ツイッターやインスタグラムなどを多くの人が利用し、思い思いの情報発信をしています。無名な人でも、1つの情報発信で多くの「いいね」や「リツイート」を得て、一躍、注目されることも。ただ、「バズらせたい!」と思っても簡単なことではありません。「平安時代に活躍した清少納言は、当時、痛快な物言いでバズらせていたのでは?」と話すのは、偉人研究家・真山知幸さん。そんな清少納言の毒舌満載なパワーの源に迫ります。
『枕草子』は痛快なエッセイだ!
『枕草子』といえば、なんと言っても、「春はあけぼの…」の出だしがよく知られています。筆者なりに現代語訳するならば、こんなところでしょうか(※現代語訳は筆者)。
「春は、日の出前の空が明るくなる頃がいちばんいい。段々と白んでいくうちに、山のきわの空が少しずつ明るくなっていって、紫がかった雲が細くたなびいている。その景色がとてもよいのだ」
春の美しい朝の様子がありありと目に浮かぶようです。この冒頭があまりに美しいので、『枕草子』は高尚なものだと誤解される向きもありますが、実際の中身は痛快エッセイそのもの。
例えば、31段の「説経(せっきょう)の講師(こうじ)は」には、こんなことが書かれています。
「説経してくれるお坊さんはルックスがよいほうがよい」
いきなり、「お坊さんはイケメンでないといけない」と言いきる清少納言。その理由についても、なかなかぶっとんでいます。
「お坊さんの顔に見とれるくらいで初めて、説経のありがたみもわかるというもの」
みんな説経をありがたがるけれど、それは「イケメンに限る」じゃないの?清少納言はそんな大胆な本音をぶちまけています。
バカップルを容赦なくばっさり
なかなか思っていても言えることではありませんが、だからこそ書く価値がある。清少納言はそんなふうに考えていたのでしょう。さらに、こう畳みかけています。
「顔の悪いお坊さんだと、ついよそ見をしてしまって説経も頭に入ってこないから、悪いことをしているような不安な気持ちになるの」
これだけ好き放題書いていても、なんだか嫌みがないのが、清少納言の文章のすごいところです。「そういう自分はどうなの?」という意地悪なツッコミも想定して、しっかり自虐ネタも盛り込んでいます。
「でも、こんなことは書くべきじゃないわ。私も若いころだったら、こんな罪深いことも平気で書いただろうけど、今の私の年だと、来世の罪が怖いしね!」
このたった一段の文章でも『枕草子』が平安時代にバズった理由がよくわかります。253段の「男こそ」では、さらに毒舌に磨きがかかっています。
「男という生きものは、つくづく何を考えているのかわからない。とびきりの美人を捨てて、不美人な女性を妻に選んだりするのも、理解に苦しむわ」
まったく本音を隠さない清少納言は、105段の「見苦しきもの」でも、いわゆるバカップルを痛烈に批判。
「色黒で不美人な女と、汚らしい髭もじゃで、ガリガリにやせた男が、夏場に一緒に昼寝していた日には、目も当てられないわね。いったい、何の目的があって、真っ昼間からいちゃついているんだか」
ちょっと言いすぎだろう、と思いながらも、つい笑ってしまうのは、私だけではないでしょう。
定子を元気づけたくて書き始めた『枕草子』
怒る人が9人いても、1人が爆笑すればいい──。『枕草子』には、そんな開き直りすら垣間見られますが、それには理由があります。
清少納言が仕えた定子は、17歳のときに一条天皇のもとに入内し中宮となります。関白である父の藤原道隆が、天皇との血縁関係をより強めるために、娘を嫁がせたのです。
ところが、道隆が死去したことで、定子の人生は一転します。関白の座を巡り、兄の伊周と叔父の道長の間で権力争いが勃発。勝利した道長は「1人の天皇に対して、1人の中宮」というルールを無視して、12歳の娘、彰子を一条天皇の中宮に据えることになります。彰子が中宮となることで、皇后宮となった定子。そのうえ、実家は火事に襲われるなか、定子は髪を切って仏門へ入ります。定子が清少納言に白い紙をプレゼントしたのは、そんなときでした。
平安時代において、紙は高級品でとても貴重なものです。受けとった清少納言は嬉しさとともに、定子の置かれた状況を思うと、切なさもこみ上げてきたことでしょう。今はおつらい状況にいる定子様に笑ってもらいたい──。その一心で清少納言が書き始めたのが『枕草子』だったのです。
清少納言が定子に仕えていた期間は7年にもおよびました。しかし、『枕草子』でスポットライトがあてられているのは、定子が栄えた1年半のみ。そのことからも、清少納言の「何とか元気づけたい」という思いが伝わってきます。性格が明るく外交的な人を「陽キャ」と呼びますが、清少納言は、ことさら明るく振舞う「陽キャ力」で大切な人を支えようとしたのでしょう。
しかし、定子が『枕草子』の完成を目にすることはありませんでした。定子は第三子の媄子内親王を産みますが、難産のため、24歳の若さでこの世を去ります。清少納言は、亡き定子に捧げるかのように、その後も10年近く執筆を続行。長保3年に、『枕草子』をほぼ完成させることになります。
「誰かのために」の大切さを思い出そう
働いていると「自分の仕事の意味が見いだせない」と、悩んでしまうときもあるかもしれません。そんなときは、今の仕事をやろうと思った原点に立ち返ってみることをお勧めします。そこには必ず「誰かのために」という思いが込められているはずです。身近な誰かかもしれないし、あるいは、エンドユーザーのためかもしれません。その仕事を誰に向けて行うのか。誰に喜んでほしいのか。今一度、考えてみてください。
定子を思った清少納言が「陽キャ力」を発揮したように、誰かを思って行動するときに、人は強くなります。少しずつでも顔をあげることができれば「自分にはやるべきことがある」と、また走り出すことができることでしょう。
文/真山知幸 イラスト/おかやまたかとし