いけないことだとわかっていても、大人だって嘘をつくこともある…。それでも子どもには、正直にいてほしい、と思ってしまうのも親心。子どもは、どんなとき、どのような理由で嘘をつくのでしょうか。

 

今回は「子どもの嘘」への関わり方について、保育士・きしもとたかひろさんが思いを綴ります。

子どもが嘘をつくのを責める前に…

壁に落書きがあった。

 

近くにいる子に事情を聞くと、ある子の名前が上がったので、その子に直接話を聞いてみる。「やっていない」と言うその顔を見て、「ああ、嘘をついているな」と察する。

 

もちろん、どれだけ証拠が揃っていても自分で話すまでは決めつけたりはしない。僕には全てお見通しだから早く白状しちゃいなよ、という具合に「正直に言ってくれたら怒らへんから」と言葉をかける。

 

それでも頑なに否認するので少し深刻なトーンで「嘘はキライやで」と言った。その自分の顔がすでに怒っていることに、その子の怖がる表情を見て気づく。

僕はその子が嘘をついたことに気づいて、「気づいたぞ」といい気になっていた。そして、それを暴いてやろうとした。

 

もちろん、その子のためを思って「嘘をつかないでほしい」とか「正直に間違えを認めて反省してほしい」とか教育的な思いもあっただろうけれど、そうじゃない。

 

「懲らしめよう」とか「暴いてやろう」とかいう気持ちも正直なところあったような気がする。

 

なぜその子は嘘をついたのか考えてみると、その子が悪い子だからではない。僕に怒られるからだよね。その子が嘘をつかなければいけない環境を僕が作っていたのだ。

 

悪いことをしたら怒られて当然だという考えもあるだろうけれど、それでその子が嘘をついてしまったり、自分を顧みることができなかったり、疑われて辛い思いをするのなら、それが正しいとは思えない。

「暴くこと」「見抜くこと」を目的にしない

嘘をついてしまう環境に置かれて、さらに「嘘は許さないよ」と追い詰めたら、その子に逃げ場はなくなってしまう。

 

いや、僕はあえてその子の逃げられないように追い詰めようと、“悪いその子”を直してやろうとしていたんじゃないか。

 

仮病を使う子を見て「サボりたいだけでしょう」とか、大袈裟に痛がる子を見て「かまってほしいだけでしょう」とか、その子の本心を見抜いたぞと悦に浸って、「甘いよ、騙されないよ」と突き放すのは違うよな。

 

「今日は気分が乗らないな」と正直に言える環境なら、「大丈夫?痛かったね」って僕がいつも声をかけているなら、その子はそんな嘘をつかないのかもしれないんだ。

 

改めて、その子に、壁の落書きは消せること、怒りはしないこと、正直に話さなくても構わないこと、あなたの言うことを信じること、疑って申し訳なかったことを伝えると、あっさりと自分がやったと話してくれた。

 

自供させたことを喜びそうになって、それじゃ本末転倒だと思いとどまる。

 

ホッとしてるその子の顔は、怒られなかったという安堵だけでないような気がした。正直に言えなくて苦しんでいたのかもしれない。

嘘をつかなくていいコミュニケーションだってある

先日、ボードゲームで遊んでいた子どもたちが騒いでいるので近づいてみると、「あの子が怒って投げたから」と、壊れた部品を渡してきた。指さされた子の方に目をやると、「怒られる!」と身構えているのが分かる。

 

あえて笑いながら「あちゃー我慢できひんかったかあ」と声をかける。こわばっていた表情がゆるみ、「うん、我慢できひんかった」と笑って返してきた。

 

「いける」と思ったのか、そのままふざけて誤魔化そうとするのを見て、「逃がさないぞ」という気持ちと「まずは正直に話してくれたじゃないか」という気持ちがせめぎ合う。

 

「正直に言ったらからって許されるわけちゃうぞー」と冗談めかしていうと、「バレたか」という風にわざとらしく反省した顔を見せた。

 

まずはこれでいいよね、その子が嘘をつかなくてすんだんやから。

 

文・イラスト/きしもとたかひろ