても良いでしょうか。
優子さん:
はい。昨年8月4日に母が新型コロナウイルス陽性となったんです。ほとんど出かけていなかった母なのですが。その後、8月7日に今度は父に咳などの症状が出て。クリニックを予約してPCR検査を受けたところ8日に陽性と確認されました。
父は高血圧と3年前に大動脈解離を患った持病がありました。母とふたり暮らしだったので、私の夫が車で40分ほどかけて食料を届けたりしていました。
父の携帯履歴を見ると、10日は1日20回ほど保健所に電話をしていたようですが、繋がった形跡はありませんでした。10日に病院に「保健所と電話が繋がらない」と相談したところ、「連絡を待ってください」と言われ、11、12日はほとんどかけずに連絡を待っていたようです。
13日は体調が悪化し、昼の12時31分に母が救急車を呼ぼうと電話しました。
しかし、コロナ陽性者への救急車の手配は保健所が管理しているんですね。そこで12時50分、保健所から母に電話がきて、ここでは救急搬送、入院はしなくて良いという判断になったそうです。
夕方、私が父に電話をしたら「それぐらいの症状なら入院しなくて大丈夫と言われちゃったよ。食べられないからゼリーを送って」と言われました。それが最後の会話になりました。
午後7時半ごろ、母から父の様子がおかしいと連絡があり、携帯をスピーカー機能にしてもらうと父のうめき声が聞こえました。
私も急いで父の自宅へ向いました。着いた頃、父が救急搬送される時で、足を触るととても冷たかったのを覚えています。「パパ、大丈夫だよ」と声をかけたけれど意識はありませんでした。
その後、病院で死亡が確認されました。感染予防のため遺体には会えず、濃厚接触者ということで火葬にも立ち合えませんでした。
本当に「しょうがない」なのか
── 大変辛い体験ですね。そこからどうして、遺族会を立ち上げようと思われたのでしょうか。
優子さん:
保健所や医療機関が大変な状態であったことはわかっています。
母は父が亡くなった翌日に入院でき、そこで病院の先生、看護師さんは「入院できたのは奇跡だよ」と言ってくださり、大変ななか、丁寧に治療してくださいました。
しかし、どうしてもごめんなさい。納得できないんです。
私たちが助けを求めた声は届かなかった。母が救急車を呼んだ昼の時点で、救急車を手配してくれていたら、助かっていたんじゃないかと思ってしまうんです。
父は私との会話では「息苦しい」と言っていました。本当に持病もあって、息苦しくて、入院対象者ではなかったのでしょうか。疑問が残ってしまうんです。
「終わったことを言っても…」心ない批判の声も
── 実名を出して活動されていると批判の声もあると聞きます。
優子さん:
「母が井戸端会議でもしていたから、コロナになったんじゃないか」、「お金目当てだろう」、「終わったことを言ってもしょうがない」、「自宅で死ぬ人はもともと多いんだ」、「保健所は大変なんだ」などいろいろな意見は耳に入ります。
辛いですが、もっと辛いのは苦しんで死んだ父。家族の無念を晴らしたいんです。遺族が動いて検証したら、次は変わるのではないでしょうか。第6波、第7波では自宅で救急車を呼んでも断られて、苦しんでなくなる人は減るのではないでしょうか。
「コロナだから、しょうがない」。その考えで、批判している方は、自分の家族が感染して自宅で亡くなった時、納得できるのでしょうか。
今後、遺族会としては医師らと連携して、死の経緯を検証して国に体制を変えられるよう意見を届けたいと思っています。
孫の顔を見せたかった
── お父さんはどんな方でしたか。
優子さん:
気さくな人でした。ただただ楽しい人で、夫と実家に遊びに行くのが楽しみでした。私は今、妊娠していて、父に孫の顔も見せてあげたかったですね。
取材・文/天野佳代子 写真提供/西里優子さん