「イラクで人質になったこと、娘たちは知ってるんです。でも『怖いから話さないで』って言われてて。身内の話だとやっぱり怖いものなのかな?」そう言って、優しく微笑んだ今井紀明さん(35)。その顔は、娘を想うパパの顔そのもので──。

今井紀明さん

 

2004年に3人の邦人がイラクで拘束された「イラク日本人人質事件」を覚えているでしょうか?拘束されたうちの1人、今井紀明さんは当時18歳でした。

 

今井さんは無事に解放されましたが、日本中に顔と名前が知られ、「自己責任」という言葉のもと、社会からの猛烈なバッシングを受けることになりました。自宅には誹謗中傷の手紙が山ほど届き、外を歩けば突然殴られることもありました。

 

対人恐怖症となり、自宅に引きこもる日々が続く中で、「回復したい」と誰よりも強く願っていたのは今井さん本人。あえて誹謗中傷と向き合い、中傷の手紙を1通1通タイピングしたり、厳しい言葉を投げかけてくる人と対話を重ねるなど、血の滲むような努力の末、少しずつ心を整えていきました。

今井さんに届いた中傷の手紙
今井さんの自宅に届いた誹謗中傷の手紙は、今も保存している

 

大学卒業後、商社勤めを経て、現在は孤立する10代を支援するNPO「D×P」(ディーピー)の代表として忙しい毎日を送っています。10代で社会から否定された今井さんだからこそ、「自己責任という言葉で、未来ある子どもたちを切り捨てない」という想いには特別な情熱がこもっています。

 

そんな今井さんに私生活で大きな変化が起きていました。20年に、パートナーの女性と同居を始め、6歳と8歳の女の子のステップファーザー(継父)になったのです。「本当に一緒に住んでいいの?」の一言から始まった共同生活。ステップファーザーとしての葛藤や、不安、ステップファーザーを巡る制度の不備などを伺いました。

娘たちから「一緒に暮らしたいな」と言われた日

── 1人暮らしから、家族4人暮らしになり、急激な変化を体験されたと思います。同居はどんな風に決まったのですか?今井さんからの提案だったんでしょうか?

 

今井:

実は娘たちからの提案だったんです。「一緒に暮らしたいな」って。「うん、いいよ」って答えたら「本当に一緒に住んでいいの?」「うん」って。出会って3回目だったかな。

 

── え!3回目だったのですか!?

 

今井:

付き合うようになってすぐに、娘たちとも一緒にランチしたりすることもあって。仕事柄、誰の子であってもフラットに接する姿勢だけは身についていたので、娘たちともすぐに仲良くなりました。

 

3回目に僕のうちに遊びに来てくれて、その時に「一緒に住みたいな」って。パートナーがシングルになってから大変な生活をやりくりしていることも知っていたので、「どうせ変えるならば思い切り変えよう!」と思い、同居を決めました。

 

今井紀明さんと娘さんの後ろ姿
今井紀明さんと娘さん(6歳と8歳)

 

── 私にも今7歳の子どもがいるので想像がつくのですが、急に子どもがいる生活に突入し、大変だったと思います。

 

今井:

正直にいうと、想定以上に大変でした。最初の1、2週間は僕もハイになってたから、楽しく暮らせたんですが、1か月も経つといろいろな問題が出てきて。

 

── 例えばどんなことですか?

 

今井:

当時7歳だった長女が頻繁に癇癪(かんしゃく)を起こすようになりました。長女が、まず爆発したんです。これまでの暮らしの中でいろいろなことがあって、長女はずっと自分を出せず、耐えてきたという事情もあったようです。

 

僕と暮らし始めてから1か月くらいたったときから、突然大きな声で泣き出したり、癇癪を起こしたり、どうしようもないという時があって。

 

夜泣き出して、深夜までなだめて、寝不足になったこともありました。今だって「何かできる」ってわけじゃない。でも、長女は少しずつ落ち着いてきたかな。

 

── 次女の様子はいかがでしたか?当時は保育園に通っていたんですよね?

