モーニング娘。→慶大生→アナウンサーとして歩んだ紺野あさ美さんの「今」を切り取るシリーズ2回目。1日11時間の猛勉強の末に大学に合格し、アナウンサーとして歩み始めた紺野さんのセカンドキャリアについて伺います。アナウンサー時代に抱えた葛藤、そして人生を変えた番組とは──?
アナウンサー目指した原点「最高の言葉、引き出してみたい」
── 幼い頃にアナウンサーに憧れを抱いたとおっしゃっていましたが、何がきっかけだったのですか?
紺野:
小学生でマラソン大会に出て長距離に目覚めた時期に、アトランタオリンピック(96年)が開かれたんです。有森裕子さんが銅メダルを獲得したマラソンの試合を、釘付けになってテレビで見ていました。
優勝インタビューで有森さんが「自分で自分を褒めたいと思います」とおっしゃって。その言葉も心に残ったけれど、子ども心に、その言葉を引き出した男性アナウンサーもすごいな、と感じたんです。
アスリートが最高に輝いている舞台で、最高の言葉を引き出す。その仕事に魅力を感じました。
── 有森さんよりアナウンサーが気になったというのは面白い着眼点ですね。表に出るアナウンサーの仕事より「引き出す力」に魅力を感じた?
紺野:
そうですね。私がアナウンサーを目指した原点は、そこにあったと思います。
── アナウンサーを目指すと決めてからは猛勉強が始まったと聞きました。
紺野:
はい。モーニング娘。の活動が忙しくて、高校に通うことができなかったので、卒業してから、まずは大検(現・高等学校卒業程度認定試験)をとるために勉強を始めました。大検をとったあとは2つの予備校に通って、1日11時間勉強しました。
もともと勉強が苦になるタイプではなかったこともありますが、「合格するまではアイドルの仕事もしない」と決めていたので、ひたすら勉強だけに集中する時間を過ごしました。
── 慶應大学合格後、ひさしぶりのキャンパスライフはいかがでしたか?
紺野:
大学生活は人生の「春休み」とおっしゃる方もいるけれど、私の場合は必死でした。ご縁があり、アイドル活動も「学業優先、就職活動まで」という条件で再開したので、都内から片道2時間かけて湘南のキャンパスまで通っていて。
往復4時間、電車に揺られながら、ずっとパソコンを開いて課題をやっていました。サークルなども入らなかったので…。
「元アイドルアナウンサー」という肩書きに苦しんだ、駆け出しのころ
── 就職活動はどんな気持ちで挑みましたか?
紺野:
キー局も準キー局も受けて、全部ダメだった場合はもう1回だけ挑戦しようと、「リミットは2年間」と決めて就活を始めました。
就職活動をしているときは、とにかく「アナウンサーになりたい」一心。モーニング娘。になりたい一心でオーディションを受けた時と同じ気持ちと熱量で臨みました。
でも、あっさり一次審査で落ちてしまった局もあるんです。落ちてしまった時は本当に落ち込みました…就職活動って気持ちを保つののが大変ですよね。
── 最終的に内定したテレビ東京はもともと縁が深いテレビ局ですね。
紺野:
はい。ASAYANでデビューが決まって、私の人生を変えてもらった場所もテレビ東京だったので。内定したときは、とにかく嬉しかったですね。本当にご縁だなぁ…と。
── 11年に入社してからは、どんな気持ちで過ごしていましたか?
紺野:
入社した後は、強いプレッシャーの中にいました。もともとアイドルをやっていたので、みなさん私のことを知っている状態で。
でも「アイドルっぽさを出してはいけない」って思ってたんです。アナウンサーは会社員だし、タレントと違って自分が売り物ではない。黒子的な役割なんだということをちゃんと理解して「それをわかってやっています」ということを、皆さんに知ってもらわなくてはいけない、という思いがあって。
── 紺野さんが入社した時のことをよく覚えています(筆者は07年テレビ東京入社)。「わー、モーニング娘。が入社してきた!」という空気がありました。社内の人間にもそう思われていたのだから、大変でしたよね。
紺野:
今でこそ、市來玲奈さん(日本テレビアナウンサー、乃木坂46の元メンバー)や、斎藤ちはるさん(テレビ朝日アナウンサー、乃木坂46の元メンバー)がいて、私のような立場は珍しくなくなりましたが、当時は元アイドルで女性アナウンサーという方はほとんどいなかったので。
「アイドルは自分を主役だと思っているんでしょ?」という周囲の見方に対して、「私は自分の立場を理解して仕事しています」ということを、「わかってもらわなきゃ、わかってもらわなきゃ」と焦り、その焦りが空回りしていました。
バラエティ番組などでは、私が元モーニング娘。であることをイジる空気もあって、今思えばそれは当然のことなんですけど、当時はどう立ち振る舞ったらいいんだろう…と悩んでいて。
結局打開する道がなかなか見つからず、アナウンサーとしての基礎力を上げるしかないと、時間があけば、ひたすら基礎練習をしていました。
アナウンサー人生を変えた、ある番組との出会い
── その後、紺野さんのキャリアや気持ちが変化したのはいつ頃ですか?
