人は誰一人として同じ人がいないからこそ、気持ちの伝え方や関係性に悩むことがあるのかもしれません。

 

「子どもも大人もしんどくない保育」を目指し、SNS発信が話題の保育士・きしもとたかひろさんが、子どもと関わるなかで出会ったエピソードを元に、その子の気持ちの受け止め方や関わり方への思いを綴ります。

「自分の機嫌の取り方」

イライラして物を乱暴に扱ったり、少し強い口調で話をしてしまったりする子がいる。

 

「物に当たりなや!」と注意はするけれど、それがその子の怒りをおさめる助けではないことには、自分でも気づいている。

 

癇癪を起こして盛大に暴れている子がいたので、制止しながら事情を聞いた。あいつが悪いとか、学校であんなことがあったとか、さっきあいつが睨んできたとか、あちこちに怒りをぶつけている。

何かに怒っているというよりは、確かに怒りに火をつけた出来事はあったのだろうけれど、それはきっかけに過ぎず、種火が消えてもガソリンが尽きるまで燃え続ける勢いがある。

 

きっと本人もすでに自分が何に対して怒っているのか分からなくなっていそうだ。

 

いつまでもその状態でいるのはしんどそうなので、本人にどうにか機嫌を直す方法はないかと尋ねてみる。すると「テレビを蹴とばしたい!窓ガラスを割りたい!」と言った。

 

「そうか、確かにすっきりするかもしれへんなあ」と許容はできないけれど理解は示すように応えると、「やっていいん?」と驚いている。本人も本気でできるとは思っていないのだろう。

 

「壊されるのは困るなあ」とまた非難はせずに事実を伝えると、「やっぱあかんねんやんーーー」と床に寝そべった。

 

「ほかの方法で機嫌治る方法ないかなあ」としつこく聞いてみると、少し考えて「うーん、お菓子はもう食べたしなあ」と呟いた。

 

すでに欲望が見え隠れしているが、気づかないフリをして「食べたなあ」と返してみる。「食べたから食べれないしなあ」と、「どうせ無理やろ」と悟った雰囲気をまとっているが、食べたい気持ちが隠れていない。

 

おやつをあげてなだめるってどうなんだろう、と少し考える。もので釣るみたいだし、つけあがるんじゃないかと思ってしまう。次も気に食わないことがあったら同じことをするんじゃないか。

 

おやつが食べたいがためにまた暴れられるんじゃないか。そんなことを危惧する。やっぱり良くないことのような気がする。

 

けれど、ともう少し考えてみる。いまの目的はなんだろう?僕がその子の機嫌をとることではないよな。わがままを聞くことでもない。その子が「自分で機嫌を直す方法をみつけること」と見たらどうだろう。

 

自分で自分の機嫌をとる方法として、イライラをなにかにぶつけるのと、特別におやつを追加で食べられるのと、どっちならいいだろう。それをその子自身で考えたのなら、それはそんなに悪いことではないような気がする。

 

怒りが収まるまで、ただ我慢する。耐える。克服する。それができたらいいけれど、そんな簡単にはいかない。

 

鍛錬を積んだ武士ならできるかもしれないけれど、それを子どもに強いるのは必要なこととは思えない。いや、鍛錬を積んだ武士も、イライラしたり疲れたりしたら特別にまんじゅう二個食ったりしたんじゃないか。

 

自分で自分の機嫌を取ることってとても大切なことだ。

 

我慢できなくてイライラしちゃうのはしょうがないけれど、そのイライラを周りに撒き散らして察してもらったり気を遣わせて機嫌を取らせる関係はなかなかにしんどい。

 

周りに撒き散らすのではなく、自分で自分の機嫌をとる。そんなひとつの成功体験になるんじゃないか?そんなことを少し考えてみる。

 

なによりも、その子が自分で考えてみたことを実現できるなら、これくらいの例外はアリなんじゃないか。

 

「試してみよか」と声をかけてみると、まさかOKが出るとは思ってなかったらしく「いやいやいや、もう食べたしいいわ!」と何故かここにきて遠慮している。

 

「お菓子あげるから暴れないでねって言ってるんじゃないで」と説明する。「ものに当たる以外で機嫌なおす方法を考えてみようって、自分で考えてみたんやろ?試してみなよ」と促してみる。

 

少し罪悪感を紛らわしたいのか、関係ない子を誘ってお菓子を食べ始めた。それもまた面白いなと思って見守る。

食べ終わってしばらくしてから「どう?」と尋ねると、「うん、もう大丈夫」と返ってきた。

 

「やるやん、自分で考えてできたもんな」と機嫌がなおったのはお菓子の力ではなくて君の力だよ、と伝わるように声をかけるけれど、もう長話は結構ですと言わんばかりに友達の輪に戻っていった。

 

「自分でどうにかしろよ」という風に伝わってないかな、と不安になりながら、自分でしか向き合えないこともあるけれど、ひとりで抱えてなくてもいいからね。矛盾している気がするけれどそんなことを思う。

 

文・イラスト/きしもとたかひろ