 

今井:

次女は自宅では僕とすごく仲良しなんですが、保育園に迎えに行くとなぜかすごく嫌な顔をするんです。

 

帰り道に「今日はどうだった?」と話しかけても完全に無視されて(苦笑)。その時間が本当にしんどかったです。「なんで無視されるんだろう…」って。

 

あとから保育園の先生に聞いてわかったことですが、急に僕がお迎えに行くようになったので、娘は友達に「あの人、誰?」と言われるのが苦痛だったみたいです。

 

僕が保育園に行った時に、園にいる娘の友達や他のクラスの子ども達と話すようになると、娘の無視もピタリと収まりました。今になってみれば娘の気持ちは想像がつくけれど、当時は分からなかったなぁ。

 

── 子育てはただでさえ大変なことなのに、すでに自分の考えを持っている6歳、7歳の子どもたちと暮らす大変さがありますね。

 

今井:

そうですね。娘たちに自然と身についている暮らしのルールも、すり合わせが大変でした。

 

細かいけれど、寝る時間や、食べ物や、教育的なこと…。僕には僕のルールがあったけれど、なかなか自分の言いたいことが言えないまま、受け入れなければいけないこともありました。

 

それに加えて、4人分の料理や、洗濯や、保育園や習い事の送迎など、今までになかったタスクが一気に増えて、精神的にも肉体的にも、すごくハードでした。

 

イライラすることも増えた時、パートナーには「とにかく半年待ってくれ」と伝えました。慣れるためには絶対に時間が必要だと思ったから。

 

今は世の中のお父さん、お母さんを心から尊敬しています。子育てはお金も時間も労力もかかる、本当に大変な仕事だと思います。

今井紀明さんの娘さん

同居して嬉しかったことは、娘が僕の膝で寝てくれたとき

── パートナーとは家庭での分担はどのようにしていますか?

 

今井:

パートナーが料理をだいたいは作ってくれていますが、土日の夜に料理を作る、平日の毎日の洗濯が僕の仕事。掃除や買い出しなどは分担しています。病院や学校関係の書類、提出物の管理も任されているのですが、最初は小学校の仕組みも理解していなかったので、本当に苦労しました。

 

学校から山ほどペーパーをもらってくるし、それに加えて学童の口座振替だとか、手書きの自宅までの地図の記入だとか、、細々したことを1つずつ覚えていきました。

 

── 子育てが始まると、細かなタスクが10倍、20倍に増えますよね。

 

今井:

はい。子育てに関しては今、いろんなことを学んでいるところです。ニューゲームなのに、急に高いレベルに挑戦しているような。レベル1からスタートしたいのに、レベル30から始まってる感じで、たくさん撃沈しています。

 

── 撃沈ですか?

 

今井:

撃沈ですね。父親としてもまだまだ対応能力がない。

 

前に長女が商店街で派手にコケて大泣きしてしまったことがあって。今考えれば、抱いてあげればよかったんですが、僕、立ち尽くしてしまって。娘は泣きっぱなし(苦笑)。そういうことを1つ1つ繰り返しながら学んでいます。

 

── 苦労話ばかり聞いてしまいましたが、日々の暮らしの中で、幸せを感じる時や、喜びもありますか?

 

今井:

そうだなぁ…引っ込み思案だった娘がダンス教室に通い始めて、3か月で堂々と人前で踊れるようになったのを見たときは嬉しかったですね。

 

男の子だけのサッカー教室に通って、立派にプレーしている様子を見た時も。「週に1回でこんなに上手になるんだ!」って。小さなことかもしれないけれど、日々の「楽しみ」は確実に増えたと思います。

 

一緒に散歩したり、おいしいってご飯食べたり、虫取りしたり…。あとは、本当に些細なことかもしれないけど、この前、娘が僕の膝で寝てたんです。その時に「あぁ自分の存在が安心できるものになってるのかな」って。

 

「子どもたちが安心できる居場所を作る」というのはずっと大切に考えてきたことなので。娘たちが僕の前で安心している様子を見るのが1番嬉しいかな。

 

ただ娘たちと暮らし始めてまだ1年も経たないので。親としての「喜び」を実感するのはもう少し先じゃないかと思います。

 

今井紀明さんと娘さん

娘たちにとって僕はパパなのか?

