人は誰一人として同じ人がいないからこそ、気持ちの伝え方や関係性に悩むことがあるのかもしれません。

 

「子どもも大人もしんどくない保育」を目指し、SNS発信が話題の保育士・きしもとたかひろさんが、子どもと関わるなかで出会ったエピソードを元に、その子の気持ちの受け止め方や関わり方への思いを綴ります。

強気な口調の子

グループのなかでは大人しくて、喧嘩になっても友達に攻撃的な言葉を使わない子が、僕がその子の友達と言い争いをしていると、かなり強めの口調で責めてくる。

 

もちろん本気の言い争いではなく、ふざけてちょっかいをかけてきたり軽口を叩いてきた子に応戦したりすると、なんとなく僕と子どもが言い合いになっているように見える。

 

そんなときに決まってその子は、僕とその友達の間に割って入り、僕に向かって両手を広げて「あかんで!」と、怒ってくる。そして、「きしもっちが悪い!」と一刀両断して、その友達を守るのだ。

 

僕は「なんでやねん、悪くないやろ」と言い返しながらも、普段大人しいその子の強気な一面が微笑ましくて、笑いながら退却することになる。

子どもが大人に生意気な態度をとることは、あまり良いこととはされてない。目上の人に対する言葉づかいはきちんと教えるべきとか、礼儀を教えるのも大人の役目だとかいう考えは根強いだろう。

 

かくいう僕も、幼少のころから武道を習っていて礼儀には厳しく育てられたので、子どものそういう姿を見て「ちゃんとさせたい」という気持ちが湧いてきたりもする。

 

大人が注意してきちんと言う事を聞くと「いい子だな」って思うし、反論してきたら「生意気だな」って思ってしまう。

 

いい感情ではないのは分かっているけれど「なめられているな」と感じてしまうことも正直ある。

 

実際に、子どもが調子に乗ってしまって保育者に暴力を振るってしまったり、いきすぎた暴言を吐いてしまうこともあるけれど、よく考えたら、距離感を間違えて相手を傷つけてしまうことは大人になってもある。

 

目を瞑ろうよ、とか、そうならないように厳しく躾けなければ、という話ではない。

 

その言動をその子の性格のように言ってしまうけれど、子どものそういった姿って僕とその子の関係の一部なんだよねってこと。

だから「君の態度は間違っている」とその子のせいにしちゃいけないんじゃないか。

 

コミュニケーションの問題は片方だけのものではないから、ズレているかもしれないと思ったらお互いにすり合わせてしていくことが大切なんじゃないか。

 

上からでも下からでもなく、その子と僕との関係ってどんなんだろうって考えてみる。もしかしたら子どもが僕をなめているんじゃなくて、僕が子どもをなめているのかもしれない。

 

あるいは、一部分だけ見たら生意気に見えるかもしれないけれど、その子との関係の全体を見てみたらどうだろう。

 

普段の会話では楽しく話すし、真面目な話をしているときは真剣に聞いてくれる。ふざけて見せると大笑いしてくれ、困った時には相談もしてくれる。

 

友達には優しくて、自分の意見をあまり主張しないけれど、大好きな友達が負けそうになっていたら「あかんで!」と止めに入り、「きしもっちが悪い!」と強くなるなら、それはそんなに悪いことではないのかもしれない。

 

普段大人しい子だからそう思えるんじゃないの?って、言われたら確かにそうかもしれない。

 

けれど、そうやって思えるのなら、普段から生意気だと思ってしまう子や物静かだと思う子に対しても、その子のせいにはせずに僕とその子の関係として振り返ってみようと思うのだ。

 

文・イラスト/きしもとたかひろ