モーニング娘。から、猛勉強の末に大学に合格し、卒業後はテレビ東京のアナウンサーとしてキャリアを積んだ紺野あさ美さん。入社から6年後の2017年に退社を決め、現在は故郷の札幌で、2歳と3歳の子どもたちの子育てに奮闘しています。
8月には3人目のお子さんの出産を予定している紺野さん。今だから語れる、出産後の「孤独」と、母親として奮闘する毎日について伺います。紺野あさ美さんの「今」を切り取るシリーズ3回目です。
スーパーの店員としか話してない…孤独だった出産直後
── 17年の結婚を機に、テレビ東京を退社される選択をしましたが、そのときの心境はどんなものでしたか?
紺野:
14歳から29歳まで15年間が走り続けてきて「1つ区切りをつけるところかな」という思いがありました。もともとはスポーツの現場で最高の言葉を引き出すアナウンサーに憧れたことが原点だったので、やりたい仕事をすべてやりきれたか?と言われると、もっといろいろあったかもしれない。
でも、「紺野、今から踊るってよ!」のお仕事も2年間続けることができて、会社の中で私なりの立ち位置みたいなものを見つけることができました。モーニング娘。時代から15年間懸命に働いてきて「わたし、十分働いたかな」と思えたんです。
もちろん夫の仕事柄(現・日本ハムファイターズ杉浦稔大投手)サポートが必要だという気持ちもありました。なので、退社後は事務所には所属せず、家庭優先の日々が始まりました。
── 15年間華やかな世界で活躍して、「華やかな舞台」が懐かしくなることはありませんでしたか?
紺野:
えっと…わたしの感覚が麻痺している部分があるのかもしれませんが、どの時代も必死に頑張ってきた人生だったので、「華やかな世界にいた」と強く思っていたわけじゃないんです。だから「華やかな表舞台が懐かしい」という気持ちにはならなかったのですが、会社を離れてみて、社会との関わりがなくなることが、こんなにも「孤独」なのかと。
仕事をしている時は、信頼できるスタッフの方々と仕事を作り上げる喜びがあり、番組を通じて社会とつながっているという実感も持てました。
でも子育てが始まると、急にそのつながりが切れてしまった感じがして…。特に1人目の子どもを出産した後は、つらかったですね。
── 第一子出産後の孤独は、多くの女性が経験するものかもしれません。どんな生活でしたか?
紺野:
1人目を出産した後は千葉に住んでいたんです。東京まで1時間半、駅まで徒歩25分の場所に住んでいて。当時はペーパードライバーだったので、気軽に東京に出ることもできませんでした。近くには親戚も友達もいなかったので、本当に孤立した環境の中で子育てをしていました。
ベビーカーを押して買い物に行くくらいしか日課がない。気づいたら「今日スーパーの店長さんとしか話してないな…」って。
── 赤ちゃんに一生懸命話しかけるばかりで、大人との「会話」がほとんどない…。よくわかります。
紺野:
はい。それに育児って「こんなにも大変な仕事なんだ!」って。
家庭の仕事を甘く見ていたわけじゃないのですが、お家にいる時間も好きだったので「専業という形も向いているんじゃないかな?」なんて考えていたんです。でも、子どもがいる専業主婦の生活がこんなにもハードとは…。
子育てって来る日も来る日も続いて、終わりがないですよね。自分の時間がなくなり、ゆっくりトイレに行くことも、ゆっくり食事することもままならない。社会からの評価や報酬もなければ、「お疲れさま!」の一言や打ち上げなどがある訳でもない…。もちろんオフもない。それに加えて「命を守る」という強い責任も伴います。
──15年間走り続けてやっと「ゆっくりできるかな」と思っていたのに。
紺野:
まったくゆっくりできないですね(笑)。お母さんって本当にすごい仕事だなって。育児が始まって「もうタフになるしかない」と考えるようになりました。
完璧主義だったわたしを変えてくれたのは子どもたち
── 1人目の子育ては「手抜きでない」という意味での大変さもありますね。
紺野:
そうですね。子どものときからずっと、どこか完璧主義的なところがあって、仕事をするうえでは、それが「努力」という形で活かされてきました。
だから1人目の子育ても、完璧を目指しているところがあったと思います。生活全般、食育にしても、声かけにしても、良い感じに手を抜くことができなくて…。授乳の後にゲップが出ないと、ずっとさすり続けたりとか(苦笑)。
── お母さんになって3年経ち、気持ちに変化はありましたか?