── 去年の11月にはパートナーと入籍し、娘さんたちとも普通養子縁組を結びましたね。

 

今井:

特別な心境の変化があったわけじゃないんです。パートナーとも「結婚はしたいね」と話していたので、自然な流れでした。

 

僕の行動は何も変わらないけれど、法律的には娘たちの養父になりました。彼らを育てていくということに責任を持つ。金銭的な部分でも、愛情的な部分でも、彼らに注いでいく。そういう覚悟と責任を持つという意味で、節目の出来事ではあったと思います。

 

── パパとしての実感は、日に日に増していますか?

 

今井:

娘たちには血のつながっているパパがいて、1か月に1度は会っています。だから娘たちには「僕のことはパパって呼ばなくていい『ノリ』でいいよ」と話していて、家でもどこでも「ノリーーー」って呼ばれてます。

 

だから、世間一般の家庭とはだいぶ形が違う、という部分もあるんです。

 

彼らにはパパがいるので、僕はパパとして義務を果たすことに縛られすぎないように、と思うこともある。これはステップファーザー独特の難しさと言えるかもしれません。

 

── その「難しさ」について、少し具体的に伺ってもいいですか?

 

今井:

少し前にも義理の父親による虐待事件がありましたが、容疑者の父親が言っていたのは「父としてしつけることにこだわり過ぎた」ということ。

 

人によって状況は違いますが、普通養子縁組を結んで、義理の父親や母親になる人たちは、僕のように突然生活が大きく変化します。

 

その上「親としてなんとかしなくては」と焦りを覚えたり、「でも、本当の親じゃない」という葛藤に悩まされたりする。イライラを制御できない感覚は、僕自身も経験したからよく理解できます。

 

ただ僕の場合は文献などを読んでこうした事情を理解していたので、厳しくしつけることに関しては、相当に気を配って、気をつけていました。

 

今は自分の立場の独自性を受け入れて、「親だからこうしなきゃいけない」という呪縛に縛られ過ぎないように、と意識しています。

今井紀明さんと家族
今井紀明さんとパートナー、娘さん

ステップファミリーを支える仕組みづくりが必要

── ステップファーザーとしての苦悩や葛藤を相談できる人はいましたか?

 

今井:

同じ立場の人たちと想いを共有したかったけれど、ステップファーザーの友人はいませんでした。そこが1番の問題で、ステップファーザーに関してはほとんど相談先がないんです。

 

日本では里親になるとき、子育てや育児に関する研修を受けられます。今は結婚する男女の4組に1組が再婚で、子どもがいて再婚するケースも多いのに、行政によるステップファミリーの支援はほとんどありません。

 

普通養子縁組を結ぶ際に研修を受けられるようにするとか、知識を共有できるコミュニティを作るなどの環境づくりは絶対に必要だと思います。それが悲しい虐待事件を防ぐことにもつながるはずです。

 

僕も何かネットワークづくりができないかと模索しているところです。

 

── ステップファミリーを支える仕組みづくりに加えて、周囲の人の理解も進むといいですね。

 

今井:

はい。娘たちと暮らし始めて思うことは、「いろいろな形の家族があっていい」ということ。

 

だって、今の時代、そうじゃないと支えきれないと思う。子どもを育てる上で、いろんな人が関わりあっていい、一世帯で捉えなくていいと僕は思っています。

 

社会の中でも理解が進み、様々な形の家族に対して寛容な社会になってほしい。そう思っています。

 

ステップファーザーとしての苦悩や喜びを、包み隠さず語ってくれた今井さん。これまでイラクでの事件は今井さんの人生を語る上で切っても切り離せないものでしたが、新たな挑戦に試行錯誤する今、あの日の出来事は本当の意味で過去のものになりつつあるのかもしれない──。

 

そんな思いでお話を伺いました。

 

次回は、子育てを始めたことで見えてきた社会の課題、仕事に対する意識の変化などについて伺います。

 

PROFILE 今井紀明さん

85年札幌生まれ。高校在学中、イラクの子どもたちのために医療支援NGOを設立。18歳でイラクへ渡航。現地の武装勢力に拘束され、帰国後「自己責任」という言葉のもと、大きなバッシングを受ける。大学卒業後、商社勤務を経て、12年にNPO法人D×Pを設立。孤立した10代の支援を続けている。現在は、コロナ禍で困窮する若者に現金や食糧の緊急支援を行っており、サポーターを随時募集中。https://www.dreampossibility.com/supporter/

取材・文/谷岡碧