「被災したお母さんたちに少しでも安心してほしい。その思いだけが私を動かしていました」

 

東日本大震災をきっかけに、宮城県石巻市で母と子を支える「NPO法人ベビースマイル石巻」を立ち上げた代表の荒木裕美さんは話します。

 

自身も2歳の子どもを育てる母であり、妊娠8か月の妊婦だった荒木さん。穏やかな日常を失った被災地でどのように活動を広げていったのでしょうか。

石巻で初の子育てサイトを開設 登録者数は1000人を超えた

東日本大震災が起きた2011311日、石巻市は大きな津波の被害に遭い、3000人以上の方が亡くなりました。

 

一部損壊した自宅で避難生活を送った荒木さんは、家族以外の人との交流がなく、水や食料など必要な物資も届きにくい環境で大きな不安を体験。「自分よりもっと困っている母たちを助けたい」と、同年3月に震災後の母と子を支える活動をスタートさせました。

 

震災前から会社を営んでいた夫の手伝いをしたり、趣味の雑貨をホームページなどで販売したりしていた荒木さんは、まず自前のホームページを作り、石巻の子育てイベント情報などを発信します。

 

「あの頃ちょうど、石巻の子育て情報を掲載したサイトがなくて、なぜだろうと思っていたんです。

 

ホームページを作った後は、メールで連絡先を教えてくれたお母さんたちにイベント情報などを送信していました。300人を超えた頃に無料で一斉メールを送れるサービスを使い始めたのですが、登録者数が1000人を超えたときには、お母さんたちから地域の子育て情報が強く求められていることを感じました」

石巻じゅうの団体と手を組んで

5月には任意団体「ベビースマイル石巻」を立ち上げ、母たちがつながり合える場を準備し、水やおむつなどを配っていきました。物資はベビースマイル石巻の活動を知り連絡があった東京都助産師会をはじめ、日本財団、ジョイセフなど支援団体から送ってもらい、運営していた子育てひろばで配布を続けました。

 

「倉庫におむつの支援物資が支給されずに余っているという噂を聞きつけ、譲ってもらえないか交渉したことも。任意団体では物資すべてを受け入れる体制が整っていなかったので、代わりに東京都助産師会に手配してもらったんです。

 

石巻の子育て支援センターに必要なおむつなどの量や配達日時を調整しながら伝え、トラックで運んでもらいました。助産師さんを通じておむつが届けられたときは、メールでみなさんに希望のサイズを聞いて渡しました」

2020年に開催した子育てひろば「スマイル」でのイベントの様子。毎月たくさんの親子が集まり会話を楽しんでいる

活動を開始してすぐ、参加するお母さんたちの間で「震災を経験したことで子どもたちが心に傷を受けているのでは」と心配する声が挙がるようになりました。そこで、荒木さんは市役所に電話で問い合わせ、その後は自治体とも密に連絡を取るようになったそう。

 

「市役所の健康推進課につないでもらい、精神科医を中心にした『心のケアチーム』を紹介されました。それから乳児健診時にベビースマイル石巻の紹介チラシを配布してもらえるようになり、活動を広く知ってもらうきっかけになったんです。

 

子育て支援課に声をかけて、ベビースマイル石巻の子育てイベントに来てもらったこともあります。そのとき、『お母さんたちがしっかりとつながって、安心している様子が伝わってきた。ベビースマイル石巻が信頼されているのがよくわかる』と言ってもらえたことは、すごく励みになりました」

 

さらに、社会福祉協議会にもアプローチし、被災したお母さんたちの具体的な困りごとについて相談。必要な支援機関につなぐなどして、親子の支援の輪を広げていったのです。

心身のバランスを保つのが難しかった

「当時、自分のやっていることは間違っていないと確信していました。お母さんたちが元気でなければ子どもは健やかに育たないから。子育てひろばでも、お母さんたちが元気になって帰っていってほしかったんです」

ベビースマイル石巻の皆さん
2013年ごろの活動にて。最前列左から2番目が荒木さん

とはいえ、自身も妊娠中の身体で震災に遭い、まだ手のかかる2歳の長男の育児もあり慌ただしい日々。「正直、心身のバランスを取るのが難しかった」と当時を振り返ります。

 