紺野:
ずっと模索していたんですけれど、入社4年目に「紺野、今から踊るってよ」という番組のオファーをいただいて…。
── 関東ローカルの深夜枠でも異例の高視聴率をとって話題になった番組ですね。オファーを受けたときの気持ちは覚えていますか?
紺野:
本当にビックリしました。営業局の方が企画を持って、アナウンス室に交渉に来てくださって、「紺野が踊るだけの番組やらせてほしい」と上司にも話を通してくれて…。
ビックリしたけれど、挑戦してみようと思いました。数年間、どっちつかずの状態で過ごしていたので。元アイドルであることを出さないように、という気持ちの一方で、元アイドルとしての振る舞いを求められたり、ということの狭間で葛藤して。
でももう「踊っちゃう!」という企画をいただいたことで、吹っ切れたんです。アイドルであったことを、みなさんにいじってもらうのもいいんじゃないかなって。
── その交渉に行った営業局の社員が、私の同期なんです。彼女は「元国民的アイドルかつクオリティ高いダンスを真面目におどれるってすごい才能だと思った」と話していました。
紺野:
嬉しいな、そこに着目してもらい「きっかけ」をいただいたことには感謝しかないです。
あの番組が始まってから、「何だあの番組は!」と皆さんに注目していただけるようになって、社内でも「紺野のこといじってもいいんだな」という空気ができて…声をかけていただいたり、番組のオファーをいただく機会も増えました。
何より私自身が吹っ切れたことで、気持ちが前向きになり、仕事も良い方向に回っていきました。私のアナウンサー人生においては本当に欠かせない、大事な番組になりました。
── 同期の彼女は「スタッフにとってもかけがえのない番組だった」と言っていました。そしてそれは「紺野さんの番組に対する本当に真摯な姿勢やこだわりに感化されたり支えられていた」と。
紺野:
…なんか、当時を思い出してしまって、うまく言葉にならないです。
改めて、スタッフの方々が本当に私のことを活かしてくださった番組だったな、と。
私、やっぱりダンスのことになると細かいこだわりが出てしまって。ダンスの先生が考えてくれた振り付けVTRを私とゲストが覚えてきて踊る形だったのですが、スタッフの方はダンスの知識があるわけではないので、練習中にもう形になっているように見える時があったと思うんです。
それでも、しっかり振り付けを再現したいというこだわりを受け入れて、長時間練習に付き合ってくださったり。皆寝不足なのに、ロケ地やカメラ割り等も妥協せず、撮影も時間をかけてやってきて。
結果的に番組が週に2回に増えたり、海外のロケに行ったり、特番もやることができて。あの番組があったから、私もやっと「会社に貢献できているのかもしれない」と思えるようになりました。
「私、ここでいいのかな」って安心できる立ち位置が見えてきて、気持ちも、仕事も良い方向に回っていったと思います。あの番組を2年間続けられて、本当に良かったです。
キャリアチェンジするときに大切なことって?
── 紺野さんは若くしてキャリアチェンジを経験されましたが、「いかに前職を活かせるか」という視点は重要ですね。
紺野:
その通りかもしれません。私の場合は「特殊な前職」だったので、最初は隠すことを選んでしまいました。でも、隠そうとしている時は、アナウンサーという、一テレビ局員として自分の個性がなかなか見出せませんでした。
── 「国民的アイドル」は、誰もが経験できることじゃない。それを活かすことが、アナウンサー人生も輝かせることになったんですね。
紺野:
そうですね。努力して積み上げたキャリアは消えないし、次のステージで必ず活かされるものなんだな、と。
歌番組にアナウンサーとしても、モーニング娘。のOGとしても出演して、グループ紹介の後に「私も歌います」と言って歌わせていただいたり、まさかそんな日がくると思ってもいなかったので、本当に貴重な経験をさせていただきました。
今は母になり、家庭を優先して新しいステージにいますが、それでも「キャリアは消えない」のかな。そうだといいですね。子育てで手いっぱいの毎日が落ち着いたら、アイドルとしてのキャリアも、アナウンサーとしてのキャリアも、母としてのキャリアも活かし、今度は地元・北海道に何か貢献できるような内容で、何か少し発信する仕事もできたら、、と考えています。
…
インタビューをしていて思いました、「本当に真面目な女性だ!」と。アナウンサー時代に、いわゆる「アイドルらしく」振る舞えば、知名度という優位性はすぐに活かされたのかもしれません。その真面目さ故に、苦しい数年間を過ごす事になった紺野さん。
けれど、その真面目さを持ち続けたからこそ、彼女だけの「絶妙な居場所」を見出し、オンリーワンの存在として広く社会からも評価されたのだと改めて感じました。
次回は、8月に3人目のお子さんの出産を控えている紺野さんが、今だから語れる出産後の「孤独と育児」、母親として奮闘する毎日について伺います。
PROFILE 紺野あさ美さん
取材・文/谷岡碧 撮影/佐々木和雄