山梨と東京、二つの拠点に住まいと仕事を持つ辻麻梨菜さんは、ノートパソコンを持ち歩きながら行き来する生活を2年間続けています。「それぞれに軸足があるからこそ、仕事や活動の幅に広がりが持てている」と話す辻さんに、二拠点生活を始めたきっかけと、その魅力について伺いました。
きっかけは「母校の統廃合」。大人になって気づいた故郷の変化に使命感を抱く
── そもそも、「二拠点生活」とはどのようなライフスタイルなのでしょうか?
辻さん:
活動拠点が二つあり、双方で「仕事」と「暮らし」を展開していることです。
私は、高校卒業後に地元を離れ、東京の大学に進学した後、都内の企業に就職しました。2019年に、6年勤めた会社を退職したのですが、それ以降、東京にも軸足を残しながら、「山梨と東京を結ぶ」という視点で活動を展開しています。
私の場合は、山梨に滞在している時は実家で寝泊まりしているので、「里帰り二拠点生活」といったところでしょうか。
── Uターンするのではなく、東京にも拠点を残しつつ、地元に視点を向けたのはなぜですか?
辻さん:
上京した当時は、地元に強い関心がなかったんです。東京の大学に通い、卒業後も東京の企業に勤めて、営業やWEBディレクターとして働きました。仕事は楽しかったのですが、数年経った頃、ほとんど寝るだけの部屋に高い家賃を払って、満員電車に揺られながら通勤する日々に「この暮らし、いつまで続けるの?」と疑問が生まれて…。
今後の暮らしのことを考え始めたのが2015年頃でした。同じ時期に、私が通っていた地元の中学校が統廃合でなくなる可能性があるという話をを知ったんです。それがきっかけで「今、地元はどうなっているんだろう?」と興味が芽生え、休日を利用して地元でのんびりと過ごしたり、お祭りやイベントに参加する機会が増えていきました。そうするうちに、幼い頃の記憶と、大人になってから改めて見る風景に、大きなギャップがあると感じたんです。
いつも賑わっていたお祭りも、子どもたちの参加が少なくなっていて、屋台を運営する人たちの年齢層も今では50代以降。昔は若い世代も活躍していたはずなのに「寂しいな」と思いました。
私にできることはないかと考え始めましたが、「地元企業に転職してUターン」をしたところで、「街の人口がひとり増える」程度。そうではなくて、自分が動くことで、もっと大きな変化が起こせたらいいなと考えるようになったんです。
── 現在は、山梨と東京を往復しながら、複数の仕事とプロボノ活動に携わっているそうですね。
辻さん:
本職はトレジャーフットの社員として、「複業人材と地方企業のマッチング事業」に勤めています。主に山梨エリアを担当していて、即戦力となる人材を求めている企業と、都心在住で複業に興味のある人を繫げるための仕組みづくりをしています。山梨の自治体と連携して、地元企業の課題解決、事業発展をできないかの検討にも力を入れています。
また、まちづくり・場づくり・ファンづくりといった賑わいづくりを行うはじまり商店街のコミュニティビルダーとしても活動しており、現在は、東京都足立区にあるリノベーション団地で暮らしながら住民や地域を巻き込んだ「コミュニティ」を生み出す仕掛けづくりをしています。
他にも、趣味の延長になりますが、二拠点生活で得た知識と人脈を活かして、山梨の魅力を発信するイベントや、東京と山梨を結ぶ交流会などの主催をしています。
── 幅広い活動内容ですね…!トレジャーフットの仕事が本業とのことですが、そのほかの活動は休日などを活用しているのでしょうか?
辻さん:
トレジャーフットの就業規則は「5時〜22時までの間で8時間、週40時間勤務する」というコアタイムのないフレックスタイム制。リモートワークが基本なので、仕事をする場所にも縛りがありません。この柔軟性の高い制度のおかげで、曜日や日数などに捉われず、さまざまな活動に参加することができています。会社員ではあるけれど、フリーランスのような自由さが得られる社内体制が、今の生活を実現させています。
地元の人との交流がきっかけで、都心での暮らし方にも変化が
──「二拠点生活」を意識し初めた2015年頃は、複数の拠点で仕事や生活をしていた人は少なかったと思います。どのようにして、今の働き方を確立させたのですか?
