それは「挫折」ではなく、自らした「選択」

たしかに、長続きしない=忍耐力がない、飽きっぽいという考え方はあるし、それは困るというのもよくわかります。 でも、親からはそんなふうに見えても、実際に走り、汗をかき、時間を使ったのは彼自身。卒業までやり抜くのが最高のストーリーだなんてことは、重々承知のはず。そのうえでの決断です。 はたから見てただけの者が、なにか言う権利はないような気がしたのです。 うちの子の決断だって、もしかしたら浅はかなのかもしれません。後悔もするかもしれません。でも、そこから得られる経験も、また私たち親が奪ってはいけないもの。 何かをやめないと新しい何かは始まらない。それに、やってみて初めて「合わない」「こうじゃなかった」とわかることもあります。 だったら、それを長く続ける必要なんてどこにもないんじゃないか。「継続」は力だけれど、やりたくもないのにやり続けるなんて、時間がもったいなくないか? そう考えると、かつて1か月でやめた息子の空手も、娘のバレエも、それなりに意味があったのだな~と今は思えます。

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成長するにつれて、「こうなってほしい」「こうだったらいいな」という姿からどんどん遠ざかっていく子供たち(笑)。 親としてはなんだかちょっとむくわれない気分ではありますが、子どもは親の期待にこたえるためるに生きているのではないのです。 「自分の人生を自分で決断していくようになったのだ、私の育て方がよかったという証だ」 …そう思うことにしましょうかね()


ライター:のざわやすえ
出版社での編集を経てフリーに。ライター・エディター活動の一方で、主婦雑誌で培った知識をもとに「暮らし方アドバイザー」として、整理収納や家事タスクのアドバイスでも活動中。また、趣味のソーイングではオーダー業も。働きながら育てた一男一女は、この春から高2、高1に。