山口健太さんは「食べない子」専門の食育カウンセラー。「食べない子」に悩む保護者や教育者に向けて情報発信を行っています。
かつて、自身が「食べない子」だったという山口さん。高校時代には、人と一緒に食事をする場面などで不安や緊張から吐き気や嚥下障害、動悸といった症状に悩まされる「会食恐怖症」にも陥ったといいます。
山口さんに、幼少期からの「食べない子」だった過去と、それを克服した方法を聞きました。
父に「食べないから小さいんだ」と叱られた
── 山口さんは、小さな頃から食べることが苦手だったのですか?
山口さん:
いわゆる“偏食な子”ではなく、食が細く量が食べられないタイプでした。もともと小さく産まれ、どちらというと小食だったんです。
小学校の給食の時間は、気が重かったですね。毎朝、献立表を見て「今日は全部食べきれるか」と心配していて。当時は、時間内に食べ終われなければ昼休みや掃除の時間まで居残りをしたり、残った給食を自分で給食室に戻しに行ったりしなければいけなかった時代でした。
── ご家庭での食はいかがでしたか?
山口さん:
家庭での食事にも、前向きな気持ちは持てませんでした。母親は理解を示してくれましたが、父親からよく「食べないから体が小さいんだ。もっと食べなさい」と叱られていました。
小中学校の頃は、両親は共働きで、父親が夕食当番の日は憂鬱でした。疲れてキッチンに立つ父親の背中はいつもイライラしていて、当然、食卓の空気も重たい。しかも必ず「おいしいか?」と聞かられるのがつらかったですね。「おいしい」と言わないと怒られるからです。
「食べなかった奴がいる!」先生に怒鳴られて
── 高校時代はどんな風に食と付き合っていましたか?
山口さん:
高校時代は父親が病気で入院したため、家では母親と2人か、1人で食事をするようになりました。プレッシャーがなくなり、家庭では安心して食事ができるようになりました。
ただ高校時代は、僕が本格的に食べられなくなってしまった時期でもあるんです。
きっかけは、野球部の合宿でのできごとでした。高校の野球部では、合宿中に食事のノルマがありました。それは、朝2合、昼2合、夜3合、1日の合計7合の白米を食べること。
でも僕は、合宿初日の最初の食事で、お昼の2合を食べきることができませんでした。すると夕食前、顧問の先生に「昼にご飯を食べなかった奴がいる!山口、お前だ!」とみんなの前で怒鳴られて…。
── つらいですね。小食の山口さんには、1日7合は厳しい量に思えます。
山口さん:
リラックスできる環境なら、どうにかがんばれたかもしれません。ただ、先生に怒鳴られた瞬間から、「食べなきゃ」と思えば思うほど食が進まなくなってしまったんです。
それからは、部活にまつわる食事を避けるようになりました。部活動の友達と一緒に食べていた昼食は、クラスの仲のいい友達と食べるように。部活終わりに「ラーメン食べに行こう」と誘われても、嘘をついて断っていました。
一番の課題は、年に2回の合宿の食事をどう乗り越えるか。
当時の僕は、合宿の案内のプリントが配布されるだけで気持ちが悪くなり、合宿中は食べものの匂いを嗅ぐだけで吐き気がしてしまう状態。合宿では、食事を前にして嘔吐してしまったり、食べ物を口に入れても喉が詰まってうまく飲み込めなかったりしたのです。
── 合宿中にそれだけの思いをしても、部活は辞めなかったのですね。
山口さん:
そうですね。当時の僕には「辞める」という発想自体がなかったのかもしれません。
「たくさん食べるべき」という暗黙のルールは変わりませんでしたが、学年が上がれば先輩の目が緩みますし、食べられないことを一緒にごまかしてくれる仲間がいたので、なんとか辞めずにすみました。
ただ、周囲に食べられないことを打ち明けたことは、ほぼありません。当時の僕は、世の中には「食べること=楽しいこと」という常識が存在するような気がしていて、食べることに後ろ向きな自分の気持ちなんて誰もわかってくれないと思いこんでいたんです。
だから「自分だけがなぜ?」と悩んでいましたし、積極的に周りに助けを求めることもできず1人きりで苦しんでいました。
「食べられる量だけ食べたら?」が克服のきっかけ
── 山口さんが「食べられない」を克服できたきっかけは?
山口さん:
大学時代、同じ高校の友人を誘っていろいろなサークルの歓送迎会に参加してみたことです。“緊張する場でだれかと食べる”経験を積めば、少しずつ慣れていくのではと考えたんです。
実際に、何度も飲み会に足を運ぶうち、参加すること自体は苦ではなくなっていきました。そこで食事ができるわけではないのですが、歓迎会ではそれを責める人がいなかったので、「食べられなくてもいいんだ」と安心できたのです。
── 大きな一歩ですね。その後、どうやって「食べられない」を克服していったのですか。
山口さん:
入学後、先輩から紹介されたお寿司屋さんでバイトを始めます。いい人ばかりだったのですが、毎回、まかないで出てくる大盛りの定食がつらくて。量が多いだけでなく、定食のように1人前の量を決められているとよけいに「全部食べなきゃ」という気持ちが増幅してしまうんですよね。
── バイト先の人は、上京したばかりでひとり暮らしをしている山口さんに「お腹いっぱい食べさせてあげたい」という純粋な気持ちだったのでしょうね。
山口さん:
そうなんですよ。ただ、僕の気持ちをラクにしてくれたのも、このまかないの時間だったんです。
我慢の限界がきたある日、勇気を振り絞って「僕、食べるのが苦手なんです」とスタッフさんに話してみたら、「無理しないで、食べられる分だけ食べたら?」と意外な返事が返ってきて。
驚きました。「そういうのもアリなのか…」と。それ以来、まかないの時間をみんなで過ごすことが苦痛ではなくなっていきました。半年ぐらい経つと、誰かと食べることへの苦手意識自体も薄れていったんです。
そこから、初対面の人がいる場など少しずつ苦手なシーンを克服していき、今では人と一緒に楽しく食事をできるようになりました。
── 現在、食育カウンセラーとして、食べられない人、食べられない子どもに向けた情報発信を行っています。どんな気持ちで取り組んでいますか?
山口さん:
僕が「食べられない子」になる引き金になったのは、部活の顧問の先生の言葉でした。
カウンセラーとして支援する立場になり、部活動や給食、家庭という場で先生や保護者から「食べなさい」「完食しなさい」という指導を受け、「食べられない子」になったケースが多いことを知りました。
一方で、先生方も「食べない子に対してどう指導したら良いのかわからない」という悩みがあることもわかりました。ですから、「食べない子」とそれを指導する立場にある人たち、どちらに対しての情報も発信しています。
「食べられない子」は、食べられないだけじゃない、食事にともなう楽しい時間も失ってしまいます。楽しいはずのデートも、仕事の歓送迎会も、親しい友人の結婚式だって苦痛になる。そんな思いをする人がいなくなってほしい。それが、僕が活動を続けるモチベーションです。
PROFILE
山口健太(やまぐち・けんた)
取材・文/有馬ゆえ