ある日、夫が深刻そうな顔で電話をしていました。電話が終わってから「大丈夫?何かあった?」と尋ねると「今、母親と話してたんだけど、、父親が認知症を発症したらしい」とポツリ。
もともとカラオケや温泉が大好きだった義父が、コロナ禍の「自粛」で外出できず、社交の場を失ってしまったことも認知症発症のひとつの引き金になったようです。夫はずっと会えずにいた母親が、1人で介護の負担を背負い、なかなか子どもたちに言い出せずにいたことにも大きなショックを受けていました。
コロナ禍における「自粛」が高齢者の認知機能の低下につながる危険性は以前から指摘されきました。そして遠方の両親になかなか会えず、様子を見られない、という人も多いはず。ふとこう思いました。義父の例は氷山の一角に過ぎず、今、こんな家族が増えているのではないか?と。
「年末にひさしぶりに実家に帰ってみたら親が認知症を発症していた、と言うケースが今後増えるのではないかと危惧しています」と話すのは、認知症の母親の遠距離介護を9年間に渡って続けている介護作家でブロガーの工藤広伸さんです。
離れた場所に暮らす親の変化に早めに気づくにはどうしたらいいのか?そしてもし認知症を発症していた場合、離れて暮らす子どもには何が出来るのでしょうか?
コロナで孤立した高齢者 認知機能の低下 2.7倍に
今年7月、国立長寿医療研究センターの研究チームが興味深い報告をまとめました。コロナ禍で地域の交流が減り、社会的に孤立した高齢者は、認知機能が低下する確率が2.7倍になると言うのです。
研究チームは、1回目の緊急事態宣言が出される前の昨年3月と10月に岐阜県美濃加茂市の高齢者2千人を対象に、社会的孤立と認知機能障害の関連を分析。「食事や衣服選びなどについて自分で判断できない」「自分の考えをうまく伝えられない」といった項目から認知機能を調べた結果、コロナ禍で孤立した人が認知機能障害となる確率は、孤立していない人と比べて約2.7倍になっていました。
内閣府の調査では、2025年には、約5人に1人が認知症になると予想されていますが、専門家の間では、コロナ禍での「運動不足」「コミュニケーション不足」「孤立」によって、想定以上に患者が増えるのではないかと危惧する声もあがっています。
年末の帰省 親に認知症のサインないか確認を
介護作家でブロガーの工藤広伸さんは、末期ガンの父、認知症の祖母を介護の末看取り、現在も岩手県に住む認知症の母親の遠距離介護を9年続けています。工藤さんは「年末の帰省を考えている人は、親の様子をよく観察してほしい」と話します。
「僕の母もコロナ禍の1年半で認知症の症状が大きく進行しました。認知症の診断に広く用いられている「長谷川式認知症スケール」の点数でいうと、12点だったものが9点まで下がりました。コロナ禍で認知症が悪化したり、認知症予備軍になるケースは確実に増えているはずです。MCI(軽度認知障害)と呼ばれる段階では、46%の人が健常な状態に戻るというデータもありますから、もし年末にひさしぶりに実家に帰る方は、親に認知症のサインがないか注意深く見てほしい」
短い滞在で親の認知症のサインに気づくには、どんなところに目を向ければ良いのでしょうか?工藤さんは自身の著書『親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)』の中で「親の生活環境」にたくさんのヒントが隠れていると指摘しています。
【短い滞在でも見つけられる認知症のサイン】
□ 冷蔵庫に消費期限切れの食材がある
□ 料理の味、食材が変わった
□ いつも飲んでいる薬の飲み忘れがある
□ 払い忘れている請求書や督促状がある
□ ゴミの分別ができていない、収集日に廃棄しない
□ 車や車庫にぶつけたような傷がある など
認知症の症状は1日の中で大きく変化するため、少しでも「異変」を感じた場合は、1週間程度親と過ごし、曜日単位で決まっている家事やイベントを親がこなせているか、親の生活の様子を確認することがおすすめだと言います。
離れていても親の認知症のサインに気づく方法
コロナウイルスの流行の状況によっては、今年も「帰省できない」という人も多いはず。離れていても親の認知症のサインに気づくことは出来るのでしょうか?
「親の生活環境を実際に見ることがいちばんですが、帰省が難しい場合は、普段からマメに連絡を取り合っていると親の変化に気づきやすくなります。電話はもちろん、活用できるご家庭は、zoomなどオンラインのツールも使ってみてください。会話のなかで親と約束をして「その約束を覚えていられるか確認する」というのも有効な手段だと思います」
【離れていても見つけられる親の認知症のサイン】
□ 会話の中で同じ話を繰り返す
□ 約束を覚えていられない
例)「じゃあ次は土曜日の朝10時に電話するね!」となどと約束
→その時間に電話し「あれ?なんで電話してきたの?」などと返答された場合は要注意。
□ 親の近所の人や親類と連絡をとり「地域の行事に急に来なくなった」などの異変がないかを確認する
もし親が認知症とわかったら「孤立」しないことが大切
では、もし離れて暮らす親が認知症、または認知症予備軍とわかった場合、子どもはどうすればいいのでしょうか?
