東日本大震災からまもなく11年。親を亡くした子供や保護者には、前に進む人もいれば、自分の悲しみを抱えて苦しい気持ちのままの人も。

 

被災地3か所に設置された支援拠点施設「東北レインボーハウス」で所長を務め、子供たちの相談に乗ってきた「あしなが育英会」の西田正弘さんに子供達の今と私たちがこれから、できることを聞きました。

仙台レインボーハウスのおしゃべりの部屋に座る西田さん

「新しい人」が生まれてきている

── 東日本大震災から11年目、率直に子供達を見てきてどう感じていますか。

 

西田さん:
親を早くに亡くした子のなかには、考えが成熟している子がいます。子ども時代に親と死別した子どもたちは、死別した年齢で「死」を突き付けられ「死」と対峙し、相当の格闘を強いられます。

 

その格闘の結果、人生っていろんなことがあるんだというような達観した気持ちに達しないと、明日がないというような思いに追い込まれる感覚があります。そういった自分の経験と向き合って、前に進むエンジンにしている子もいます。

 

そんな子は、あしなが育英会のプログラムで、同じような経験をした仲間と出会い、心に触れたものを丁寧に話し合う機会を通して、自分の気持ちを扱う術を体得してきてくれたのだと思います。

 

亡くなった親御さんはかえってきませんし、代わりの人はいません。けれど、その経験を経て巡り合った人との出会いを大事にしながら、経験を積んで、それをちょっとずつ力にしてきたんですよね。「新しい人」と僕は呼んでいます。

仙台レインボーハウス外観

3月11日が来ると、もちろん子供達は、親を亡くしたときを思い出し、心理的に落ち込んだり、喪失感が強くなったりします。けれど、感情に振り回されないだけの体力がついてきたかなと。自分のペースで親の命日を迎えられる、そんな構えができてきたんでしょう。

人と言葉をつむぐことで悲しみがほぐれることが

── たくましさを感じますね。いっぽうで悲しみを強く抱えたままの子もいるのでしょうか。

 

西田さん:
そうだと思っています。悲しみに気づき、仲間と話し合うプロセスを積み重ね、人は前に進めます。感情を丁寧に扱うなかで「いろんな気持ちがあっても大丈夫なんだ」と、自分を認められます。

 

これはひとりでやるのは難しい。自分の気持ちを認める作業ができないと、たとえ11年経ったとしても、その悲しみはほぐれていかず、そのまま心の奥底に残ってしまっているかもしれません。

あしなが育英会の活動の様子、日帰りプログラムでみんなで輪になって話す

── あしなが育英会では、2021年3月に東日本大震災で親を亡くした子供達を対象に行ったアンケート(回答310人)の中間報告をしていますね。

 

「亡くなったり行方不明になっている親についての自分の気持ちを誰と話すか」という質問では、「誰とも話さない」と回答した子供が3人に1人を超える36.1%でした。これはあしなが育英会に関わっている子たちに行ったアンケートですか?

 

西田さん:
いえ、レインボーハウスに日常的に通っていない子も含めてアンケートは行われました。レインボーハウスは仙台、陸前高田、石巻にあります。遠方に住んでいて、保護者が車で連れてこないと、普段は遠くて来られない子も答えてくれています。

 

学校は担任の先生がいるものの、学ぶための場所であって、子供の話をじっくり聞く場所ではありません。中学、高校と進学すると親が死んだことを周りに言いにくい子も出てきます。親御さんが一人でも、死別か離別かわからず、話すきっかけが作りにくいケースもあります。

 

話すことは「自分の気持ちを開くこと」です。気持ちを開いても、もし「11年経ってもそんな気持ちなの」と相手に言われたら、とたんに心は閉じてしまう。

陸前高田レインボーハウスの外観

── 相手の反応が怖くて、自分の悲しみを言えないケースもありますよね。時間が解決することもあるのでしょうか。

 

西田さん:
時間が解決することもあります。けれど、抱えた悲しみに触れ、ほぐさなければ、解決しないこともありますよね。

 

── 話せるとほぐれる、と。

 

西田さん:
心を開いて、会話のキャッチボールが増えれば、言葉もつむぎやすくなる。言葉をつむげれば、自分の感情に気づきやすくなり、心が開いていけます。そうなると悲しみはほぐれていくのかと。

 

── そのなかで、今だ3人に1人の子が自分の悲しみを話せていないのは気がかりですね。

 

西田さん:
そうですね。でもその子が、みずから選択しているならいいと思います。話したいのだけれど話せていないのであれば、心を開ける相手がいた方がいいのですが。

 

── 「誰とも話さない」と回答した子のなかには、自分で選択している子も、話せる相手を探している子もいるというわけですね。

 

西田さん:
そうですね、僕はそう思っています。もちろん、話せないで困っている子もいるかもしれません。

 

触れないままでいると、悲しみというのは固まって重くなってしまうんです。固まった悲しみを持っているというのは、ある意味でとても体力がいります。ほぐすためにも、力が必要です。

 

ひとりで触れると、ある意味、何が出てくるかもわからない。大変なものを抱え込んでしまえば学校にも行けなくなってしまう。だから気付かぬふりをしている人もいるのかもしれません。

 