辻さん:
当時はまだ拠点を複数持って仕事をしている人は少なかったです。私自身、どんな働き方、暮らし方ができるのか模索しながら、「移住」や「地域活性」をテーマにしたイベントに積極的に参加して情報収集をしていました。
そうしているうちに、「東京と秋田」や「東京と山梨」など、都心と地方で二拠点生活をしている人たちと出会ったんです。軸足を両方に残しているからこそ、「都心と地元をつなぐ」ことを叶えていて、「私もこんなふうに地元と都心の橋渡しをしたい!」と自分の中でイメージが固まっていきました。
──二拠点生活を初めて3年目になりますね。今、感じる変化はどのような点にありますか?
辻さん:
「自分が目指す働き方」が見えてきたということ、そして「二拠点に軸を持っているからこその人脈の広がり」も大きな変化として受け止めています。
私が二拠点生活を志す中で、地元の商店街イベントや、観光協会にも足を運び情報収集をするとともに、「私は北杜市出身で、地元に貢献できることがしたい」と自分の思いを積極的に話すようにしていたんです。すると次第に「それならあのイベントに参加してみるといいよ」「あの人に会ってみるといいよ」と自然に情報が集まってくるように。さらにあちこちに顔を出していくうちに、「北杜市で何かしたいっていう子がいるよ」と、私の知らないところで話が広がることもありました。
一方、東京在住で山梨に興味のある人との繋がりも豊かになりました。SNS発信を通して、山梨に興味を持ってくれる人たちも増え、その人たちを集めて、山梨の魅力を体感できるツアーを企画したりもしています。東京で軸足を残していたからこそ、東京と山梨を繋ぐことができているように感じています。
── 現在、東京の拠点にしているのは、はじまり商店街が賑わいづくりの支援をしている団地ということですが、これも二拠点生活から得た「自分らしい暮らし」ということなのでしょうか。
辻さん:
そうですね。この数年で「暮らし方」の価値観が大きく変わりました。
二拠点生活をスタートさせ、週の約半分を山梨で過ごすうちに、改めて「地元の暮らしと人間関係は豊かだな」と感じるように。
私の地元では、親戚や友人はもちろん、ご近所さんとの交流も活発なので、顔見知りが多く、アットホームな雰囲気に包まれています。ちょっと外出して帰ってきたら、玄関先にご近所さんが持ってきた採れたての野菜が積んであったりして(笑)。
でも一方で、東京では近所にどんな人がいるのかさえ分かりにくく、互いに警戒心を持って住んでいるような状態。大人になって改めて山梨で暮らす時間が増えると、その反動でそんな無機質で閉鎖的な暮らしがつまらなく思えてきたんです。
そんな折、当時からイベントの企画などに携わっていたはじまり商店街で、東京都足立区にある築56年のリノベーション団地のコミュニティ支援」というプロジェクトが始まりました。その団地のコンセプトが「作る暮らしを、育てる団地」。庭でバーベキューをしたり、シェア工房でD I Yをしたり、シェア菜園で野菜を作ったり。コミュニケーションを生み出すフックを多彩に盛り込んだ住まい作りの企画に魅力を感じ、プロジェクトメンバーとして参加すると同時に、その場所に住むことを決意しました。実際に団地に住みながら、得た気付きを反映させ、楽しくイベントを企画しています。
──自分の「こうありたい」をしっかり受け止めて、積極的に情報収集していたからこそ、今の生活があるということですね。さまざまな活動をする中で、二拠点生活の難しさはどんなところに感じますか?
辻さん:
スケジュール管理の難しさは課題ですね。二拠点生活を始めたばかりの頃は、うまく予定が立てられず、一週間で山梨と東京を二往復してしまったこともあって…。複数のプロジェクトに参加するようになると、個人都合でスケジュールを組みにくくなるので、予定の立て方の大切さを実感しました。
二拠点生活に慣れ、事業や活動が充実していくとともに、やりたいことも増えていきます。しかし「全部に柔軟に対応する」ということが難しくなってくるため、優先すべきことを大事にしながらの予定管理を心がけています。
──今後、辻さんの二拠点生活はどのように変化していくのでしょうか。
辻さん:
今後も肩書きは限定せず、パラレルキャリアの働き方を継続していきたいですね。
今は東京にいる比重が大きく「山梨に出かけていく」というニュアンスで行き来していますが、山梨に関わるイベントの企画が増えてきたこともあって、今後はもう少し山梨の比重を大きくしていってもいいかなと思っています。
…
「私が関わる事業や企画が、その人らしい働き方や暮らし方への気づきに繋がれば嬉しいです」と話す辻さん。
自分の「やりたいこと」を実現させるための行動力が、豊かな人脈を築き上げ、理想の生活へと辻さんを導きました。受け身ではない能動的な姿勢こそが、辻さんのような二拠点生活を可能にしているように感じました。
PROFILE 辻麻梨菜
取材・文/佐藤有香