中学生のトニーニョくんと3人で暮らす、漫画家の小栗左多里さんとジャーナリストの夫・トニーさん。
夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から感じたことや自分の幼少期の体験を、それぞれに語ります。
今回は「ドイツの子どものしつけ」について。ドイツに住んでいた頃に見かけた印象に残っているエピソードを語ってくれました。
ドイツ人はしつけが得意!?ことわざにもなるその真意とは
ヨーロッパには「犬と子どものしつけはドイツ人に任せろ」ということわざがあるらしい。
そ、そう?確かに犬はよくしつけられている。ほとんど吠えないし、電車に乗っていてもじっと座っているし、小さい犬種の子はバッグの中から顔を出して私を見つめてきたりしてとても良い。
しかし子どもは…?まあ自分の親と一緒にいれば騒いでいる子どもはあまりいない。でもたとえば下校時のバスの中など、子どもだけで何人も集まると相当うるさい。なかにはそれを嫌う運転手さんもいて、まだまだ乗れる乗車率なのに学校前のバス停を素通りしてしまう人もいる。その瞬間はそれこそ蜂の巣をつつきまくって壊れたくらいの大騒ぎだ。
息子が7歳のころ、日本語補修校の同級生10人と一緒にレストランでランチを食べたときも、半個室みたいなところで食べたり遊んだりしていたら、スタッフが「子どもが10人も集まってこんなに静かなんて!この子たちは天使なの?」と感心していた。
親が子を放置しすぎ…なくらいがちょうどいい!?
親と一緒でも問題がなくもない。電車で子どもが車内のポールにつかまってグルグル回っていても、親は気にする様子もなく新聞か何かを読んでいた。空いていたから注意する人もいなかったが、日本なら誰もいなくてもやめさせているだろう。
また、外壁工事のための足場を鉄棒がわりに遊んでいた子も、その親は近くのレストランでご飯を食べていた。危ないうえに「連れ去り」の可能性もゼロじゃないでしょ…!?とドキドキして寿命が3分くらい縮んだ。公園でもけっこう子どもを放置している親は多い。
ただし「ベルリンはドイツではない」とも言われている。外国に由来がある市民が30%くらいいるし、英語も通じるし、ドイツの他の都市とはかなり違うだろう。なので目撃した親子がドイツ人とは限らないし、同時に「感覚がめっちゃバラバラ」ということでもある。どの程度のしつけをするか、というか、そもそも振る舞いの基準の差も激しいと思う。
鼻をすするのはNG!?感覚の違いを認める難しさ
感覚的な違いを認め合うのはけっこう難しい。たとえば日本では気軽に鼻をすするが、ドイツでは(多分多くのヨーロッパの国も)NG。鼻水を飲むことと同じと見なされ忌み嫌われている。
鼻をかむのはOKで、なぜかレストランでは遠くのテーブルからでも景気の良い「ズビビビーッ」という音だけ聞こえてくる。そのたびに「ここはヨーロッパだから我慢するけど、君たち日本に来たらお蕎麦すする音も我慢してよね」と思いながら、心頭を滅却して時が過ぎるのを待つ。
そして鼻をかんだティッシュをたたんでまたポケットに入れるドイツ人を見て、日本人は「え?」と思うだろう。ドイツのティッシュは4枚重ねでとても丈夫。1すみ1かみ、つまり、1つの角につき1度ずつかむので、それが4回終わるまで持ち続ける人も多いのだ。「鼻をかむ」だけでこの違いがあり、慣れるまで時間がかかる。
日本人のしつけに欠かせない「ちゃんとする」という言葉
そう考えると「ちゃんとしなさい」の「ちゃんと」ってすごい。
「座って」とか「時間通りに」とか、「嘘つくな」「服直せ」果ては「働け」、時には「しゃべるな」と「しゃべって」、逆の意味にもなる。そのときどきで「こうするべき」という常識や規範が共有されているということだ。だからパッと見、日本社会は整っているように見える。
ただ、ひとつの形しか良しとされない社会は息苦しくもある。ベルリンは「ちゃんと」という言葉もないし、秩序もなくてグチャグチャかといえば、そうでもない。人目をあまり気にせずラクに過ごせるし、乱暴な人もいるけど、困っている人がいたら手を貸す人もむしろ日本より多いように感じた。
私も「ちゃんと」していないところがあるから、息子に対して完璧は求められない。そこを自覚しつつ、ときどき叱りつつ、形には現れないけど大切な部分を話し合っていきたいと思っている。
文・イラスト/小栗左多里