でも、結婚、就職などの分岐点で「親御さんはお亡くなりになられたの?」と、話をする場面があるかもしれません。新しい人生を歩いていく時、傷ついたままの自分と向き合わざるをえないといけなくなるかもしれない。でも、そのときが自身の悲しみに触れるチャンスです。

 

私はそういうときには「気持ちを受け止め、共有する場所がありますよ。レインボーハウスによかったらきてください」と伝えることを、これからも東北で続けないといけないと思っています。

 

── まだまだ終わりではないと。

 

西田さん:
本当に小さい子はこの4月、小学校5年生になるんです。この子は東日本大震災のときにお母さんのお腹にいて、お父さんを知らないんですね。

 

そんな子たちが、自分自身と向き合いながら、どう人生を送っていくのか、まだ見守る必要があると思っています。

七夕飾りに願いごとを書く子供達

亡くなった親に感謝と後悔の気持ちが半分ずつ

── アンケートでは、「亡くなった親に対する気持ち」で、「後悔」と「感謝」が際立って多かったそうですね。

 

西田さん:
はい。この震災は、地震から津波まで時間があるから、一回電話で家族に「大丈夫?」と連絡を取り合っている家庭が結構あるんですね。あのとき、親に「逃げて」というひと言が言えなかったと後悔される方もいます。

 

── 11年経っても後悔は強く残ってしまう。


西田さん:
そうです。当時3、4歳だった子が高校生になって、学校で防災教育を学ぶと、「なぜうちの父ちゃんは、助からなかったの」と思ってしまうことも。それを聞かれた家族が「逃げて」って言えればよかったなと思ってしまうこともあります。

 

生きていて欲しいからこそ、あのときの可能性を探る、という気持ちが湧いてきます。でも、ほとんどの人があんな大きい津波がくるとは思ってなかったわけですから誰も悪くないんです。

石巻レインボーハウス外観

コロナも震災も同じ「曖昧な喪失」

── これからの活動にコロナの影響は。

 

西田さん:
おおいにあります。時間、仲間、空間の3間(サンマ)が悲しみを癒すうえで大事です。それがコロナで脅かされているわけなんです。

 

コロナによって集まれず直接、子供達と会えない影響は大きいです。離れていてもオンラインの集いを行い、繋がりを保てている子供もいますが、対面にまさるものはないですね。

 

繋がっている人は状況を確認できます。しばらくレインボーハウスから離れている人も「最近調子が悪くて」と来てくれます。最近も、伴侶を亡くしたお父さんから「娘が成長して、今ちょっと不調そうなので行っていいですか」とSOSが入って、対応しています。

 

たとえ今、不調を抱えていたり、調子が悪かったりしても決してネガティブなわけではありません。我慢してさらに悪化するより、連絡してもらえればサポートが可能になりますので。ただ、被災地は広いので、レインボーハウスから距離がある人たちが、あしなが育英会以外にも繋がれる場所を持ち、困ったときに頼れればいいなと思っています。

 

子供達の成長を刻んだボードの前に立つ西田さん

また、コロナでは感染を防ぐため、火葬前の亡骸(なきがら)に接することができない人が多くいるそうです。これが、今後どう響いてくるのかが気になっています。曖昧な喪失で、死を確認できないですからね。行方不明者が多い東日本大震災と通じるところがあります。

 

「亡骸は死の現実で、お墓は死の象徴」という言葉があるそうです。震災でも、親が行方不明で、亡骸と接していない人がたくさんいました。

 

骨が見つかり、「奥さんです」と言われても実感がわかない喪失です。それはコロナでも相当な数いるわけです。その亡くなった人の数は毎日報道されるけれど、その追悼がどうなっているのかはよくわからないので、これからどんな影響が出るのかと思っています。

 

僕らがやっているのは統計的に数字を見ることではなくて、数としてはそんなに支えきれてないかもしれないけれど、お父さん、お母さんがいるそれぞれの子供の育ちを支えることを丁寧にやっています。

 

あしなが育英会では、コロナ禍の遺児家庭の緊急支援や、生活が困窮した家庭への奨学金の寄付を募っていますが、希望者がこれまで経験したことが無いような数となり、今後の資金不足も懸念されています。東日本大震災と同様、奨学金を必要としている遺児家庭にも寄り添ってもらえたら、と思っています。

共感はできなくても、理解することがサポートになる

── 私たちができることはなんでしょうか。

 

西田さん:
「11年経ったから大丈夫」ではなく、一人ひとりいろんな経験をしていることを理解することでしょうか。

 

悩んでいたり、力を得て進んだり、立ち止まったり、どうしていいかわからなくなったり。死別体験をした子がさまざまな状況に置かれているということを知っておくのは大事だと思います。

 

共感はできなくても、理解するというのは大きなサポートです。自分と違う人がいるのだと、経験が違う人を認めることは自分を認めてもらうことにもつながると思います。

 

震災に限らず、自分も大事、相手も大事という気持ちを持つ。相手が心を開いて「あのね」と言ったときって、あなたに向かって大事なことを話そうとしているときだ、という感覚を持てる人が増えるといいですね。

 

子供の「あのね」って大事ですよ。この人はわかってくれるなとか、そこで見極めます。大人ってついつい、効率とスピードの中で生きているので、「後でね」となってしまいます。もちろん、後は後でもいいけれど、「今忙しいからごめんね」と言って、必ずその後で聞ければと思います。

取材・文/天野佳代子 写真提供/西田正弘さん・あしなが育英会