「子どものころ、自分の容姿にコンプレックスはありましたか?」
インターネット上で行ったアンケートのこの質問に対して、「あった」と回答した女性は約95%。
10人に9人という高い割合で、自分の容姿に不満を抱いていたことがわかりました。さらに、特筆すべきは悩みのバリエーションです。
「目が小さい」「鼻が大きい」「歯並びが悪い」といった顔のパーツを筆頭に、「そばかす」「色黒」「くせっ毛」「剛毛」「天然パーマ」「毛深い」「太っていた」「胸が大きい」「貧乳」「背が低い」「背が高い」などなど、髪・肌・体型の悩みまで、多種多様なコンプレックスに悩んでいたという声が寄せられました。
女の子たちは一体何を基準に、「私なんてかわいくない」と劣等感を抱いてしまうのでしょう?
理由のひとつは、もしかしたら幼いころに夢中になった少女マンガが関係しているかもしれません。
女の子が抱きがちな容姿の悩みと社会の影響について、『少女マンガのブサイク考』の著者で東北芸術工科大学講師のトミヤマユキコさんにお話を伺います。
全4回のインタビュー、第1回は少女マンガと「かわいい女の子像」の関係性についてお聞きします。
少女マンガが描く「西洋的かわいさ」の副作用
──『少女マンガのブサイク考』は「ブサイク」「不美人」として描かれるキャラに注目して少女マンガを考察するユニークな一冊です。少女マンガと女子の外見コンプレックスの関係性についてどう思われますか。
トミヤマさん:
日本の少女マンガの歴史を遡っていくと、西洋的な女の子のかわいさがやっぱり源流にあるんですよ。昔の少女マンガはそれこそ舞台が西洋で、お姫様や美少女が登場する作品がたくさんありました。
そこからだんだんと時代を経て、日本の日常も描かれるようになっていくのですが、やはり作画上は「西洋的なかわいさ」をずっと引きずっているんですね。
── 確かに昔も今も、ぱっちり大きな瞳や長いまつげ、スラリと伸びた手足やスタイルのよさなどが一般的な「かわいい」とされていますね。
トミヤマさん:
そうなると、いわゆる平均的な容姿を持つ日本人の女の子たちは、どうしてもコンプレックスを刺激されてしまいますよね。大昔の少女マンガであれば、まだよかったんです。遠い外国が舞台のお話なら、「違う世界の出来事」として自分と切り離せますから。
でも身近な日常や学園生活を描くマンガがどんどん主流になっていくと、環境が読者にグッと近づいてきますよね。「こんなドラマティックなことが自分に起こらないのはなぜ?」「私はこのヒロインのようにかわいくない」と、比較しやすくなってしまうんです。
そういう意味で、少女マンガが女の子の容姿コンプレックスに与えてきた影響は決して少なくないと私は思っています。
これは何か特定の作品が悪いという話ではないんです。少女マンガ全体が「西洋的かわいい」をずっと描き続けてきた歴史が生んだ副作用のようなものだといえます。
少女マンガもプリンセスも進化中
── とはいえ、ディズニープリンセスも日本の少女マンガも、昔と今では大きく変化しているように感じます。
トミヤマさん:
そうですね。ディズニーに関しては荻上チキさんの『ディズニープリンセスと幸せの法則』を読むとよくわかるのですが、受け身のかわいいお姫様から、自分で考えて行動するヒロイン像にだんだんと変化してきています。
そこは日本の少女マンガも同じです。シンデレラストーリーをなぞらない作品が今はどんどん増えています。王子様的な男子に選ばれて愛されるだけじゃないってことです。
もちろん、クラスでいちばんのイケメンにヒロインが愛される物語も少なくありませんが、それはある種の古典芸能的な楽しみ方がされているなと思っていて。歌舞伎の演目に「イヨッ!」と声掛けする感じに近いかも(笑)。
そういう王道の物語を描きたいマンガ家、読みたい読者はもちろんいるでしょう。ただ、それがすべてではなくなってきている。
少女マンガの作画も同じです。西洋的なかわいいから逃れつつ、魅力的なヒロインを描く作家さんたちが最近は少しずつ増えてきています。『プリンセスメゾン』がドラマ化された池辺葵先生はその好例ですよね。
少女マンガ全体がそうなってほしいとまでは言いませんが、そういう多様なヒロインの魅力を描いた作品が増えていくと嬉しいな、と個人的には思っています。
実際のところ、腕のある作家さんであれば不可能じゃないと思うんですよ。だって昔は「イケオジ」なんてジャンルは存在しなかったじゃないですか?
