「好きなことをしていいのよ」「自分の好きなことを仕事にしなさい」そんな言葉を子供にかける親も増えてきているのではないでしょうか。一方で「好きなことがわからない」と悩む人は少なくありません。「自分の好きなことはなんだろう」と考え、やっていることが良いのか迷ってしまう人もいます。シリーズ累計600万部を超える作家の浅見帆帆子さんは、この「好きなこと探し」には落とし穴があると警鐘を鳴らします。
選択肢が増え、自分たちで生き方を選べる時代になった
── 好きなことは何だろうと考える人が増えてきたと思います。このことについて、浅見さんは著書『やっと本当の自分で生きられる』のなかで好きなこと探しには落とし穴があると指摘されていますが、それはどういう意味でしょう。
浅見さん:
そうですね。その前段階として、これからの時代について簡単に説明します。
自分の本音の通りに生きる人が幸せになる時代になったと思うんですね。コロナより前から起きてはいたのですが、それがコロナで加速し、いろいろな生き方の選択肢が増えたからです。
例えば、WEB会議ツールのズームを使うことによって出社機会が減りましたね。「あ、会社にいかなくても同じ仕事ができるんだ」と気づいた。それにより、都会には住みたくなかったけれど、通勤を考えて都内に住んでいた人が、自分たちの本当の幸せを考えて、郊外に転居するケースも出てきました。
そのように、人それぞれの選択肢がとても増えてきていて、自分たちで選べる時代になってきたという前提があります。人は別のやり方を良いというけれど、自分はこれが好きだからやろう、というように自分軸で選択肢を選べるようになったのだと思います。
好きなことが見つからないと幸せになれないという思い込み
── そんななか、好きなこと探しの落とし穴とは何でしょうか。
浅見さん:
好きなこと探し、自分探しというものは増えてきたのですけれど、これに惑わされてはいけません。自分の基準で選ぶ時代になりましたが、だからと言って、「好きなことが見つかっていなければ就職できない」とか、「好きなことが見つかっていなければ幸せになれない」ということはまったくありません。その思い込みをはずすことが大切です。そこに縛られると、ただただ「好きなことはなんだろう」と考え、迷ってしまうようになります。
また、好きなことは誰にでも必ずあるものです。しかし、他人に語るようなことではない場合もあります。しみじみお風呂に入って、あのぼんやりした雰囲気のなかで本を読むのが何より好きという人もいますね。それだって最高に好きなことなんですよね。そうであれば、その時間をたっぷりとれる暮らしを作っていけばいいんです。
好きなこと探しというと、みんな他人に説明できて、一生そこに身を捧げていく、そういうことをイメージするけれど、それも結局、イメージに振り回されています。好きなことが大袈裟なことである必要はないんです。
もちろん、ずっとやりたいことがあったのに、我慢していた人はどうぞやってくださいと思いますが、好きなことなんかなくても、いくらでも幸せになれます。そこが大事です。
好きなことを仕事にする必要もない
── 好きなこと探しに縛られると、かえって好きなことが見えなくなるんですね。
浅見さん:
はい。講演会などでも、とても質問で多いのは「好きなことを仕事にした方がいいのですか」という問いです。答えとして言えるのは、「その好きなことを自分の仕事にする必要もない」ということなんですね。
好きなことがたまたま仕事になっている人もいますけれど、仕事にすると別の意味合いを持ち始めて、これまでの「好き」の感覚とずれてくることもありますよね。
例えば、お菓子を作るのが好きなことだと自分で発見した人がいたとします。しかし、お菓子を作って、どこかの店におろすとか、お教室を開くことを考えると苦しくなる人もいると思うんです。
まるで世間は好きなことの方に伸びている人を輝いていると捉え、紹介しがちなんですが、それは人によって向き不向きがあって、家族や周りの人に最高のお菓子を作ってあげることがその人にとって最高のことってこともありますよね。それをして自分が楽しくてワクワクできているか…そこが満たされていれば、仕事にしようとプライベートで楽しもうと形はどれでもいいのです。
そこを間違うと、好きなことを探しながら苦しい…という状態になります。
── 好きなことを仕事にする必要はないんですね。
浅見さん:
自分の本音を聞いてみればわかると思うんです。必ずしも好きなことを世に発信していくこともない。好きなことを発表したり公表したりできる形にしなければ、という風潮になりがちですが、もっと自分の感じ方に素直に、自由でいいと思うんです。
PROFILE 浅見帆帆子
取材・文/天野佳代子 写真提供/(株)ホホコスタイル