トミヤマユキコ8

「人を見た目で判断しちゃだめ」

 

ほとんどの家庭では子どもにそう教えているでしょう。

 

容姿の美しさを競い合うミスコンを廃止する大学も、ここ数年で続々と増えています。

 

一方で、「ママには見えないスタイル」「あの芸能人の息子がイケメンと大反響」といったニュースがネット上では頻繁に飛び交い、世間には容姿をジャッジする情報が溢れています。

 

人を外見で判断して悪く言うのはダメ、でも褒め言葉なら別にOK?

 

本当にそうでしょうか? 

 

『少女マンガのブサイク考』の著者であり、東北芸術工科大学講師も務めるトミヤマユキコさんへの連続インタビュー、全4回の第3回では外見に対する褒め言葉がなぜアウトなのか、その理由について話を聞きました。

褒め言葉の何がいけないの?

──「外見をおとしめる発言がNGなことはわかる、でも褒め言葉ならOK」という感覚は普通だと感じる人が多い印象を受けます。トミヤマさんはどう思われますか。

 

トミヤマさん:

外見に基づく差別は「ルッキズム」と呼ばれるのですが、これはなかなか複雑で難しい問題です。

 

今の世の中って視覚優位の社会なんですよ。PCやスマホがないと仕事や生活が成り立たないのもそう。皆に視覚があるという前提で、社会が作られている。そういう意味でも、見た目の問題は避けられない。

 

「見た目で人を判断しちゃいけません」と親が子に教えるのは正しいことです。でも「この人はちょっと危ないかも」と判断して逃げた方がいい場面もあるかもしれない。他人の全てを認めて受け入れるのが難しい局面も、実生活では多々あります。本当に難しい問題です。

 

それとは別に、「他人の見た目、特に変えられない部分についておとしめる発言をしてはいけない」という認識は、おそらくほとんどの大人が持っています。内心の自由はあるかもしれないけど、声に出したり、行動で示したりするのはいけないことだとわかってるんですよ。

 

ただ、扱いが難しいのは、外見を褒めているケースです。「美人だね」「若く見える」「ママには見えない」という発言も、言っているほうは褒めているつもりで悪気はないのでしょう。

 

ですが、褒め言葉であれば相手の外見について何を言ってもいいわけではありません。

褒めていいのはチョイスまで

── インターネット上で行ったアンケートでは「褒めているのだから何が悪いかわからない」という回答が多かったです。

 

トミヤマさん:

そう考える気持ちはよくわかります。

 

でも、その褒め言葉を相手が嬉しく思うかまではわかりませんよね。

 

「美人だね」と言われても顔のことばかり言われて嫌だと感じる人、「小柄でかわいいから愛されキャラだよね」「背が高くて格好いい」というように身長とキャラを結びつけられることに抵抗を感じる人もいるんです。

 

でも、褒められている以上はやめてと言い出しづらい。初対面だったりすればなおさらです。

 

──「ママには見えない」という褒め言葉も同じ気がします。

 

トミヤマさん:

本当にそうですね。

 

例えば、私は42歳ですけど「42には見えません」みたいなことを言ってくる人がときどきいるんですね。その人は「若く見える=いいこと」だと思っているから、褒め言葉のつもりでそう言っているんでしょうね。

 

私は今、美大で講師をしているのですが、新入生向けのオリエンテーションで「ハラスメントの被害者/加害者にならないためにはどうすればいいか」というテーマについて喋る係なんですよ。

 

そのオリエンで、「見た目に関する発言には気をつけよう。どうしても褒めたければチョイスまでで踏みとどまってください」と学生に教えています。

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──「褒めたければチョイスまで」とは?