認知症と診断される前に、MCI(軽度認知障害)と呼ばれる段階があるため、まずは親にMCIテストを受けてもらうという方法があります。MCIの段階で、運動や食事の改善に努めると、改善したり、その状態を維持したまま自立した生活を送れる方もいます。
もし親が認知症と診断された場合も、工藤さんは「頭を使って親を支えるのが子どもの役割」と話します。
「親が認知症と知って、ひどく落ち込むのは誰もが経験することだと思います。けれど、僕のように親と離れて暮らしていても、介護保険制度を利用すれば、親を支援する態勢を整えることは可能です。まずは冷静になって、地域のサービスと繋がりましょう。僕の場合は「母が認知症かもしれない」と気づいた時に、認知症予防財団の電話相談「認知症110番」に何度も電話をかけて相談をしました。大切なのは認知症の人も介護者も『孤立』しないことです」
【親が認知症とわかった場合の相談先】
□ 認知症予防財団の電話相談「認知症110番」
□ 親が暮らす地域にある地域包括支援センター
□ 親が暮らす地域の「認知症カフェ」
□ もの忘れ外来(脳神経内科・外科、老年科、精神科、メモリークリニックなど呼称はさまざま)
「地域包括支援センター」は、保健師、社会福祉士、ケアマネジャーなどの専門スタッフがいる公的な相談窓口です。各自治体の小・中学校区にひとつあるので、介護のことで不安がある場合は、まず地域包括支援センターに相談しましょう。かかりつけ医の紹介をはじめ、介護度に応じて利用できる介護保険サービスも紹介してくれます。
また、親に認知症の疑いがある場合「認知症ケアパス」を入手することが出来、市区町村の様々なサービスや支援の連絡先などの情報をまとめて見ることができます。
「認知症カフェ」は、認知症の人とその家族だけでなく、認知症に関心のある人、専門職の人など、誰でも気軽に参加でき、お茶を飲みながら交流したり、情報交換ができます。他の介護者から実体験に基づいた地域の病院のクチコミなどを聞くこともできるため、工藤さんも「ぜひ一度は参加してほしい」と話します。
「地域包括支援センターや認知症カフェを知らなかったために介護保険サービスを利用できず、介護をひとりで丸抱えしたり、全額自己負担でヘルパーを雇ったという人もいます。子どもの「役割」として、ぜひ公的なサービスや制度をリサーチし、親とつないであげてほしい」
「早期発見・早期絶望」にならないために
認知症の当事者の間では「早期発見・早期絶望」という言葉があります。多くの人にとって、認知症といえば「何も分からなくなる」「街を徘徊する」というイメージが強く、認知症と診断された多くの人が、「認知症と診断されたら人生の終わりだ」と思いこんでしまう…。病気を早く発見したとしても、早く絶望するだけ、と考えられてきた面があるのです。
しかし工藤さんは「たとえ認知症になったとしても、すぐにその人らしさを失うわけではない」と話します。
「認知症といえば『散らかった部屋』を想像する方もいると思いますが、もともとキレイ好きだった母は、今も部屋を散らかすことはありません。大好きだった料理も細々とですが続けられています。時に僕の名前を思い出せないほど認知症が進んだ今も、「母らしさ」はそのまま残っているなぁと感じるんです。
認知症は少しずつ進みますが、9年母の様子を見て思うことは、本人の工夫と周囲の支えがあれば、認知症になっても人生をあきらめず、新しいことにチャレンジし、人生を充実させることは可能だ、ということです。ネガティブに偏った認知症の情報から早めに脱却して、冷静に親の自立の可能性を模索してほしいと思います」
日本認知症本人ワーキンググループが18年に発表した『認知症とともに生きる希望宣言』は、認知症の当事者が、自らの体験と思いを言葉にすることで生まれました。宣言にはこんな言葉が並びます。
「認知症になったらおしまい」ではなく、よりよく生きていける可能性を私たちは無数に持っています。
できなくなったことより、やりたいことを大切にしていきます。
仲間や味方とともに私が前向きに元気になることで、家族の心配や負担を小さくし、お互いの生活を守りながらよりよく暮らしていきます。
工藤さんは「この宣言をぜひ親子で読んでほしい」と話します。子どもの「役割」は、親の人生を勝手に諦めてしまうことではなく、前向きな姿勢で情報を集め、親の『環境づくり』のサポートをすること。親が地域の公的なサポートを受けながら社会活動に参加し、やりがいや生きがいを感じられるようになると、元気でいられる期間を伸ばすことにもつながります。
「認知症だから何もできない」ではなく、「認知症だからこそ周囲とのつながりを」──。
5人に1人が認知症になる時代を目前に控えた今、子ども世代が認知症を正しく理解し、親世代を適切にサポートすることは「社会の急務」であるとも言えそうです。
介護作家・ブロガー。岩手県に住む認知症&難病の母(要介護2)を、東京から遠距離在宅介護を続けて10年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や末期ガンの父(要介護5)も介護し看取る。30代、40代と2度の介護離職を経験。「親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)など著書多数。
取材・文/谷岡碧