紫式部のイメージイラスト

組織に所属していると、多かれ少なかれ人間関係の悩みはあるでしょう。「平安時代、宮廷に仕えた紫式部も同じだったでしょう」とは、偉人研究家の真山知幸さん。周囲から嫌味も言われ肩身の狭かった紫式部。そんな彼女の負の感情の活かし方は、現代にも役立つかもしれません。紫式部は人間関係のストレスをどう活かしたのでしょうか。

紫式部は同僚から冷たくされていた⁉

紫式部は998年頃、20代半ばにして、ひと回り上で40代半ばの藤原宣孝と結婚。一人娘をもうけます。

 

結婚から2年半後、夫が急死。不幸のまっただ中で、彼女は一条天皇の中宮、つまり、皇后にあたる彰子に仕えることになりました。しかし、どうも人間関係がうまくいきません。

 

このとき、紫式部は『源氏物語』をすでに書いていました。当時の資料によれば、執筆活動が気取っているように思われたようで、周囲からは嫌味ばかり言われてしまいます。一時期は宮仕えすることさえ苦痛になるほどでした。

漢字の「一」も書けないフリをしていた理由

5か月後に職場復帰した紫式部。目立つことを恐れて、漢文の素養がありながらも、目をつけられないように、屏風に書いてある漢文も読めないフリをしていたといいます。

 

周囲から浮かないように、細心の注意を払っていた様子を『紫式部日記』でこう明かしています(現代語訳は筆者)。

 

「私は『一』という漢字すら書きませんでした」

 

漢字の「一」すら書けないと、無教養なフリをしていた紫式部。そのうっぷんを晴らすがごとく、紫式部は実際の宮廷の生活に触れながら、日本文学史上に残る『源氏物語』を完成させています。

 

紫式部が54帖からなる『源氏物語』の執筆を始めたのは、夫と死別した後のことです。将来のことを考えると、どうしても心が落ち着きません。こんな心境も吐露しています。

 

「心に浮かぶのは『これからどうなってしまうの』ということばかり。将来を思うと心細い気持ちはどうしてもぬぐえなかった」

 

そんな不安をかき消すために筆をとったのが、源氏物語を書き始めたきっかけでした。将来の不安や組織の人間関係の煩わしさそんな負の感情が、名作を生む原動力となったといってもよいでしょう。

清少納言を「利口ぶっている」とバッサリ

そうして表向きは決して目立たないようにしながら、精力的に執筆に励んだ紫式部。どうしても許せない存在がいました。同じく一条天皇の中宮にあたる定子に仕えた、清少納言です。『紫式部日記』では、清少納言について、こんな悪口が書かれています。

 

「ずいぶんと利口ぶって漢字を書き散らしているけれど、よく読めば学識も足りないところだらけ」

 

紫式部が辛辣に批判しているのは、清少納言の『枕草子』です。『枕草子』も『源氏物語』もざっくりいえば、今から1000年ほど前に書かれたもの。『枕草子』がちょっと早く世に出ています。『枕草子』は『源氏物語』のような小説ではなく、エッセイで日本三大随筆の一つとされています。

 

清少納言があけすけな気持ちを書いた『枕草子』は大評判となり、そのことが紫式部はどうにも気に食わなかったようです。清少納言のことを、こんなふうにこき下ろしてさえいます。

 

「中身がない人の成れの果ては、どうしたってよいものにならないでしょう」

 

清少納言に敵対心をむき出しにする、紫式部。しかし、二人は入れ違いに後宮に入っているため、面識すらありませんでした。

負の感情が創作に生かされた

紫式部がこれだけ一方的に清少納言を罵ったのは、なぜなのでしょうか。その理由としてよくいわれているのが、清少納言が『枕草子』で「あわれなるもの」として、のちに紫式部の夫となる藤原宣孝のド派手なファッションをからかったからではないか、というものです。

 

たしかに不愉快だったかもしれません。しかし、夫の服装を揶揄されたのは、まだ紫式部が結婚する前のこと。文章自体もそこまで悪意があるものではなく、深く恨むことでもなさそうです。明確な理由は、おそらくなかったのではないでしょうか。紫式部は清少納言のことが「なんか気に食わなかった」のだと、私は思います。

 

なにしろ、清少納言は天真爛漫な様子が、文章からもありありと伝わってきます。いわゆる典型的な「陽キャ」であり、正反対で何かと先回りして人の感情を読んでしまう紫式部からすれば、何かと鼻がついたのでしょう。

 

『源氏物語』では、嫉妬のあまりに「生霊」になった「六条御息所」が出てきます。男性読者に怖がられる一方、女性読者からは共感を得ました。嫉妬や葛藤をよく知る紫式部だからこそ、そんなキャラクターも書けたのでしょう。紫式部は、長編物語に挑んだときの気持ちをこんなふうに綴っています。

 

「私はただこの物語を『ああでもない、こうでもない』と言葉を組み替えては、自分を慰めながら寂しさを紛らわしていた」(紫式部日記)

 

紫式部の「陰キャ力」は、受け手の共感を呼び、創作の源泉となりました。組織の中で働いていれば、人間関係に苦しむこともあると思います。上司と部下の板挟みになったり、よかれと思ってやったことで相手に誤解されてしまったり…。

 

敏感に反応して、うつうつとした感情を抱いてしまう自分が嫌になる…そんなときは、自分の感情を否定せずに丸ごと受け止めること。イマイチな自分だって、また自分の一部です。

 

また、そんな感受性があるからこそ、つらい立場にいる同僚の気持ちに気づいたり、悩みを抱えるお客さんに寄り添ったりすることができます。人の感情をいつも読む「陰キャ力」は、「共感力」にほかなりません。ビジネスにおいては、むしろ伸ばしていくことも大切です。

文/真山知幸 イラスト/おかやまたかとし