生理用品サポート事業をはじめ、市民に寄り添った制度を次々と打ち出し、住みやすいまちづくりを推進している兵庫県明石市。中心となって政策を動かしているのが、泉 房穂(いずみ ふさほ)市長です。
人口は8年連続で過去最高を記録し、約30万人に。若い世代の転入が増えているという明石市では、子育て支援が充実していることでも知られています。
こども医療費の無料化は、2021年7月、中学3年生までだった対象を高校3年生までに拡大。さらに第二子以降の保育料の完全無料化、中学校給食の無償化、公共施設の入場料無料化、0歳児を育てる家庭に向けた「おむつ定期便」など。所得制限がないことも大きな特徴です。
さらにひとり親家庭を支えるため、独自の制度として、2020年7月には全国で初めて、養育費を立て替える事業を始めました。
この事業の背景をはじめ、当事者目線にこだわる明石市の取り組みとその原動力について、泉市長に話をうかがいました。
20年以上かけて「養育費の立て替え」事業をスタート
── 「養育費の立て替え」事業は、求められる養育費の支払いが放棄されている場合、子どもが養育費を確実に受け取れるように直接市が催促し、不払いが続く場合は、市が立て替える(1か月分5万円)という取り組みです。画期的な内容ですが、どういった背景で始めたのでしょうか。
泉市長:
2020年7月にスタートしましたが、本当は私が弁護士として活動していた1996年頃から実現を目指していた制度なんです。世界で成功している取り組みを参考にしているのですが、養育費に関しては、スウェーデンやフランスの動向を見ながら進めました。
実は、国会議員時代に国会でも提案しています。2003年のことです。当時からノルウェーでもフランスやスウェーデンで取り入れられていたので、「ほかの国では実践していますよ」と訴えました。当時は時期尚早だったのか受け入れられませんでしたが…。
時代が変わって、子どもの貧困の議論が起こるようになり、明石市の政策も全国的に評価をしてもらえるようになりました。空気感が変わってきたんですね。その流れで、明石市として養育費の立て替えをスタートできました。実現できるまで20年以上かかりましたね。
子どもの頃から市長になって人助けをしたかった
── 養育費の立て替えのほかにも、一般的には隔月で支給される「児童扶養手当」を、全国で初めて毎月支給していますね。
泉市長:
はい。このコロナ禍では、ひとり親家庭への緊急支援として計10万円の上のせ支給をおこない、市民の声にスピーディに応えることを大切にしています。
── そこまで熱心に動けるのは、一体なぜなのでしょうか?
泉市長:
私自身、経済的に余裕のない家庭で生まれ育ち、弟は障がい児でした。当時からいろいろと悔しい思いをしてきて、世の中の冷たさに憤りを感じていたんです。だから小学生のころから、困っている人の力になれる人生を送りたいと思っていました。
その想いを実現するための手法として、法律が理解していたほうが役に立つと考えて弁護士になった面があります。同じように福祉の知識がないと福祉の仕事もできないだろうと、社会福祉士の資格も取得しました。そういった想いで国会議員を経て明石市市長をしているわけです。
福祉の世界に、人助けを表すものとして「ソーシャルアクション」という言葉があります。人が困っている状況に陥っているのは、制度自体が間違っているせいです。だから、その制度そのものを変えて困っている人を救いたい。法律を変えることも、社会福祉士の重要な仕事なんですよ。
私は肩書きこそ市長ですが、市長という立場で人助けをしている感覚で、政治家だという意識はあまりないんです。
── 性的少数者(LGBTQ+)の方の支援や認知症の方の支援、また被害者支援と更生支援など幅広い困りごとに細やかに対応している印象があります。
泉市長:
それも子どものころから望んでいたことです。生きているうちに精一杯、困っている人たちの声に応えたいので。
その根底には、自分の故郷である明石市に対して、子どものころから強い憤りがあるからかもしれません。いつもなぜこんなに困っているのに手を差し伸べてくれないんだろうと思っていました。自分の生まれ育ったまちに対して、「何かが違う」と違和感を抱いていたんですね。
そうして、自分が大人になって経験やスキルなど力を蓄えて、困った方たちに手を差し伸べるまちをつくりたいと思っていました。
子どもの頃から市長になりたかったんです。市長になれれば、自分のまちを変えることができる、優しい街をつくることができると思っていました。
そう思い続けて、2011年にやっと明石市の市長になれました。これで、想いを具体化できる、明石市で実現できれば他のまちでも導入でき、全国へ広がっていくだろうと思います。
ゼロから制度をつくり、事例を積み重ねていくことが自分の役割
── 子どもの頃からの想いを1つひとつ実現しているのですね。
泉市長:
今は、明石市で「こうすればできますよ」という成功事例を積み重ねている状況です。その方法をほかのまちが参考にして、どんどん広がっていくことはありがたいし、それが当たり前の社会になることを願っています。
ゼロから制度をつくり、事例を積み重ねていくことは自分の役割であり、自分に向いていることだと子どもの頃から思っていたんですよね。
就任して11年目のいまでこそ、それができる立場にいますが、就任してからの5、6年はボロボロでした。私の考えがなかなか受け入れられなくて。評価をしてもらえるようになったのは、ここ2、3年です。考え方や取り組み自体は当初から何も変わっていないのですが(苦笑)。
── 今では、明石市の取り組みが全国から注目されています。
泉市長:
結果がともなっていることが大きいですね。明石市はもともと人口減で赤字財政だったのが、この8年間で人口が約1万人増え、出生率も1.70を記録しています。そういった実績が蓄積されています。2020年もコロナ禍でありながら市の貯金は増えています。
これは、経済がまわっているということ。「お互いさま」の優しいまちづくりをすることで、市民に安心感が生まれます。そういったまちなら住み続けたくなるし、安心して財布の紐もゆるめられると思うのです。市民のニーズに応えたまちをつくると、まち全体が元気になるのは当たり前のこと。これからも自分の信念を貫いていきたいと思います。
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制度によって市民の負担を減らし、暮らしやすく優しいまちをつくる。話を聞きながら、泉市長の強い意志を感じました。市民の声にスピーディに応える明石市の取り組みが、成功事例として全国へ広がっていくことを願っています。
Profile 泉 房穂(いずみ ふさほ)さん
1963年、明石市にて漁師の長男として生まれる。明石市内の小・中学・高校で少年時代を過ごし、東京大学へ進学。NHKにてディレクターとして番組制作を行った後、弁護士に。明石市内で法律事務所を開設、庶民派弁護士として活動する。その後は衆議院議員を経て再び弁護士として活動し、2011年より明石市市長に就任。社会福祉士の資格も保持している。妻、娘、息子の4人家族。
取材・文/高梨真紀