「活動を続けるためには、私が倒れるわけにはいかない。子育ても後悔のないようにしたかった。今思うと頑張りすぎていたかもしれません」

「一人でできると思っているでしょ」

荒木さんがベビースマイル石巻の活動を始めようとした当初、荒木さんは他の親子を支えることだけで頭がいっぱいになり、自分のことは二の次になっていました。そんな荒木さんの背中を強く押し、支えたのが、荒木さんの夫でした。ある日、こう声をかけられたと言います。

 

「一人でできると思っているでしょ」  「何とかなる」  「絶対にできないよ。赤ちゃんが生まれたら、もっと大変になる。ずっと考えていたけれど、自分も応援するから。一緒にやろう」

 

このやりとりを通して、荒木さんは初めて自分が無理をしようとしていたことに気づきました。

 

「私、思っていた以上に活動のことを熱心に語っていたようで(笑)。この11年間、ケンカもありましたが、夫が『一緒にやろう』と言ってくれたことは、二人にとって必ず立ち戻れる原点になっています。家族から理解されることはとても大きいですね。そのおかげもあって、活動が続けられたと思っています」

新しい出会いから、サークルや会社を作る母も

「ベビースマイル石巻が妻の命綱になっています」

 

ある日、こう話してくれた男性がいたそうです。

 

「とても辛かった時期にベビースマイル石巻でたくさんのお母さんたちに出会えて、乗り越えられたと話されていました。『すごくしんどかったけれど、とても支えられた』と。そう言ってもらえると、ベビースマイル石巻をみんなと続けてよかったと思えて、ありがたいです」

 

孤独感を抱いていた母たちがつながり、地域の人と出会っていくことで力をつけていく。そんな姿を、荒木さんはたくさん見てきました。

ベビースマイル石巻の活動の様子

「自分の得意なことを活かしてサークルをつくったり、起業したり。子育て中は、『やりたいことは何もできない』と思いがちですが、仲間ができると自分の特技や強みを発見して、力を発揮していけるのかなと思っています。子どもの個性や特性で悩んでいても、いろいろな人と話すことで『子どもってそれぞれなんだね』と思えることも。

 

『ありのままで大丈夫』『一人じゃない』と気づけて、『自分はこれでいい』と自信が湧く。そんなきっかけがつくれるといいなと思っています」

 

大切な話を打ち明けてくれる。心を開いてくれたと感じられる時間は、11年間、仲間と母と子のための場を作り続けてきた荒木さんにとって、「サプライズのような出来事」だといいます。ただただ、「元気でいてほしい」と、母たちを見守ってきました。

命を生み育てる母は本当にすごい

「親子関係に困ったことが起きたとき、親はなかなか変えられないから、子どもの環境を変えたほうがいい、といった話を聞くことがあります。でも、お母さんが『自分をわかってくれる人』と出会えることで、自信を取り戻して前へ進めるはず、と私は信じています。

 

顔色が悪かったお母さんも、重い背景を背負っていたお母さんもいた。そんな人たちも、地域の人とのつながりで前向きになれたのを見てきたんです」

ベビースマイル石巻の活動の様子

3.11を「たくさんの命が奪われたあの日」と表す荒木さん。ベビースマイル石巻の活動を通して、母たちに伝えたいことがあると続けます。

 

「生きていることそのものが、本当に尊いこと。でも、日々の暮らしでそれが見えづらくなるときがあると思うんです。今も、命を生んだり育てたりすることに一生懸命向き合うなかで、何が正解なんだろうとしんどくなっている方もいるかもしれません。

 

でも、命を生み育てていること自体が本当にすごいし、地域や未来を明るくしている。それを忘れないでほしいなと思います」

 

PROFILE 荒木裕美さん

NPO法人ベビースマイル石巻代表理事。2011年5月、妊婦から未就園児親子の居場所づくり・支援物資の配布などを行うため、任意団体としてベビースマイル石巻を立ち上げる。2012年3月には母30人以上が震災の体験談を寄せた文集『子どもたちへ~ママたちがいま、伝えたいこと~』を発行。2012年4月にNPO法人化。以来、石巻を中心に、子育て・福祉分野の活動を広げている。

取材・文/高梨真紀 画像提供/ベビースマイル石巻