関西でラジオDJとして働いていた小谷真美子さん(48)。娘がいじめにあったことをきっかけに奈良県から沖縄県に移住。しかし、コロナ禍で仕事が見つからず、企業の採用試験を受けて合格すると、勤務地は北海道だった——。

地元に永住するはずが、娘がいじめに

奈良県育ちの小谷さん。2019年10月までの約23年間、音楽や情報番組などを中心にラジオDJを務めてきました。

小谷さん
DJする小谷さん

アメリカ人の夫と小学5年の娘とは地元の奈良に永住するつもりでしたが、娘が学校で「ハーフ」などと言われたり、仲間外れにされたりして登校できなくなったそう。

 

「どうしよう」。そう思ったとき、英語を教える仕事をしていた夫がインターネットを見ながら勧めたのは沖縄でした。

 

「面白そうな求人見つけた」と、まずは夫が単身で移住。19年秋、小谷さんも長年勤めたラジオ番組をやめて、沖縄に引っ越しました。

沖縄に移住するも、コロナ禍で仕事ゼロに

沖縄移住後も、関西圏のイベントに出演し、二拠点生活を送ろうと考えていた矢先、コロナ禍で仕事がすべてキャンセルに。

シュノーケリングする小谷さん

再び夫の勧めで今度は外資系企業の採用試験を受けることにしました。結果は見事合格だったものの、勤務地はなんと「札幌」に。20年夏、小谷さんは娘と2人、沖縄を10か月で後にして、札幌へ向かいました。

職場では「おかん」を目指す

職場では、正社員だが48歳でも平社員から。周りは20代〜30代前半の子たちが同期です。チームで最年長。「おかん(母親)です」と笑って話します。

 

上司が自分より若いことも「仕事ができるのだから当然」と気にはならないそうです。

 

ラジオDJという仕事をしていた経験から、失敗して反省はするが落ち込まない癖はできていたといい、仕事に役立っていると言います。

札幌で冬を過ごす小谷さん

周りの若い人たちがキャリアと結婚、出産の両立について悩んでいる様子を見ると「私も何とか乗り越えてきた」と懐かしく思い、「おかん」としてできるだけ、隙間仕事をこなしてチームが働きやすくなればいいと思って奮闘しています。

 

「プレッシャーはあるけど、そのときの全力を尽くすしかないのかと思って」日々を送っています。

具体的な予想図は自分の可能性を狭める

現在の仕事は事務職ですが、「それまでのラジオの仕事と大切にしてきたことは一緒なんだな」と最近分かったと言います。

 

「リスナーが楽しかったと言ってくれるのがラジオでは嬉しかった。今は仕事でやり取りした相手が『お話できてよかったです』と言ってくれると何より嬉しい」

 

日本を南から北まで、短期間で大移動し、まったく予期していなかった生き方をすることになった小谷さん。

 

「自分が描いていた未来予想図は大きく変わりました。戸惑いがなかったと言えば嘘になりますが、むしろその気になれば、どこでも幸せに暮らせるのですね。

 

どこにいても、何をしても、私は私。住み慣れない土地に暮らしても、自分の感性で面白いと思えるものは見つかるし、畑違いの仕事をしても私の個性は消えない。自分らしさというのは、ちょっとやそっとでは消えないものだと知りました。

 

具体的な予想図を描きすぎることで、自分の可能性を狭めることになるのだと気付きました」と振り返ってくれました。

取材・文/天野佳代子 写真提供/小谷真美子さん