「家事育児お疲れさまです」という合言葉で、子育てのあるあるネタをTikTokの動画で披露する竹田こもちこんぶさん(43)。
1年半もたたないうちに、33万人近いフォロワー数を獲得。最近はテレビ番組やイベントに出演するなど人気者になっています。
多くのママたちから共感を呼ぶコミカルで大仰な動画ですが、これまでの挫折からたどり着いた表現方法だそうです。
生身の表現ができないもどかしさ
「最近は出先で声をかけられることも多くなり、TikTokの影響力を感じています。
子どもに勧められたというママさんから小学生まで、幅広い年齢の人たちに見てもらっているようです」
35歳で第1子をもうけ、現在は4人の男の子を育てながら、TikTokerとして活動する竹田さん。
《すべての母に捧げる応援歌。歌わないけど》と称する動画を、配信するようになった経歴は異色のものです。
「大学時代から演劇をしていてその後、お笑い芸人を目指していましたが、結婚・出産で休止状態に。
ブログは続けていたのですが、自分のなかで生身の表現ができないという、もどかしさがありました。
そんななか、長男が小学生になり少し余裕ができたので、Instagramを始め、『R-1グランプリ』に出場するためのネタ見せのつもりで、育児ものを投稿しました。
すると多くの反響があり、友人の勧めでTikTokを始めることになりました。
TikTokは若者がダンス動画などを投稿するイメージがあったので、私のようなおばさんのネタが受けるとは意外でしたね」
“子連れピン芸人”を目指していたことも
30代になったころからお笑い芸人を目指していた竹田さんは、ピン芸人のコンクールである「R-1グランプリ」にも何度も挑戦。
“子連れピン芸人”として、長男から三男を抱っこしながら予選会に出場した経験が今に生きているそうです。
「TikTokのネタは、子育て中の面白いことだけではなく、やらかしやパニックになった出来事を笑いというエンターテインメントに変換できるように心がけています。
ノートに書き留めて作りこみ、それを覚えて撮影します。
できれば納得できるまで撮り直しをしたいですが、あまり完成度にこだわりすぎると子育てに支障が出るので、キリがいいところで投稿します」
そんな竹田さんの表現者としての原点は、高校卒業間近にさかのぼります。
「昔から自己顕示欲は強いが、内向的という面倒くさい性格でした。
そんな私が、漠然と人からちやほやされるようなアイドルになりたいと思ったのは、既に大学進学が決まった高校3年の時です」
大学3年生のとき病魔に襲われて
明治大学に入学すると、芸能界への近道だと演劇研究部に入部した竹田さん。
「それは勘違いだったのですが(笑)、舞台に立って人を笑わせたり泣かせたりすることにのめり込んでしまいました。
その後、現在の夫が立ち上げた劇団に参加して、主にコメディの舞台で演じてきました」
充実した学生生活を送る竹田さんでしたが、21歳、大学3年生のときに病魔に襲われます。
「バセドウ病と呼ばれる甲状腺異常の病気で、息切れなどのほかに眼球が異常に突出する症状があります。
外見が変わってしまった私は周囲の視線にも耐えられず、大きな穴に落ちこんだような状態になりました。
大学3年の1年間は、ほとんど引きこもりの状態でしたね。精神科にも通いましたが、当時の私を救ってくれたのは唯一、母でした。
“人が幸せでいられるのは外見じゃない”ということを、母は私に伝え続けました。
我が子が立ち上がるまで、あらゆる手を尽くして決してあきらめない、という母親の強さ、深さを知りました。私もそんな母になりたいと心から思います」
手術で幸せの基準が変わった
当時、甲状腺の肥大を薬で制御できなくなった竹田さんは、切除手術を受けざるを得ませんでした。
「局所麻酔で1時間ほどの手術でしたが、首にメスを入れてブチブチと組織を割く音や生暖かい血が流れる感覚は、私の幸せの基準を変えましたね。
苦しむのであれば、自分が選んだ道で、やりたいことをやって苦しみたいと思うようになったのです。