紺野:
はい。千葉から故郷の札幌に引っ越して、ママとして先輩である妹の存在や、子どもが幼稚園に通い始めて社会との関わりもできたことで、孤独感がなくなり、落ち着いて子育てできるようになりました。
それから、こと子育てにおいては、どんなに頑張っても、ダメなときはダメなんだって、経験を通して理解できるようになりました。食育を頑張っても、子どもには好き嫌いもあって、工夫を凝らしても食べてくれないこともある。
私が頑張り過ぎてギスギスするよりも、機嫌よく、余裕を持って笑顔で過ごすことも、お母さんの大切な仕事の1つなんだって思えるようになったんです。
あの日「ゲップが出ない」と必死になっていた自分に、「ゲップ出なくても死なないから大丈夫だよ、少し休んで!」と伝えたいですね(笑)。
今は3歳と2歳の子どもがいて、物理的にはハードですが、1人目の子育てより気持ちはずっと楽です。完璧主義だった私を子どもたちが変えてくれたのだと思います。
── どの時代も真摯に生きてきた紺野さんですが、その真摯さは変わらず、今は子育てに誠実に向き合っている、そんな印象です。
紺野:
ありがとうございます。私やっぱり不器用なところがあるので、今はこの「子育て」というハードだけどやりがいのある仕事に夢中になっているのだと思います。いろいろなことを器用にこなせる性格じゃないので、仕事との両立を考えられるようになるのはもう少し先なのかな、と思っています。
無条件でママが好き!そんな子どもたちに胸打たれて…
── 最後に、子育てで学んだ大切なことって何でしょうか?どんな時に幸せを感じますか?
紺野:
子育ての98%くらいは大変なんですけれど(笑)、残りの2%に、本当に「豊かだなぁ」って感じられるときがあって。
…子ども達にとって親は無条件に好きな存在ですよね。おいしい料理を作ってくれるからとか、何かしてくれるから、とかじゃなくて、ただただママが好き!っていう強いエネルギーがあって。そのピュアな心に本当に胸を打たれるというか…。
私、これまでいた場所では、責任とか…いろいろなことを考えて仕事をしてきたので…。
── 表に出る仕事の分「いかに好かれるか」ということも考えなくてはいけなかったですね。
紺野:
そうですね、でも子どもたちはどんなことがあってもママが大好きで…。叱りすぎちゃった時も「ママ、ママ」と私に愛情を向けてくれる。私も無条件にそんな子どもたちが愛おしいです。
98%大変な毎日でも「この子たちのために何ができるだろう?」って、その気持ちが日々の原動力ですね。
…
撮影の日、彼女は子どもたちを車に乗せて
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人でやって来ました。
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歳と
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歳。まだまだ目が離せない時期です。お腹の大きな彼女が、周囲の安全に配慮しながら
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人の子どもを車から降ろすだけだけで、重労働なのだとすぐに気付かされました。
子ども達が甘えれば躊躇なく抱き上げ、時にお母さんを巡って姉弟の争いが起きても、根気強く
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人に愛情を伝える──。「さぁ晩ごはんはどうしようかな」と言って帰っていった彼女の後ろ姿を見て思いました。
「紺野あさ美は、今日も真摯に働いている。」
3つ目のステージで輝く彼女の見据える先には、どんな未来が写っているのだろう。彼女のこれからの歩みが、とても楽しみです。
PROFILE 紺野あさ美さん
取材・文/谷岡碧 撮影/佐々木和雄