人は誰一人として同じ人がいないからこそ、気持ちの伝え方や関係性に悩むことがあるのかもしれません。

 

「子どもも大人もしんどくない保育」を目指し、SNS発信が話題の保育士・きしもとたかひろさんが、子どもと関わるなかで出会ったエピソードを元に、その子の気持ちの受け止め方や関わり方への思いを綴ります。

怒ったあとには、笑わせる

怒った後にはフォローが大切だ。

 

怒られて落ち込んだ気持ちをそのままにせず、楽しい雰囲気に切り替えられるように。嫌いで怒ったんじゃないと、見放していないんだと、伝わるように。

 

その子との信頼関係の確認のためでもある。怒るときは怒るけど優しいときは優しい、メリハリのある大人として子どもと関わるのは大切なことだ。

 

だから、子どもを怒った後には、必ず笑わせる。そんなポリシーを僕は持っていた。

ずっと大事にしてきたことだけれど、最近になって「それは本当に大事なことなのか?」と思い惑っている。

 

落ち込んだままにはしたくないし、何より見放していないよ見守っているよって伝えることはとても大事なことだと思う。

 

ただそれは、子どもに「あなたのことを見放していないよ」と伝えているんではなくて、「僕のことを見放さないでね」って伝えているんじゃないか、とふと思うのだ。

 

怒った後にどれだけフォローしようとも、それで怒られたときの恐怖や辛さがなかったことにはならない。その子のためを思って言ったとはいえ、怒られている瞬間その子は辛い気持ちになっている。

 

あとで笑ったからといってそのときの辛さが無くなるわけではないのに、僕はそれで「よかった笑ってくれた」と何かスッキリした気持ちになってしまっている。

 

いや、なにか良いことをした気になっていたりもする。

怒っても懐いてきてくれるのは、思いが伝わっているわけでも関係性ができているわけでもなく、怖くて機嫌を取りに来ているだけかもしれないのに。

 

その子が自分の失敗と向き合って落ち込んでいるのなら、沈んだ気持ちを立て直す手助けとして一緒に笑えたらいいなと思う。

 

ただ、僕が怒ったことで落ち込んでいたり泣いたりしているのに、それを「僕が笑わせてあげた」なんて思ってしまっているなら、それは僕の傲慢かもしれない。

 

こういう自分に直面するのはかなり辛い。今まで大切にしてきたことが間違いだったなんて思いたくないという防衛本能が作動しているのが自分でも分かる。向き合うのはもっと辛い。

 

けれど、間違えているかもしれないって思ったのなら、そのままにするわけにはいかない。これまでの自分を守るよりもこれから自分が関わる子どもたちのほうが大事だよって自分に言い聞かす。

 

そもそも怒らなければいいのは百も承知だけれど、怒ったつもりがなくても怒られたと思わせてしまうこともあるし、必至に伝えようとするあまり怒ってしまうことだってある。

怒ることを正当化したいわけではなく、多様な場面でそれを完全に無くすことは難しいだろうということ。

 

もちろん少しでも減らそうとは思うけれど、それでも怒ってしまって子どもを傷つけてしまったときに、僕はどうするのか。

 

子どもの辛さに気づいて軌道修正できるかもしれないし、怒ってしまった後で謝るかもしれない。

 

今までと同じように、笑ってもらえるような関わりもするだろうけれど、きっとそれは、今までとは違う心持ちでやっていると信じたい。

 

怒ってしまう自分と向き合って、その子の辛さと向き合って、不甲斐なさを受け入れながら少しずつ変わっていけたら。

 

文・イラスト/きしもとたかひろ