大学を卒業して35歳の出産直前まで、東京・池袋の家賃2万70000円の風呂なし、トイレ共同のアパート暮らしを続けられたのは、病気を経験し、自分を満たすものの価値観が変わったからだと思います。
マイナスや不自由な状況は、やがて経験という財産になり、いつか必ずプラスに転じていくという心持ちができました」
子どもを産むべきか、夢を追い続けるか…
20代のときは、赤坂のカフェやスナックのアルバイトで食いつなぎながら、芝居に打ちこんでいた竹田さんの転機は30歳のころです。
「コントの日本一を決める『キングオブコント』への出場を勧められたことがきっかけです。
お笑いライブを見て、マイナスをプラスに変えて人を笑わせるネタにカルチャーショックを受けて、芸人を目指すことになりました。
お笑い系の事務所のオーディションライブに出演を続け、事務所への所属を目指しましたが結局、落とされてしまいました。
ただ、30代半ばになり、すでに結婚はしていましたが、女性の本能として子どもを産むべきか、このまま夢を追い続けるか迷いが出ていたので、いいタイミングでしたね。
このときに挫折してよかったと思います(笑)。もし事務所に拾ってもらっても、必ず売れるとは限りません。
子どもを産み育てたからこそ今があるし、子どもを産み育てる素晴らしさを知ることができましたから。
ただ、すでに売れていたら、子どもはあきらめていた可能性もあったと思います」
モヤモヤした気持ちを保育士試験に
長男を出産後、富士市に引っ越し、現在にいたる竹田さんですが、あり余る表現欲というエネルギーは「R-1」以外にも発揮されています。
まず、出産後に「保育士」試験にチャレンジしました。
「保育士は、私が友人に勧めたことがきっかけで興味を持ちました。
保育士の試験は育児について勉強するので、実際に役に立ちます。
さらには、育児をする専業主婦は、大変な仕事なのに対価を得られないため、周囲から評価されにくい。
そのモヤモヤした気持ちをエネルギーに転化して、ぶつけたい気持ちもありました。
睡眠時間を削り、出産で入院中にお腹が痛いのを我慢しながら、勉強したので更年期にツケが回ってきそうで怖いです(笑)。
子育ては目に見える達成感を得られにくいですけど、勉強はした分の成果が得られますから」
ひとりで発散できる場になっている
挑戦2回目で見事合格すると、今度は空手にも挑戦しました。
「長男が幼稚園の年長のときに友達からいつも泣かされていたので、空手道場に通うことになり、お母さんも一緒にと勧められて始めました。
結局、長男は挫折しましたが(笑)、新極真空手というフルコンタクトで行うもので、購入に初期費用がかかったので元を取るために、私は続けました。
最近は4人目が産まれたばかりなので休んでいますが、何人もの男の子を育てるのはハードで、思いつめてしまうこともあるので、ひとりで発散できる場になっています」
子どもが成長しても育児ネタは尽きない
そんな竹田さんの表現欲は今後、どこに向かうのでしょうか?
「TikTokを始めると、いろいろな育児をしているいろいろなママさんがいて、さまざまな問題に直面していることがわかりました。
私の夫は育児に協力的ですが、そうでない家庭もありますし、ものすごく理不尽な状況で育児をしている人たちがたくさんいます。
そういうもどかしさをみんなで共有し、乗り越えて、輪を広げていきたいです。
子どもが成長しても育児ネタは尽きないと思います。
大人になれば、理不尽や驚がくするようなことは減ると思いますが、母親にとっての子どもという関係は変わらないので、ネタは作れるのではないでしょうか。
そのころはTikTokではないかもしれませんが、何かしらの表現はしていると思います」
竹田さんのようなお宅なら将来、親子でのSNSへの投稿やお笑いコンクールへの参加もあるかもしれませんね。
PROFILE 竹田こもちこんぶ さん
1978年、千葉県生まれ。静岡県在住。明治大学文学部文学科英米文学専攻卒。劇団員、お笑い芸人をへて、4児のママのTikToker「竹田こもちこんぶ」に。地元テレビ局の番組やイベントにも出演。
文/CHANTO WEB NEWS 写真/竹田こもちこんぶ