神奈川県三浦市三崎で夫婦出版社「アタシ社」を営む、ミネシンゴさんと三根かよこさん。独立のきっかけとなった美容文芸誌『髪とアタシ』をはじめ、30代に向けた社会文芸誌『たたみかた』、漫画、単行本などの出版を不定期で行っています。
2015年の立ち上げから6年。出版事業以外の仕事も増え、業務内容が多角化する中で見えてきた「夫婦で働く意味」とは。二人の自由で豊かな働き方を取材しました。
従業員は「夫婦二人」、発行のタイミングは「自分が出したいと思ったとき」
──出版社を立ち上げようと思ったのはいつ頃だったのでしょうか。
シンゴさん:
僕は以前、美容系出版社で月刊誌の編集を、その後リクルートでは企画営業の仕事をしていたのですが、在職中に美容文芸誌『髪とアタシ』を作ったことが、結果的に独立へのきっかけとなりました。
当時、妻も同じ会社に勤めていて。仕事のかたわら、専門学校に通ってデザインの勉強をしていたこともあり、創刊号からデザインを担当してもらっていました。
第3号の企画で、漫画家・水木しげるさんの過去の作品の掲載を希望して、プロダクションに相談したところ「個人には貸せない」と言われたことも、法人化を決断したひとつの理由です。
── 個人事業主のままでは、できることに制限があったということですね。
シンゴさん:
書籍の流通や販路開拓についても、法人化したほうがメリットは大きいんです。
例えば、バーコードがついていないものは、いわゆるZINEのような扱いで、置いてもらえる書店も限られてしまう。大型書店に置いてもらうためには、取次業者を間に挟まなければいけないルールがあって、個人事業主のままではそこに介入できません。
妻も今後のキャリアを考えて「フリーランスでデザイナーをやる」というビジョンを持っていたので、「それならば一緒にやってみよう」ということになりました。
かよこさん:
いつかは独立するぞという夢を二人で温めてきたというよりは、小さなきっかけが積み重なって、どちらからともなく「出版社やろうか」と、閃いた感じでしたね。
──『髪とアタシ』は、現在6号まで発行されていますが、美容師のインタビューをメインとした企画が、他の美容雑誌とは異なるユニークさですね。
シンゴさん:
僕は元々、美容師として働いていたのですが、腰を痛めてしまい辞めざるを得ない状況に。それでも美容師の仕事が好きで、違う角度からこの業界に携われる仕事をしようと思い、未経験ながらも美容系出版社の門を叩きました。
でも、いざ美容雑誌の編集を始めてみたら、どの媒体も同じような美容師ばかりを取り上げ、技術があっても日が当たらない人はずっと当たらない。そのことに違和感を感じるようになりました。“美容業界の人向け”ではない「美容師の価値や魅力を第三者に伝えたい」という思いが『髪とアタシ』の制作の原動力となりました。他の出版社がやらないことをやろうと思ったんです。
── かよこさんが編集長を務める『たたみかた』は、30代をターゲットにした雑誌として、2017年に創刊しましたね。デザイナーとしての仕事をする中で、雑誌編集に踏み切った狙いはどのようなところにあったのでしょうか。
かよこさん:
『たたみかた』は、30代に向けた社会文芸誌として、哲学や仏教、国際協力、ジャーナリズムなどの第一線で活躍する人々の言葉を通して、社会を見つめる作りになっています。
創刊号の特集は「福島」。2011年の東日本大震災が風化して、徐々に福島を語ること自体が淘汰され始めたことを目の当たりにし、「当事者とそれ以外の人」という関係性に突破口を開けたいという思いで作りました。構想から含めると6年がかりで作りました。
──『髪とアタシ』も『たたみかた』も、お二人の考えと、心の中を表現した雑誌なのですね。
かよこさん:
「流行りそうだからやる」という考えではないんです。自分たちの中で「作らなくてはいけない必然性」を抱えていて、それをなんとか具現化して出来上がったという感じですかね。
夫の地道な営業活動のおかげで、「アタシ社」という名前の認知度も徐々に上がり、2017年の『たたみかた』創刊のリリースには、たくさんの反応をいただきました。
シンゴさん:
『髪とアタシ』よりも売り上げはいいですね(笑)。
── 写真集や漫画、単行本も発行されてますが、プロジェクトによって役割分担も変わるのでしょうか?
シンゴさん:
そうですね。『ネルノダイスキ』という漫画家の本を企画したときも、妻の好きな漫画家を起用して、デザインも自身で組みたいということだったので、僕は予算管理とプロモーションを担当しました。
かよこさん:
反対に、私がデザインも執筆もまったく関わらずに完結した単行本も出ています。プロジェクトごとに座組みも変わりますし、発行のタイミングも不定期。「出したいときに出す」というスタンスです。
二人で仕事を頑張った分だけ、暮らしが良くなることが夫婦ユニットのメリット
── 夫婦出版社として仕事をする中で、スムーズに進めるためのルールなどは作っているのでしょうか?
