自分自身の心身の不調による休職、医師から「死を覚悟してください」と言われた娘の病気を経て、ワイン起業家の道に進んだ河田安津子さん。コロナ禍の2020年7月、こんな時だからこそと会社を辞め、ワインで居場所を作る活動を始めたそう。その道のりを聞きました。 

幻聴が聞こえ、エレベーターの中でめまいが

2005年に国立大を卒業し、大手生命保険会社に就職した河田さん。入社後は始業前の7時台からデスクに向かい、午後9時頃まで残業。その後もミーティングを兼ねた飲み会に連日参加し、終電で帰る日々が続いていました。
 

そこまで走り続けたのは、学生時代の挫折があったからだと言います。学生時代、検察官を目指して勉強していたものの、いつ合格できるか分からない膨大な勉強量に不安と焦りを感じ、企業への就職活動に進路を変更しました。

 

「一度は目標を失い、これから先どうしようと迷いましたが、人の役に立つことで新たにゼロから頑張ろうと決めたので、意気込んでいたんだと思います」
 

その努力が認められ、社内でも表彰をされたことで、さらに仕事への熱が加速していきます。

 

2013年に結婚をしますが、自宅で料理をする暇すら当時はなかったそうです。

 

しかし、無理を続けた生活は長くは続きませんでした。朝から晩まで走り回るように膨大な業務量をこなしているうちに、いつの間にか体も心ももたなくなっていきます。

 

入社から7年がたった冬のある日、河田さんはエレベーターの中で突如、ひどい目眩に襲われました。自宅では、誰もいないはずのキッチンから幻聴が聞こえることも。

 

体重はみるみるうちに落ちていき、友人の勧めで病院に行くと「明日から仕事に行ってはいけません」と、ドクターストップがかかりました。

私は居場所がないかわいそうな人なのか…

突然の休職宣告を受けてからは、毎日泣き通しだったと言います。

 

「昨日まで普通にスーツを着て職場に行っていたのが、急に行く場所がなくなって。自分はどうなるんだろうと不安でいっぱいでした」

 

無理がきかない自分が弱いんじゃないかと自身を責めたり、心配してくれる周囲にも「心が折れた可哀想な人だと見られるのは嫌だ」と感じていたそうです。
 

そんなとき、夫から「ワインが好きだったのだから、教室に行って勉強してみたら?」と勧められたのがワイン教室。行く場所がないからと、恐る恐る訪れたその場所は、さまざまな世代の人が集う場でした。

 

「講師の方がワインについて紹介をし、参加者はただ『このワイン美味しいね』などと、楽しくワインについて語り合って繋がっていく。誰も、どうしてその場に来ているのか、どんな仕事をしているのか詮索することもありません。ただ、美味しいものを楽しみ、笑い合う場だったんです」

そんな世界に出会えたことが、河田さんにはとても新鮮に感じられたと言います。

 

「私にはそれまで会社と家という居場所しかなかったということに気づきました。会社という居場所は失ったけれど、一歩外に踏み出せば居場所はある。自分には会社、家以外の居場所が必要だったのだと痛感しました。

 

仕事を休んでいる今の自分でも大丈夫なんだと思えた。新しく自分の居場所を持てた感覚だった」と、当時を振り返ります。

 

翌年2月末、生命保険会社を退職し、どうせならば人生を大きく変えようと正反対の社風であるベンチャー企業のインターネット関連会社に就職。同時にワインの勉強を本格化させ、2014年にはワインエキスパートの資格を取得しました。

妊娠中、突然発覚した子どもの病気「最悪は死ぬ恐れも」

翌年、長女を妊娠。ようやく落ち着いた生活を取り戻せるかと思った矢先、8か月健診で子どもの異変を指摘されます。

 

「子どもの胸に水が溜まって、肺が膨らまないと医師から告げられました」

 

緊急入院し、肺の水を羊水に排出する手術を行いましたが、心拍数が低下。急きょ、帝王切開手術を行い、わずか8カ月で出産することになりました。

 

重い障がいが残る可能性も指摘をされたうえ、未熟児に必要な手術を行うたびに「最悪の場合は死ぬ恐れもある」という趣旨の同意書、約100枚ほどにサインを求められたそう。

 

「『いつ何のアクシデントで死んでもおかしくない』と言われて、本当に恐怖でした」と河田さんは当時を思い返し、涙を浮かべます。

体重1400グラムしかなかった我が子が…

切迫した状況でしたが、医師たちの判断で心臓の弁を正常にする手術を行ったところ、全身の血流が良くなったのか、腎不全や心不全が回復に向かいます。症状が改善し、むくみがとれた長女の体重は、わずか1400グラムだったそうです。

 

しかし、その後の支えもあり、2015年の冬には無事、自宅に連れて帰ることができました。今では元気に過ごしており、ピアノの発表会で演奏を披露するような愛らしい女の子に育っています。

 

「気が狂いそうな日々だったが、絶対連れて帰ると思っていた。その時に、生きてさえいればいい、家族で普通の暮らしができれば、それにまさる幸せは無いのだと割り切れた気がします」と話します。

そして38歳でワインの道へ

休職していたときに感じたワイン講座での居場所、子どもの病気で知った生きることの奇跡など、これまでの経験から、「生きているならやりたいことをやろう」と、河田さんは長年学んできたワインの道へ進む決意をします。

まずは千葉県流山市でワイン愛好会「Nagareyama Wine Club」を創設しました。仕事のかたわら、レストランなどに人々を集めて、ワインと料理を紹介し、会話とワインを楽しむイベントなどを少しずつ始めていきました。仕事と並行しながら、2018年にはフードコーディネーターの資格も取得します。

 

そして昨年の2020年7月、河田さんはインターネット関連の会社を退職。新型コロナウイルスの感染予防対策で飲食店が休業・営業自粛を迫られるなか、ワインで起業することを決意します。

 

大きなきっかけになったのは、流山市からオンラインで家庭に料理レシピを紹介する活動「森のマルシェキッチンフェスタOnline」の監修を依頼されたことでした。

 

いつか大好きなワインと食を仕事にできたらいいなぁと思っていました。そんな時にこのお仕事をいただき、これは全力で取り組みたい、今やらなければ、ワインを仕事にすることなんて一生できないんじゃないかと思ったんです

 

現在は新型コロナウイルスの感染状況を見計らい、十分な対策を施しながら、希望者にワインを楽しみながら学ぶ場を提供しているそうです。

 

「こんな苦しいコロナの時代だからこそ、感染が落ち着き、お酒を提供できるような状況になれば、ワインと食を通して、くつろぎ、楽しめる誰かの居場所、自分の居場所を作り続けていきたいと思っています」と話してくれました。

 

PROFILE 河田安津子さん

福島県会津若松市出身。大学卒業後、大手生命保険会社に入社。営業、採用、新規事業立ち上げに携わる。2014年、IT企業へ転身。企画、広報、企業法務に携わる一方、同年、日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート取得。16年、ワインで繋がるコミュニティ Nagareyama Wine Club設立。17年、祐成陽子クッキングアートセミナー フードコーディネータースクール修了。昨年、コロナ禍をきっかけにワインコーディネーターとして独立。ウェブサイト https://www.atsuko-kawada.com/

取材・文/天野佳代子 写真提供/河田安津子さん