42歳で一卵性の三つ子の女の子たちを出産した会社員のmaeda873さん(50歳)。高齢出産に加え、3人同時進行の育児は想像以上の負担が。頑張りすぎた結果、産後うつになってしまったといいます。そこで見えた、ムリをしすぎない大切さや三つ子育児の楽しさとは──。
オムツ交換は1日25回、やってもやっても終わらない
2000グラム前後で生まれた三つ子の娘たちは、約1か月NICUの保育器に入ることに。先に退院したmaeda873さんは、搾乳した母乳をパックに詰め、毎日車で片道約1時間かけて届けに行きました。
「未熟児の娘たちは、吸う力が弱く授乳に時間がかかります。面会時間の終わりまで付き添い、帰宅すれば3時間おきの搾乳でヘトヘト。母乳の出も悪く、自分を責めてばかりでした」
夫は子育てに積極的でしたが、仕事で平日は不在。そのため、子どもたちが退院したあとは、両親とともに育児に励みました。
「出産により、高齢の両親のおだやかな老後を奪った申し訳なさがありました。少しでも負担を減らそうと、できるだけ一人でなんとかするつもりでした」
ところが三つ子育児は想像以上。夜中も3人同時に眠ることはほぼありません。誰かが寝ると、別の子が夜泣きを始める日々。ひとりは抱っこ、ふたりをそれぞれバウンサーに乗せて足で交互に揺すったことも…。
「生後3か月までは紙オムツで毎日25回以上交換。生後4か月以降は生活リズムがつかめ、交換頻度も20回前後に減ったので母の方針で布オムツへ。とはいえ布オムツは横もれも多く、しょっちゅう着替えさせていました。そうでなくても疲労困憊なのに、洗濯物も増え、つらかったです」
3人を連れて外出する際は、ひとりをおんぶ、ふたりを横型のツインベビーカーに乗せていました。
「車で出かけるときは、娘たちをひとりずつ抱っこしてチャイルドシートに乗せました。荷物も多く、いつも玄関と駐車場を5往復はしていました」
お風呂に入る気力もなくなり、産後うつに…
負担が多く、不安ばかりが増す毎日。次第に食事も睡眠もとらず、お風呂も入らなくなりました。逆に、立ちくらみは増え、気を失って倒れることも。限界を感じ、両親に泣いて“病院に行きたい”と訴えました。
病院での診断は産後うつ。保健師とも相談しましたが、自治体のサポート体制はなく、すぐに利用できるサービスもありません。結局、これまで以上に両親から支えてもらうことに。
「定期的な通院と投薬のおかげで少しずつ心身が回復しました。この経験から、もうムリしないと決めました。全部を完璧にはできない。考えすぎず、目の前にあることだけを一生懸命しようって。肩の力を抜く大切さを痛感しました」
仕事と育児の両立こそ大事だと気づいた
保育園を申しこんだものの、待機児童となり育休を延長したため、産休・育休は20か月取得。復帰する頃には体調は戻っていましたが、上司には事前に産後うつを患ったことを報告しました。
「仕事と育児を両立できるか不安でしたが、復帰後は育休中よりもラクでした。24時間育児から解放され、体力的な負担が減ったのが大きかったです」
洋服への名前つけなどの準備や送迎も3人分。大変さはあっても、成長する姿が励みになりました。今でも学童へのお迎えの際、娘たちが笑顔で胸に飛びこんでくるときは、愛おしさで満たされます。
「娘たちは、いつも3人一緒で心強かったのか、保育園でも学童でも初日からさみしがることなく楽しんでいました。三つ子ならではのメリットだと思います」
三つ子育児で感じる意外な経験
大変なことも多い三つ子育児ですが、もちろん喜びやメリットも少なくありません。保育園でも小学校でも、他の保護者から“三つ子ちゃんですか?”と声をかけられ、親しくなる機会も多い様子。
「それに高齢出産だったので、私たち(両親)が思いがけず早くいなくなったとしても、姉妹が3人いると思えば少しは安心です」
同い年の姉妹たちはとても仲良し。三つ子というと、すべてがそっくりなイメージがありますが、産まれたときから個性や食べ物の好みは異なりました。
「長女は社交的で気が強く、物おじしません。次女は優しくておだやか。三女はおっとりしていて泣き虫の甘えん坊です」
性格は違っても、時間差でまったく同じことを言う、行動がシンクロすることがよくあるそう。三つ子ならではなのか、と不思議に感じることも少なくありません。
また、おそろいコーデを楽しめるのも三つ子の特権。生まれてすぐ、長女はピンク、二女は水色、三女は黄色のリボンを足首につけました。今でも識別のために持ち物には3色のリボンなどをつけています。
「洋服も色違いでおそろいを着させて、コーデを楽しみました。おそろいだと目立つので迷子防止にも。最近は、あまり本人たちがおそろいを着たがらなくなり、ちょっとさみしいです」
いまの夢は、多胎児家族のネットワークを作ること
現在、三つ子の娘たちは小学2年生に。少しだけ以前を振り返る余裕もできました。
「夫婦だけでは三つ子を育てられなかったと思います。両親や友達、周囲にたくさん助けてもらいました。通りすがりの人が“これまで大変だったでしょう”とねぎらってくれると、泣きそうに。どんな形であっても、いつか恩返ししたいです」
maeda873さんが暮らす市内には、多胎児のママたちが集まり支え合う“多胎児サークル”がありません。いずれは小規模でもいいので、多胎児家族のネットワークを作るのが夢です。
「私がはじめて他の三つ子ママに会えたのは娘たちが3歳半になってから。もっとも過酷だった生後3か月の頃、同じ立場の人と思いを共有したかったです。私の経験が、誰かの励みになったらいいなと感じます」
maeda873さん(ブログ https://ameblo.jp/maeda-873/)
文/齋田多恵 画像提供/maeda873さん
※上記は、maeda873さん個人の経験談・感想です。