与謝野浅子のイメージイラスト

他人の目を気にしなかれば、もっと自由に発言できるし、行動できる。言うのは簡単ですが、実践するには相当なパワーがいります。「偉人のなかには、他人の目をまるで気にせず、己を貫いた人物がいます。それは、歌人の与謝野晶子です」と話すのは、偉人研究家・真山知幸さん。他人を気にせず己の道を突き進んだ、彼女のストーリーを真山氏が解説します。

最愛の鉄幹との間に13人の子をもうける

「やは肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」

 

処女歌集『みだれ髪』に収められた、与謝野晶子の代表作です。次のように現代語訳すれば、いかに生々しい内容かがわかるでしょう(現代語訳はすべて筆者)。

 

「熱くほてった肌に触れず人生を説くばかりで淋しいでしょう」

 

大胆で官能的な晶子の歌は、世間を大いに驚かせました。この「君」とは、歌人の与謝野鉄幹のこと。10代半ばで短歌を作り始めた晶子は20歳のときに、新聞で鉄幹の存在を知ります。大阪の歌会で実際の鉄幹と出会うと、昌子は一目惚れ。ふたりはすぐに深い仲に。鉄幹には妻子がいたため、不倫関係でした。

 

許されぬ恋路でしたが、晶子はあくまでも自分の思いを突き通すべく、家族の反対を押しきって、堺の実家を飛び出してしまいます。向かった先は、鉄幹のいる東京です。

 

走り出したら、どうにも止まらない昌子。鉄幹が中心となって設立した東京新詩社から詩集『みだれ髪』を刊行すると、たちまち大評判になります。鉄幹が主催する雑誌『明星』の部数も大きく拡大することになりました。

 

そして『みだれ髪』の刊行から2か月後、23歳の晶子は、妻と別れた28歳の鉄幹と結婚。鉄幹はもともと女癖が悪く、女学校で国語の教師を務めていた時代には、生徒と女性トラブルを起こしています。晶子との結婚も、鉄幹にとっては3度目の結婚でした。

 

ただ、自由気ままな鉄幹にとってさえ、晶子はツワモノだったに違いありません。晶子はそんな鉄幹との間に、13人もの子どもをもうけることになります。

常識にとらわれず「無痛分娩」を選択

晶子は結婚の翌年に長男を出産。そこから毎年のように出産を重ねます。最後の六女を生んだのは41歳のときです。    

 

自分のやりたいようにやる──。そんな晶子の人生スタイルは、出産や育児においても発揮されます。まだ麻酔自体が珍しい時代に、晶子は無痛分娩を選択。その意義をこう語りました(「無痛安産を経験して」より)。

 

「私は人間の力で人間の苦痛を除きえる確信を得たことが近代人の誇るべき自覚の一つだと思っている」

 

また当時は「お腹を痛めて生むことに価値がある」という風潮がありましたが、晶子はそれを完全に無視。避けられる肉体の苦痛は避けるべし、と言いきっています。

 

「私は平生から、避け得らるべき肉体の苦痛を避けずにいるのは無益な辛抱だと考えている」(「無痛安産を経験して」より) 

「どうか死なずに」世間の風潮には迎合しない

そうして晶子は13人の子どもの育児に追われながらも、膨大な数の創作活動を行っています。そのエネルギーは驚異的として言いようがありません。

 

なにしろ、明治から昭和にかけて晶子は、実に5万首に及ぶ歌を詠んでいます。そのうえ、小説・童話の執筆に評論活動、「源氏物語」の現代語訳などの古典研究にも励んでいます。そのテーマは多岐にわたり、膨大な歌や詩さえも、晶子の著作のわずか半分程度だというから、まさに「圧巻」のひと言です。

 

それでも、彼女の探究心はとどまることがありませんでした。哲学・心理学・社会学・経済学にも興味を示して「時間さえあれば」とぼやいたとか。そんなパワフルな晶子が残した作品として、最も物議をかもしたのが、次の歌です。

 

「あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ」

 

弟よ、どうか死なないでおくれ──。日露戦争真っ最中の1904(明治37)年に、戦地に召集された弟を思って歌った作品です。

 

国のために命を捨てるのが美徳とされた風潮を、晶子は完全に無視して自分を貫いて無念な気持ちを露わにしたのです。雑誌の出版元には、連日のように誹謗中傷が寄せられることになりましたが、晶子が意に介さなかったことは言うまでもないでしょう。

 

「こんなこと言ったら、変に思われるからやめておくか」「明らかに失敗しそうだけど、会議の流れ的に反対はしづらいな」

 

ビジネスでは、そんな「自分を殺す」瞬間がどうしても出てきます。自分にとって重要ではない事項であれば、あえて波風立たせないのも、ひとつの処世術としてアリだと思います。しかし、自分を抑えるシーンがばかりが続くと、いつしか自分が大切にしていた仕事においても、自分の価値観を打ち出せなくなってしまいます。

 

「反発を買うかもしれないけれど、あえて自分のスタイルを通す」

 

そんな与謝野晶子の「貫徹力」を少しずつ、日々の仕事に取り入れてみましょう。己を貫く姿勢がスタンダードになれば、しめたものです。他人に振り回されることなく、自分がいちばんしっくりくるスタイルを模索してみてください。

文/真山知幸 イラスト/おかやまたかとし