 

トミヤマさん:

相手を褒めようと思ったときに、自分で変えることのできない部分には触れず、その人が自らチョイスしたものまでにしておいたほうが安全ですよ、という意味です。

 

「その服、かわいいね」「髪色変わったね」というのはOKです。これらは本人が選んだことですし、替えもきくからです。「そのリップ似合っているよ」も、顔のことを言っているようですが、やはり本人のチョイスなのでOKでしょう。

 

学生に限らず大人も同じですが、相手の何かを褒めたいあまり、慌てて外見や属性に言及しないことが大事です。親しくなっていく過程で徐々に褒めたって遅くはないんですから、そんなに慌てて褒め言葉を繰り出す必要はないんですよ。

 

褒めであろうがけなしであろうが、見た目の変えられない部分にまつわることは、もう口出し無用でお願いしたい。視覚優位社会においてルッキズムの根絶は難しいでしょうが、少しでも減らせるよう各人が努力すべきだと思います。

 

── では、子どもにはどう教えればいいでしょう。

 

トミヤマさん:

言葉ってときと場合によっては他人を傷つける刃物みたいなものですよね。その扱い方やコントロールは大人だって間違えることがある。

 

だからお子さんに対して教えるときも、ルッキズムは駄目と教えて終わりではなく、「一緒に考えていこう」というスタンスで伝えるのが最初の一歩かなと思います。

 

それと、日本ではルッキズムというと、美醜のジャッジはやめよう、で終わってしまいがちですが、海外だとルッキズムは人種の問題と結びついているんですよね。

 

こういう人種だからこの仕事はさせられないとか、見た目や属性が職業差別にも絡んでもいる。ひいてはそれが経済格差にも繋がっていく。ルッキズムの行き着く先にはそういう状況があるということも、知っておいてもらえたらと思います。

 

── トミヤマさん自身、最近の若い世代との価値観の違いを感じることはありますか。

 

トミヤマさん:

男/女だからというジェンダーの呪縛から解放されている人は増えている気がしますね。

 

でも一番大きい変化は「恋愛はしなければならないもの」とはもう考えない若者が結構いることです。

 

私が学生のときは、やっぱり大学に入ったら「彼氏の1人も作らないとやばい」みたいな空気があったんですよ。でも今の学生たちは、恋愛のフィールドに無理して足を突っ込もうとはしませんね。恋愛することをあまり意識していないからか、見た目による差別もそこまで苛烈じゃないように思います。

 

クラスメートはクラスメートであって、それ以上でも以下でもない。誰かを下に見て自分を高い所に置く、みたいな考え方に興味がない学生も多いです。美大が個性や多様性を大事にする場所だから、というのもあるかもしれませんが。

 

── 大学といえば、ここ最近はミスコンを廃止する大学が増えています。そのことについてどう思われますか。

 

トミヤマさん:

見た目で勝負したいという人たちが、容姿を武器に磨いて競い合う場所はあっていいと思います。国民的美少女コンテストとか、ミス○○とか、そういうのは全然ありだと個人的に思います。

 

でも、それは大学の外でやっていただきたいんですよね。教育空間の中で容姿に優劣をつける、という行為はもう時代遅れです。少なくとも学校という空間では、皆が容姿をジャッジすることから離れるべきです。もし学生に「学内でミスコンやりたい」と言われたら、「いや大学の外でやりなよ~」って返しますね。そこはTPOをわかって欲しいなと。

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「褒めてるんだからOKでしょ?」とつい思ってしまいがちですが、それを相手がどう受け止めるかは確かに別問題。そのあたりの境界線を日常でどう気をつけていくべきか、親子でぜひ一緒に考えてみてください。

 

トミヤマユキコさんへの全4回のインタビュー、最終回は仕事や夫婦関係に悩む子育て世代に効くおすすめマンガについてお聞きします。

 

PROFILE トミヤマユキコさん

1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部、同大大学院文学研究科を経て、2019年から東北芸術工科大学芸術学部講師。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーについて書く一方で、大学では少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当。著書に『夫婦ってなんだ?』『少女マンガのブサイク考』など。

取材・文/阿部 花恵 写真/河内 彩 アンケート実施/2021年8月 アンケート対象/30歳から59歳の働く女性46人 アンケート手段/インターネット