「今日は行きたくないな」という思いをした経験は、誰にでもあるもの。とはいえ、子どもに「行きたくない」と言われると、戸惑うこともあるかもしれません。

 

今回は、子どもの「行きたくない」という思いについて、保育士・きしもとたかひろさんの視点で読みときます。

「行きたくない」という言葉をどう受けとめる?

「子どもが学童に行きたくない」と言っているんです。と保護者の方から声をかけられた。

 

その言葉に一瞬ドキッとして身構える。僕たちの役割はまず子どもの居場所を作ることだ。

 

「来たいと思える場所」が理想だけれど、そうならなくても「来たくないとは思わない場所」を目指している。

 

だから、「学童に来たくない」とはっきりと言われると、自分のミスを指摘されるような後ろめたさと、できていない申し訳なさが混じったような気持ちになる。

 

保護者からは「本人は友達とうまくいっていないと言っていて…」と相談を受けたので、注意して見守ることにした。

探っているのを悟られると身構えるので、いつも通り関わる。

 

見ている限り、お互いに軽口を叩き合ったりはしているけれど楽しそうだし、一人でいる時間なんかほとんどないくらい仲良く遊んでいるように見える。

 

ふとしたタイミングで、「なんかあったらいつでも言いなー」と声をかけてみると、「ん?なんもないで〜」と言って遊びに戻っていった。

 

隠しているだけかもしれないから断定はできないけれど、それでもその子の生き生きした姿を見ながら「言っていた事と違うような」という思いが湧く。

 

言葉を選ばずに言うと「大袈裟に言っているんじゃないか?」という疑念だ。

嘘と決めつける前に…

でも、そこで「その子が嘘をついているんじゃないか」と疑ってしまいそうになるけれど、思いとどまる。その子の「行きたくない」という気持ちまで嘘にしてはいけないからだ。

 

「子どもの言っていることを鵜呑みにしてはいけない」というようなアドバイスもあるけれど、そんなことはない。そのまま信じればいいんだ。信じて、見守る。

 

自分のなかにある思いやしんどさを正確に捉えて表現することは大人でも難しい。いろんな感情が絡み合って整理できずに、目の前の「さっきしんどかったこと」や「今イヤなこと」を言葉にすることはよくある。

 

以前、喧嘩して泣いている子にどうして泣いているのかと声をかけたら、「今日のおやつが美味しくなかった」と言われて戸惑ったことがあるんだけど、それに似ている。

不満やしんどさはたくさんあって、そのなかの目の前にあった思いついたことを口にするのは、嘘ではない。

 

運動会の練習が続いていて疲れているのかもしれない。算数が難しくて宿題が憂鬱なのかもしれない。

 

友達が家でゲームしているからかもしれないし、僕たちには見えない別の理由があるけれどそれが言い出しづらいのかもしれない。

 

僕ができることは、嘘かどうかを疑うことではなく、その思いがどこにあるのかを汲み取ろうとすることだ。

 

その後、明確な解決が訪れたわけではないけれど、それでよかったんだと今は思う。 疑いから入ると見落とすこともあるし、その言葉を信じた上で理由を探れば原因が見つかるかもしれない。

 

どちらであっても、寄り添うことができたなら取りこぼすことは減るんじゃないかな。

「行きたくない」にもいろんな理由がある

もう1人別の学童で、学校から帰ってくるなり「学童に来ずにそのまま家に帰りたかった」とつぶやいた子がいた。

 

学校で友達と喧嘩でもしたんだろうか、昨日学童でイヤなことでもあったんだろうか…。 心配になりながら、「なんかイヤなことでもあったん?」とさりげなく尋ねてみると、「ううん、楽しいことがあってん」とその子は応えた。

 

「学校で楽しいことがあったときはそのまま帰りたくて、学校で楽しいことがなかったときは学童で楽しいこと増やして帰りたいねん」と続ける。

 

「行きたくない」にも色んな理由があるのだとホッとする。

 

明確な理由があるときもあれば、なんとなくそう思うときもある。だから、ネガティブだとか、悪いことだとか、はっきり決めつけなくていいのかもしれない。

 

前向きを前向きと思わずに、後ろ向きを後ろ向きと思わずに、その子とそのまま向き合うことこそ僕たちの役目だよな、と襟を正す。

 

文・イラスト/きしもとたかひろ