かよこさん:
ルールも特にないですし、仕事とプライベートの垣根もないです。二人の関係性が仕事に鏡のように反映されている…プライベートの中で仕事が生まれ続けているような感じでしょうか。それにストレスを感じたこともありません。
シンゴさん:
仕事とプライベートを分けている人が、家庭の中で仕事の話をするとハレーションが起きてしまうわけで、僕らにはそのグラデーションがないですからね。
出版社を立ち上げる際に「夫婦で」という選択をした最たる理由は、「妻が圧倒的に仕事ができるから」。独立するうえで、僕ができないことが多分にあって、そこをカバーできるのが妻だったということです。
夫婦で仕事を作って、良い生活をするということは常に意識しています。二人でサバイブして「なんかかっこいいことしよう」という思いを根底に抱いて進んでいきたい。そういう思いを家族以外の第三者に共有するのは難しいと思います。
かよこさん:
今の不安定な時代でより強く感じることですが、どんなに信頼している人でも、そのときどきの状況やライフステージの変化によって、離れたり移動したりしていってしまうもの。信頼してずっと一緒に仕事をしていける人ってすごく限られていると思うんです。対して、家族は分かち難い関係性を持っている。喧嘩はたくさんしますけど、結びつきは強いんです。
これまでの6年間の積み重ねの中で、改めて夫婦で仕事をすることの安定性について実感しているところです。
── 夫婦で共に働くという意味はどのようなところにあるのでしょうか?
シンゴさん:
会社に勤めると、「管理する側」と「管理される側」の二つの立場に別れてしまうし、上下関係もありますよね。僕らが独立しようと思ったとき「管理したくないし、されたくない」という気持ちがありました。
「自由の中で、自立して食べていきたい」。それがこれまで社会人をやってきた中で、自分に適した形だと気づいたんです。その働き方が叶うのが「夫婦ユニット」だったんです。
かよこさん:
雇用されている関係ではなく、自分たちで起業するということは、未来が可変的な感覚がありますよね。「60歳で定年」とか「何歳までに昇進」とかの枠から外れて自由だからこそ、二人で夢を大きく育んでいける。
事業内容はなんであれ、対等な関係性の中で二人で頑張っていくことで、事業が大きくなり暮らしも豊かになる。そのことを二人で享受できる。夫婦ユニットの一番の意義は「仕事の成功が家庭の幸福に直結している」ということではないでしょうか。
シンゴさん:
仕事が成功していても家庭環境がボロボロだったら幸福とは言い難いですよね。「仕事」と「暮らし」が人生の二大巨塔とするなら、仕事を頑張った分だけ暮らしが良くなるというのは、夫婦ユニットのわかりやすいメリットですよね。
── 現在は出版事業以外にも、蔵書室「本と屯」や「花暮美容室」、シェアオフィスの運営など、事業内容も幅広くなってきていますね。
かよこさん:
今年の秋には、三崎のお土産物などを取り扱う雑貨屋を新たに開店予定です。三崎の町は観光客が多いけれど、お土産物やかわいい雑貨屋さんが少ない。「ちょっとした贈り物を買いたい」というときに買う場所がないということに気づいたのは、この町に暮らしたからこそです。
日々の暮らしと仕事の中で、自分たちがやりたいことをやって、次につながっていくという流れを心地良く感じています。
シンゴさん:
人が集まる場所で情報が交錯することが「メディア」であるとするなら、僕らがやりたいことは「メディアを作ること」。本だけに固執せず意味のある場づくりをしていきたいと思っています。
── 今後はどのような展開を考えていますか?
シンゴさん:
多角化したものがきちんと循環するような仕組みを作って「出版社が潰れない仕組み」を作りたいです。出版事業以外の「生きながらえるインカム作り」を盤石にして、「出版したい」と思ったタイミングで、いつでも本を出せるように整えていきたい。
そのために今、さまざまな事業展開をしていますが、今後は広げた風呂敷を正しておけるよう「運営」の体制づくりも固めたいと考えています。
かよこさん:
クライアントワークもあって、今は出版にかける時間がたりていないのが現状です。でも将来的には、借り入れや広告を取らなくても、千冊売れたら黒字になるような健全な本作りをしたいです。
刷りすぎず在庫を抱えすぎずで、3000の売り上げ予測があるなら、3000刷って絶版にしちゃう。業界の慣例に捉われない、私たちに最適化された出版の形が、見えてきているように思います。
…
互いに補い合いつつも、「自分のやりたいこと」に正直に進むアタシ社の二人。自由さを失わず、生き生きと仕事と家庭に向き合う姿は、お互いの信頼関係があってこそです。「二人で頑張ったら何かが起きるかも?」という不確定要素さえも楽しめる冒険心が、テンポ良く稼働し続ける歯車の潤滑油になっているような気がしました。
PROFILE アタシ社
取材・文/佐藤有香 撮影/大童鉄平