人は誰一人として同じ人がいないからこそ、気持ちの伝え方や関係性に悩むことがあるのかもしれません。

 

「子どもも大人もしんどくない保育」を目指し、SNS発信が話題の保育士・きしもとたかひろさんが、不安から抜け出せるような知識と、「こうあるべき」から解放されるような視点で読み解いていきます。

「正義の味方」

どんな時でも子どもの味方でいたい。助けてもらえないと思われたら、きっと辛いことがあっても相談してくれないだろうから、何かあったら助けてもらえるという安心感を持っていてほしい。

 

けれど、味方でいるっていうのは簡単じゃないなって感じる。

 

泣いている子がいた。心配して声をかけると、嫌なことを言われた、嫌なことをされたと訴えてくる。

 

そうかそうかと聞いていると、「怒ってほしい」と言ってきた。自分をいじめたその子を懲らしめてほしいのだ。

僕としては一方の意見だけ聞いて断罪するわけにはいかないので、「嫌な気持ちになっているのを伝えたり、もうしないでほしいってお願いしたりすることは代わりにできるけど、僕が怒ることはできないよ」と伝える。

 

突き放す言い方ではなく、あなたの味方だけどと伝わるように気をつける。

 

すると「なんで?悪いことしてんから怒ってよ!」と食い下がってきた。悪いことをした子が怒られるのは当たり前でしょう、怒らないなら僕の味方じゃ無いんだね、と言いたげだ。

 

そのタイミングで相手の子が茶化してきたので、それについては少し語気を強めて制した。

 

怒ってほしいと言っていたその子の言葉に少し誘われたところもあるかもしれない。すぐに、泣いていた子がそれを見て嬉しそうにしたことに気づく。

 

「嫌な子が怒られていると嬉しい?」と、責めるような口調にならないように尋ねると、「うん、気持ちいい」とその子は答えた。

 

快感という意味なのか、モヤモヤしたり辛い気持ちがスッキリするという意味かは分からないけれど、はっきりと「気持ちいい」という言葉を使われたことに、言いようのない戸惑いを覚える。

 

僕はいつも子どもの味方でいたいし、子どもにもどんな時でも味方でいてくれると思っていてほしい。助けてくれると思ってもらえないと、相談できずに抱え込んでしまう。それだけは絶対に避けたい。

 

けれど、と少し考える。それは、自分の嫌いな人を代わりにやっつけてくれる存在なのか。

 

悪者をやっつけるヒーローと言ったら聞こえは良いけれど、自分に嫌なことをしてきた子が怒られているのを見て溜飲を下げるために僕がいるのなら、少し悲しい。

困っていたり泣いている、その声を聞いて飛んで駆けつける。許さないぞ!と意気込んで悪者のもとに向かう。

 

最後には必殺パンチを喰らわせて一件落着、そんな定番の物語を僕もテレビで見てきた。悪いことをしたり、誰かを傷つけている者を懲らしめる、そんなストーリーを見てスッキリすることはある。

 

けれど、相手が叩かれたり誰かが不幸になることでしか自分の辛さを解消させられないのなら、それは逆にしんどいことなんじゃないか。

 

辛さを抱えたままなのはよくないから、それが一概にダメなこととは言えないけれど、腹が立ったりもやもやしたりイライラしたりその色んな感情と向き合えずに、とりあえずスッキリする方法として相手をやっつけるのは、健全とは言えない。

 

大人に頼らずに自分で悪に立ち向かう力を持って欲しい、とかそういうことではなくて、僕が手を貸すのなら、別の役割がいいなって思ったのだ。

 

攻撃から守るとか、傷を癒すとか、その場から逃げるとか、相手を倒す以外にもその子を助ける方法はたくさんあるんじゃないか。寄り添うってむしろそういうことなんじゃないか。

 

僕は、子どもの味方でいたつもりが実際はその子に寄り添うのではなく正義のヒーローをして満足していた、ということが今までにもあったんだろうな。

 

泣いているときに空を飛んで駆けつけてくれるのは、必ずしも必殺パンチを持っている正義のヒーローではなくて、辛い気持ちを癒してくれる甘いパンだけでいいのかもしれない。

 

文・イラスト/きしもとたかひろ