でも今は魅力的な中高年男性を描ける作家さんがたくさんいますよね。これは作画技術の発展によるものですから、ヒロイン像をもっと多様にしていくことだって、きっと可能なはずなんです。
少年マンガが美醜にとらわれないワケ
── では少年マンガが、読者の男の子に容姿コンプレックスを抱かせるような側面もあるのでしょうか。
トミヤマさん:
男の子の場合はまた別の観点が必要になってきます。
まず、少年マンガを読んだ男の子が、主人公と自分の見た目を比較して悩むことがあるかというと、おそらくほとんどないでしょう。
外見をすぐに美醜のものさしで測られてしまう女性とは違って、男性の場合は「男が自分の外見についてウジウジと悩むなんて男らしくない」という抑圧を受けているんですね。
容姿の問題で悩むこと自体が、社会にまだ許容されていない。悩んでいる男性は「女々しい」とされてしまう。最近は男性用化粧品もたくさん出てきていますけど、世間的にはまだまだ「男が化粧をするなんて」と否定的に捉える人のほうが多数派です。
『少女マンガのブサイク考』を出したあと、意外なことに男性読者からの感想も多く寄せられたんです。そのなかで「男性の社会にも苛烈なルッキズム(外見差別)がある」という告白をしてくださった方が何人もいらしたんですよ。
「男のくせに容姿で悩むなんて」という圧
── 男性が晒される外見差別とはどんなことがあるのでしょう?
トミヤマさん:
例えば、普段は差別はよくないと主張しているリベラルな男性、あるいは高学歴で聡明な男性であっても、男同士の輪の中では「お前ハゲじゃん」「あいつデブだしな」という発言を平気でしていることはよくあるそうです。見た目の話になると、とたんに差別的で無神経になる。とても興味深い現象だと思います。
加えて、外見にまつわる悩みが女性ほど深刻には受け止められないのも、男性特有だなと思いますね。
女性であれば女同士で「顔のここがコンプレックスで~」と話し合えたりしますよね。でも男同士はなかなかそれができない。「男が容姿のことで悩むなんて」という社会の圧が強すぎて、悩んでいること自体を口に出せないのが現状です。
まだまだ殻を破れない男性から見ると、「女性たちは悩みを共有できていて羨ましい」と感じてしまう部分もあるそうです。
外見の悩みには、個人差だけでなく、ジェンダー差もあるということを心に留めておくと、コンプレックスへの向き合い方も変わってくるのではないでしょうか。
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「西洋的かわいさ」の呪縛で容姿コンプレックスを抱きやすい女性側と、「男のくせに」と外見の悩みが軽視されがちな男性側。この状況を理解することが、生きやすさ出発点になるのかもしれません。
インタビュー第2回では、「自分のコンプレックスな部分が娘に遺伝してしまったことを悩む母親」がどうすべきかをトミヤマさんにお聞きします。
PROFILE トミヤマユキコさん
1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部、同大大学院文学研究科を経て、2019年から東北芸術工科大学芸術学部講師。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーについて書く一方で、大学では少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当。著書に『夫婦ってなんだ?』『少女マンガのブサイク考』など。
取材・文/阿部 花恵 写真/河内 彩 アンケート実施/2021年8月 アンケート対象/30歳から59歳の働く女性46人 アンケート手段/インターネット